養殖王子と天然王子



よく“猫を被る”っていうけれど、それは猫が可哀想だと思わないのかな。
人は誰しもひとつやふたつ、いくつか皮を被って生きていて。
それは自分を守るためでもあり、周りを守るためでもある。
柔軟に、臨機応変に都合よく。


「だからさ、八方美人とか…それの何がいけないわけ?みんなに良い顔して迷惑かけてるの?嫌な顔されたい奴なんかいないだろ」

「うわあ…今日も始まったよ、麗の捻くれ語録」

「捻くれじゃない。単なる疑問」

「はいはい、そうゆうことにしといてあげる」


幼なじみの由良尚弥(ゆらなおや)は、呆れたようにいちごミルクを啜っている。
その隣でサンドイッチを咀嚼しながら、今日見た嫌な夢を思い返していた。


『名取くんって、なんで他の子にまで優しくするの。彼女…なんだよね、私って』


“嫌”なんて言葉じゃ言い表せない。
中学生の頃に言われたその言葉は、ナイフの如く突き刺さり、それは今もなお抜けずにいる。


「でもさ、よく隠せてるよね。その究極に面倒くさいところ」

「そりゃまあ…って、面倒くさい?」

「そこだけは尊敬するよ。麗って俳優とか向いてるんじゃない?」

「ちょっと、聞き捨てならない言葉が聞こえたんだけど」

「気のせいでしょ」


…うん、やめよう。
尚にこれ以上突っ込んでも不毛なだけだ。
家が隣同士とかいう腐れ縁がここまで続くと、お互いに色々とわかってくる。
適当にあしらってるように見えて、ちゃんと最後まで話を聞いてくれる尚。
埃っぽい非常階段で過ごす昼休み。
尚といるこの時間だけは、唯一自分が自分でいられる。  


「はあー…戻りたくないな…」

「とか言いながらサボらないあたり、根の真面目さ出ちゃってるよね」

「うるさい」


やっぱり、前言撤回しようかな。





「持っていける?男子呼ぼうか?」

「だ、大丈夫です」

「でも…」


教室に戻る前に追加の飲み物を買いに来たら、そんな押し問答が聞こえて足を止めた。
あの眼鏡の先生は現文の村田先生…だよな。
女子生徒に辞書を持っていってもらおうとしてるところらしいけけど、見る限りかなりの量だ。
なんなら往復しないと無理なんじゃないか?
………。
ほんの数秒思考がめぐった後、気づけば足はそこへ向かっていて。


「「あの」」

「わっ!?」

「「え?」」

女子生徒の驚く顔と、重なる声。
俺の向かいに存在していたもう一人の男子生徒───柳理仁(やなぎりひと)が、こちらを見て目を丸くしていた。
げっ、と思ったときにはもう遅い。


「良かった、名取くんと柳くんが手伝ってくれるなら安心だ。ありがとう2人とも」

にこにこ顔の村田先生に、頬を赤らめる彼女の前で、誰が断れよう。


「はは…任せてください。な、柳」


顔、ひきつってないか…?
上手く笑えてるか…?
そんな思いをひた隠すように柳の肩をぽんと叩く。
柳は「あぁ」と頷くと、先生の方をジロリと見やった。


「ってか、先生もわかってんなら男呼べよ」

「ご、ごめんごめん」

「ったく…」


いや、ったく…じゃなくてさ。
今先生に突っかかったって意味ないだろ。
喉元まで出かかった言葉を飲み込んで、パッと切り替えた。


「まぁまぁ、先生も悪気があったんじゃないだろうし。それにほら、もうすぐ予鈴も鳴るし行こう。これ配らないといけないでしょ?」


その一言で、その場は丸く収まった。
彼女の教室まで運び終わって自分の教室に戻ろうとしたとき、「あの」と呼び止められた。


「名取くんも柳くんもありがとう。今日もう1人の日直が休んでたから助かっちゃった」

「俺は別に、たまたま通りかかっただけだから」

「俺もだよ。だから気にしないで」

「ふふっ、さすが“王子”だね?」


さっきまでの困り顔とは大違い。
明るく人懐っこい笑顔を見せた彼女を背に、その場を後にした。


「……」

「……」


2人並んで歩く渡り廊下で、この上なく気まずい時間が流れる。
柳とは特別仲がいいわけでも悪いわけでもない。
ただ互いの存在を知っているだけのクラスメイト。
…それが故に、この柳を疎ましく…とまではいかなくとも、なるべくならば関わりたくない相手。
なんでかって言われても、上手く言えないんだけど。
…なんだろう、強いて言えば────


「…お前、それ疲れねぇ?」

「…ん?なに、急にどうしたの」

「名取って、普段からんなニコニコしてんの?違ぇだろ、絶対」

「あはは…柳、やっぱりお前のこと苦手だわ」


こういうところだ。





「…で、なんでこうなるわけ?」

「なにが?」


それ、本気で言ってんのかな。
だとしたら正気を疑わせてもらいたい。


「なんか見られてね?」

「そりゃそうだろうね…」


もう呆れてため息すら出てこないこの状況を、一体誰がの予測できただろう。
あまりにも柳が人の皮の内側に土足で入り込んでくるものだから、うっかりありのままで接してしまった昼休み。
なぜか放課後になった途端、柳に「一緒に帰らねぇ?」と誘われた。
そして今に至る。

