養殖王子と天然王子



「あれ、お兄ちゃんこんな傘持ってたっけ?」


バッと勢いよく開かれたカーテンと共に聞こえた声で目が覚めた。
朝日が差し込み、瞼を通してうっすら眩しい。
勉強机の上に置かれた“それ”を見て、首を傾げる妹をぼんやり見上げる。


「…貸してもらったんだよ。…っていうか、勝手に部屋に入ってこないでって言ってるよね?萌(もえ)」


親譲りの茶髪にぱっちり二重。
見れば見るほど自分に似ている。
妹の萌は2つ下の中学生で、毎朝こんな感じだ。
思春期真っ只中だというのに兄離れが遅すぎる。


「へぇー、お兄ちゃんがね。このタイプってことは…女の子じゃないんだね。安心安心!」

「…萌?人の話はちゃんと聞くことって、前から言ってるでしょ」

「わかってますよーだ。でも、ねぼすけのお兄ちゃんを毎日起こしてあげてる私って優しいでしょ?」


萌はずっと変わらずこんな感じで、その強かさは母さんにとてもよく似ている。
自分の可愛さを自覚しているからこその立ち回り。
上手く自分を魅せることに長けている。
…変なところが似てしまうんだよな、兄妹って。


「はいはい…もう起きるから、ご飯食べちゃいな。髪の毛とかやるんじゃないの?」

「もちろん!あ、その傘忘れちゃダメだよ?」

「わかってるよ」


萌が出ていった後、起き上がってスマホのアラームを止めた。
いつも鳴る5分前に起こしに来るから、その5分間は萌との会話に割かれてしまう。
これも昔からだからもう慣れたけど。


「…起きるか」


まだ眠たい目を擦りながらクローゼットを開ける。
机の上に置かれた傘を見て思った。


「はぁー…行きたくない」


今日はいつもより気が重い。


*



「れーい〜そろそろ行こ〜」


玄関先から聞こえた尚の声。


「あ、萌ちゃんだ。おはよー」

「尚くんだぁ!おっはよー!」

「萌ちゃんは今日も元気だね〜」

「えー、そう?尚くんに会えたからかな?」


身支度を整えて向かうと、既に萌と尚がきゃっきゃしていた。
俺と尚がまだ小学生だった頃は、こうして萌と3人でよく登校していたっけ。
中学生に上がってからは部活なんかで忙しくなったからめっきり減ったけれど。


「萌、尚にまで可愛子ぶってどーすんの。尚も、スルーしないで注意してやってよ」

「「えー?」」

「えーじゃない。ほら、早く行くよ」

「「はーい」」


…俺の周りは自由人ばっかか?
駅までの道のり徒歩15分を歩きながら考え耽る。
まぁ、この2人は百歩譲ってわかるとしても…あいつは、なんであんなふうに生きられるんだろう。

『名取のことを知りてーからに決まってんだろ』

知ってどうするつもりだって聞き返せばよかったのに。
そんなことすら思う余裕もないくらい、柳の言葉が真っ直ぐすぎたせいだ。


「お兄ちゃんも尚くんもじゃーね!」

「ん、気をつけるんだよ。部活後は寄り道せずに早く帰ること」

「あははっ、わかってるよ。いってきまーす」

「行ってらっしゃい」


中学へと続くT字路で別れると、尚が何か言いたげにこちらを見てきた。


「…なに?」

「麗って、やっぱり過保護だよね」

「いきなりなに言い出すのかと思ったら…そんなこと?」


どこを見たらそうとれるんだろう。
呆れ顔の尚はまだ何か言いたげにじぃっと見てくる。


「だって、萌ちゃん中学生なんだよ?寄り道とか…お母さんじゃないんだから」

「それは…わかんないだろ。萌は可愛いんだから」

「…素直に認めたほうがいーよ、シスコン」

「だから違うって」


尚の冷ややかな目に言い返す。
俺はいたって普通の兄だし、きちんと注意だってする。
ただ甘やかすだけのダメな兄なんかじゃない。


「尚は妹がいないからわかんないんだ」

「…麗のその癖も、ついでにやめといたら?」

「藪から棒に…なんなのさっきから」

「その、“あんたらには分からない”ってゆーのが透けて見える態度のことだよ、バカ麗」

「っ…そんなこと、」


ない───そう言いきれなかった。

『柳に…俺の気持ちなんてわかんないだろうな』

たしかに昨日そう言った。
それを忘れるほど馬鹿ではない。
そして今も、幼なじみの尚にだって同じような言い方をして。
…そんなに俺は、自分が抱えるものを特別扱いしているのだろうか。
否、違う。

ただ、俺は────


「ま、今に始まったことじゃないけどね〜って…麗、なにそのブッサイクな顔。今すぐ戻して」

「…尚は、俺が傷つかない鋼だとでも思ってるってことでいい?」

「だってその顔酷いよ。王子がそんなうじうじしてていいわけ?」

「言い出しっぺがなに言ってんの?」


言い切ってからどっと疲れが押し寄せる。
小学生じゃあるまいし、なにこんなくだらない言い合いしてんだか。
…尚も尚だとは思うけど。
俺も人に言えた性格してないけれど、尚ほどじゃないとは思う。
それが誰に対してもこんなだから凄い。
まぁ…でも。


「…ありがと」

「俺はなーんも言ってないけど?」

「ははっ」

「はあー?なに笑ってんの!」

「ふ、いや…なんでも」


俺は知ってる。
尚の不器用な優しさに、いつも笑ってしまうんだ。

…そう思っていたのもつかの間だった。


「はよ…って、なんだその顔」


いや、笑えない、全く。

かけられた声にぎくりとした。
昇降口で真っ先に顔を合わせるのがコイツなんて、ついてないにも程があるだろ。


「え、もしかしてウワサの柳くん?なに、2人って仲良かったんだ。いがーい」


尚とはクラスも校舎も違うからいつもはここで別れるのに、ちゃっかり顔合わせしている。


「…だれ?こいつ」


まぁ、そりゃそうなるよな。
珍しく柳が真っ当な反応をしていて、少し面白い。


「あー…幼なじみの由良尚弥」

「ふーん、由良ね。よろしく」

「ん、よろしく!麗を頼んだよ」

「あぁ」


いや、あぁじゃなくて。
思わずつっこんでしまうくらいにはスピード感覚がえげつない。
至って真面目な顔をする柳と、にっこり笑顔の尚。
ここの相性がいいのは聞いてないんだけど。


「勝手に頼まれないでくれるかな、柳くん?尚も尚だし、初対面の人に何を頼んで…」

「ネチネチ言う男は嫌われるよ〜“?オージサマ”?」

「な…っ」


ニヤニヤとしたり顔でドヤられ、ふつふつと怒りが湧いてくる。
ここが学校じゃなかったら一発食らわしてるところだった。


「お前、幼なじみにも王子とか言われてんの?」

「…冗談でもやめてくれるかな」

「あははっ、それ笑える!」


混ぜたら危険。
まさしくそれに該当すると瞬時に判断した俺は、仕方なしに柳の袖を掴んだ。


「行こう、柳。俺たちの校舎まで結構あるし」

「そうでもなくね?」

「運動不足の俺にはキツイの。ってことで、じゃあね尚」

「はいはい、じゃーね〜」


察しの悪い柳を半ば強引に引き連れて、渡り廊下に向かうことになんとか成功。
英文科の尚と普通科の俺たちは関わる機会もそこまでないことだけが救いだ。


「なぁ、いつまでこうしてんの?」


ズンズン進んでいると、不満気な声が後ろから飛んできた。
珍しいとは思うけれど、意図が掴めない。


「なにが」

「俺、犬みてーじゃねぇ?」

「はぁ?なに言って───あ」


気づいた途端、パッと手を離して振り向いた。
伸びに伸びたカーディガンと、不貞腐れた柳の顔を交互に見てはサーッと血の気が引いていく。


「わ…悪い」

「別に、それは気にしてねーよ。…お前の頭しか見えねぇのはつまんねーってだけ」


………アタマ?