教室を出てから昇降口を抜けたあたりまで、ずっと視線という名の矢が飛んでくる。
それもそのはず、このセットで下校して目立たないわけないのだから。


「…遠回りになるけど、気になるなら人目が少ない道通るか?」

「別に、俺は気にしねーけど」

だろうな。
聞いた俺が馬鹿だったと後悔する。
校門を抜けるまで…いや、今日は帰るまでずっとこれか。
柳と帰ることになったときから覚悟は決めていたし、仕方ない。


「じゃあ、普通にこのまま…」


どうせいつものことだし、今日くらいいいか。
そう思っていたけれど。


「でも、名取は気にすんだろ。ってか、そうじゃねーとお前と話せねぇし」

「…日本語話してくれる?」

「喋ってんだろちゃんと」


いやいやどこが…。
なに言ってんだこいつ、みたいな顔でこちらを見てくる柳。
それはこっちのセリフなんだけど、わかってんのかな。
わかってないからその顔なんだろうよ。


「で?その人気のねー道ってのはどっち」

「こっち」

「ん」


校門を出てすぐ左を指さすと、柳はズンズン進んでいく。
…駅までの道わかんのかな。
そんなことを思いながら、歩き出すこと数分後。


「…ここまで来たらもういいだろ」

「なにが?…っていうか、さっきから意味わかんないことばっか言うのやめ──」

「ほらな」


そう言って振り向く柳に驚いた。
だって、今日一番の笑顔で俺に笑いかけていたから。


「っ…ほらって言われても。ちゃんと説明してくんない?」

「だーから、そーゆとこだって。学校じゃ“名取くん”、学校外は“名取”だろ?」


柳は至って真面目に答えた。
けれど、やっぱり腑に落ちない。


「…じゃあ、なに?だからなんだっていうんだよ」


学校での俺と今の俺。
みんなに「どっちがいい?」って聞いたとしたら、きっと前者を選ぶ。
俺だって、こんな口の悪い捻くれ者なんかより、よっぽど“王子”がいいと思う。
どうせ外面だけ見て中身なんて見やしない。
だったらいっそ、見えなければいい。
見せて失望されるくらいなら、最初からなかったことすればいい…なんて。


「柳に…俺の気持ちなんてわかんないだろうな」


ただ嫌われることを恐れて自分を偽る臆病者のことなんて、わかるはずないのに。
今自分がどれだけ情けない顔をしているのか、確かめなくてもわかる。
だから俯いて、柳の方を見れずにただ足元を睨みつけていたら。


「わかるわけねーだろ、んなこと」


苛立ちの色が見えるぶっきらぼうな物言い。
思わず視線を上げて、目を見張った。


「だからお前と…“名取麗”と、今話してんだろうが」


明らかに不貞腐れながら、まっすぐこちらに視線を向けて吐き捨てた。


「な、んで…」


…なんで、お前がそんなに怒ってるんだよ。
柳が怒っているのは見て取れる。
けれど、その心理が分からない。
怒らすようなことを言った覚えもないのに、なんて声をかけたらいいんだ。


「別に名取がいいツラしてようが構わねーよ。ただ、それでお前自身と話せねぇんなら、俺はそのツラを剥がしてぇ。それだけだ」

「…どうして柳は、そこまで中身にこだわるんだよ」


今まで、こんな奴いなかった。


「ここまで言ってもまだわかんねぇ…?ははっ…相当重症だな」


そもそも、俺が俺を作り上げてるということさえ、みんな気づきもしない。
それが当たり前で、ずっと変わらないものだと思ってたのに。


「名取のことを知りてーからに決まってんだろ」


この柳とかいう男は、それすらも飛び越えようとしてきたんだ。


「って…降ってきたな」


見上げる柳に釣られて意識が空に向く。
気づけば分厚い灰色の雲が空一面に広がっていて、額にポツリと雨粒が落ちてきた。

どうせ柳のことだ。
折りたたみ傘なんて気の利いたものを持ってるはずない。
こんな話になるなら、人目なんて気にしないでとっとと帰っていればよかった。


「…話は終わり?なら、こんな立ち話してないで早く帰ろうよ。こっから駅まで結構歩くし」


濡れて風邪ひくのだけは勘弁。
こちとら生憎皆勤賞狙ってるんだ。
どうせなら歩きながら喋ってればよかった…とか、後悔していたら。


「ん、これやる」

「…は?」


手渡されたのは…折りたたみ傘?
…まさか、嘘だろ。


「柳、折りたたみ傘なんて持ってたのか…」

「…お前、俺に対して失礼じゃねぇ?…まぁいいけど、それやるから風邪ひくなよ」

「はぁ?お前バカ?それじゃ柳が濡れ…」

「俺は近ぇからいんだよ。じゃ、また明日な」

「ちょっ、待っ───」


って、早えーよ…。
いきなり走り出したかと思えば、その背中は一瞬で遠くなった。
手元に残された紺色無地の折りたたみ傘。
軽量タイプのいかにも柳らしいもので。


「…はあ。なんなんだ、ほんと…」


マジックテープをバリバリ剥がす。
傘を開くと、石鹸の香りがした。