「は?…なにそれ」

「そのまんまの意味」

「いや、訳わかんな…」


────キーンコーンカーンコーン


タイミング悪く鳴った予鈴を合図に、俺たちは足を早めた。
結局柳が何を言いたかったのか。
何も分からないまま教室に入り席に着く。
そして、一番大事なことを忘れたまま時間だけが過ぎ……


「忘れてた…」

「なにを?」

「あー…今日家族に買い物頼まれてて」

「あーね、地味にめんどいやつ」


隣の席の初音さんに笑われ、苦笑で返す。
放課後になった途端どこかに消えて帰ってきたと思ったら、髪の毛と顔が変わっていた初音さん。
どうやらこの後は他校の彼氏とデートらしい。


「じゃ、王子はおつかい頑張って!私はデート♡行ってくる!」

「うん、楽しんで」

「ありがと!」


満開の笑顔で教室を出て行った彼女は、本当に幸せそうで。
つい、思ってしまった。
あんなふうに、誰かを想って自分を着飾る。
それは一体、どんな気持ちなんだろう、って。


「…はは、くだらな」

「なにが」


一瞬、心臓が凍りついた。


「っいや、違っ…て、柳か…」


不幸中の幸いとでも言おうか。
聞いていた相手は柳のようで、不本意ながらとりあえずほっとする。
けれど、柳は察しが悪い上にしつこいらしい。


「なにがくだらなねーって?」


こんの地獄耳…。


「なんでもないから、一旦忘れてくれると嬉しいな」

「忘れないっつったら?」

「忘れさせてあげるよ、綺麗さっぱり」

「ははっ、こわ」


とか言って、ケラケラ笑っている柳。
…呑気に笑ってんじゃねーよ。
こっちはさっきから、ずっとタイミング伺ってんのに。
教室か、下駄箱か、それとも…?って。
正直どこだっていい。
どこだっていいはずなのに、場所を選ぶべきだと本能が告げている。
それは、今もなお刺さり続けている視線の数が物語っているからだ。


「ねー、名取くんと柳って仲良いの?」


…ほら、やっぱり。
突然声をかけてきた女子…のように思えるが、実際は違う。


「…なに?」

「あのさ、私ら今からカラオケ行くんだけど2人も来ない?」

「割引券使えるの4人からなんだよねー」


今声をかけてきた方は、さっきからずっと柳を見ていた。
どことなく誘いにくい空気を纏う柳に一声かけるタイミングを、ずっと見計らっていたんだろう。


「悪ぃけどパス。俺カラオケ好きじゃねーんだよ」


柳はそんなことお構いなしにズバリと一刀両断。
まぁそうなるよな。
女子2人は明らかに残念そうな顔をして、「えー」と口を尖らせる。


「ごめん、俺も用事あるからまた今度」

「んー…わかった!しょうがないね」

「2人で行くかぁ」


渋々…という形で何とか丸く治まって一安心。
このメンツでカラオケは流石に避けたいし、柳が迷わず断ってくれて良かった。
…とか思っていたら。


「じゃ、そういうことで。行くぞ」

「えっ?あぁ、うん…うん?」


気づけば、俺の腕は柳に捕らえられていた。
朝とはまるで立場が逆転。
俺が引っ張られる側になっていて不本意極まりない。


「ちょっ、待って。袖伸びるから…!」

「あー、わり。ってか、名取も朝同じことしてなかったか?」

「ぐ…」


最悪だ。
まさか柳に言い負かされるなんて。
いや、柳が頭悪いとかそういうことを言ってるんじゃなくて、なんか、こう…。


「…悔しい」

「ふはっ、なんだそれ」


ほら、また。
人がぼそっと零した言葉を、こいつは拾い上げてくる。
それで馬鹿にするでもなく、可笑しそうに笑うんだ。

廊下で飛び交う笑い声。
自分を知らない人たちが無数にいるこの場所は、あまり好きじゃないはずなのに。


「名取ってよくわかんねーな」

「それ、そっくりそのまま返してもいいかな」


この瞬間だけ、周りの音が、視線が。
ほんの少しだけ、ぼんやりしていた。


*


「この道、ほんとに人通らねぇのな」



肩に重みを感じながら、柳の隣を歩く。
いつもの裏道は柳の言うとおり、全く人気を感じられない。
…ここなら平気か。


「…柳、これ。助かった、ありがとう」


スクールバッグから折りたたみ傘を取り出すと、なんとなく軽くなったような気がした。


「ん、名取が風邪ひかなくてよかったわ」


そう言って受け取る柳は、いつものように顔色を変えずに淡々としている。
それでもこちらは、どうしたって気になってしまうわけで。


「…ぶなの」

「ん?」

「柳は大丈夫なのかって聞いてんの。1回で聞き取れ阿呆」


言い切ってからふいと隣から目を逸らす。
最後の一言は絶対余計だった…けど。
でも、ずっと聞きたかったことがようやく聞けた。
だって、誰だって嫌だろ。
自分に傘を貸した相手が風邪をひくとか、自分も相手も気まずいことこの上ない。
そしてそれを心配する心労も耐えないのだから。


「俺は大丈夫…つか、ずっとそんなん気にしたのかよ」

「…気にするだろ」

「律儀すぎねぇ?」

「うるさい」

「ふはっ、殴んなって」


さっきからずっと笑顔が絶えない柳に思わずどついた。
それでもなお花を咲かせるのだから、やっぱりおかしい。
心配して損した。


「誤解するなよ。俺のせいでお前に風邪ひかれたら、俺が悪者になるんだから。柳よか俺の心配してたってだけ」

「お前って、すんげー曲解してんな」

「余計なお世話だよ。嫌なら話しかけるのやめたら?」


そこまで言ってハッとした。
隣を歩く柳が押し黙る。
…なんで、毎回こんな言い方。
朝も尚に言われたばっかりなのに。
それに、柳も柳だ。
性懲りも無くまた下校に誘って、なにがしたいんだか。
こんな何重にも皮があって減らず口の奴なんて、面倒くさいだけだろ。
自分で考えておきながら、きゅうっと喉の奥が締まってく。

そろそろ裏道が表の道へと繋がり、駅へと続く大通りに出るところに差し掛かった。
こんな雰囲気だし、会話を切り上げるのに丁度いいタイミングかもしれない。
ふたつ並んだ歩幅から、一歩大きく踏み出したとき。
ぐっ、と力強く手首を掴まれた。


「…悪い。俺は、すぐ思ったことを口にしちまう。だから、名取を傷つけたなら謝る」

「は…」

「だから、ごめん」


柳は真剣な顔で、瞳を揺らす。
顔と顔をつき合わせ、真っ直ぐに言ってくる。
…どうして。


「…なんで、お前が謝ってんの?馬鹿じゃない?」

「なんでってそりゃ…お前が嫌な思いを」

「してない!…だから、人の気持ち勝手に決めつけて勝手に謝んな」


いつだって俺は思ってる。
“嫌われたらどうしよう”って。
だからひた隠してるはずなのに、こいつにはずっと調子を狂わされっぱなし。
だから…もう、それでいい。


「生憎、柳の言葉なんかにいちいち傷つくほど俺はヤワじゃないんだよ」


どうせもう知られてる。
周りにいい顔するのはもう慣れた。
だから今度は、柳の前での自分自身に慣れていこう。


「…わかった。なら、そうする。名取が言ったんだからな?後で泣いても文句言うなよ」

「はっ、誰が泣くって?」

「うわ、名取が泣いてんの想像つかねぇー…」

「…自分で言っといて引くなよ」


分かれ道に着く頃には、また2人の歩幅が揃っていた。
駅へと続く大通り。
離された手にじんわり滲むあの熱が、しばらく残り続けていた。