バイト先の完璧男子が俺だけに素を見せてくる

「日直、号令」

 帰りのホームルームが終わると、机の横に引っかけていた鞄を掴む。そっと椅子から腰を浮かせたところで、前の席に座っていた紺野(こんの)くんがくるりと振り返った。

「小平くんさー、髪切った?」

 にっと八重歯を覗かせて、屈託のない笑顔を向けられる。突然声をかけられたことで、頭が真っ白になってしまった。

「あ、う、うん……。切った、切ったよ」
「だよね。さっきプリント回したとき、前髪短くなってるなぁって思って」
「あ、ははは……」

 ダメだ。ぎこちない笑いしか出てこない。
 せっかく髪を切ったことに気づいてもらえたのだから、もっと話を広げるべきなのだろうけど、テンパりすぎて続く言葉が出てこなかった。

「夏になるからイメチェン?」
「う、ん……」

 それにバイトを始めたから、と付け足そうかと悩んでいたところで、紺野くんと仲のいい木田(きだ)くんが近づいてくる。

「紺野、あんまり絡むな。小平くん、困ってんだろ」

 迷惑行為でもしているかのように咎められる紺野くん。その扱いに本人は納得がいっていないようだ。

「はあ? 別に俺、困らせるようなことしてないし」
「そうだとしてもさ。……見ればわかんじゃん」

 なあ、と周りに目配せをすると、近くにいた男子も頷く。
 まただ。俺が上手くボールを返せなかったせいで、困っていると判断されてしまったんだ。

「小平くん、ごめんね。こいつ空気読めないところあるから」

 木田くんは「ホント、ごめん」と両手を合わせると、紺野くんの腕を掴んで教室から連れ出した。
 彼らの姿が見えなくなると、ずんっと胃の辺りが重くなる。
 こんなのはいつものことだけど、失敗を重ねるたびに自分が小さくなっていくような気がした。

 テンパり癖のある俺は、突然の出来事にものすごく弱い。急に話しかけられると、頭が真っ白になってしまうのだ。
 そのせいで、教室ではいつも一人ぼっち。ときどき気を遣って話しかけてくれる人もいるけど、ことごとく会話でつまずいて、人が離れていった。
 ネガティブモードに入りかけたが、すぐに、ううん、と思い直す。

 ――昨日は、あの七瀬とも話せたんだ。いつかみんなとも話せるはず。

 アイスクリーム屋での成功体験が、ほんの少しだけ自分を強くさせた。



 北浦高校では、学年が上がるにつれて、階段を上る回数が減っていく。一年生は三階、二年生は二階、三年生は一階。
 がやがやと賑わう階段を降りていると、踊り場で何人かの生徒がたむろしていた。その中心に立つ男子には見覚えがある。

「あ、七瀬くんだ。かっこよ」
「他とはオーラが違うよねー」

 どこからともなく聞こえてきた会話に、心の中で頷いてしまう。
 白シャツにチェックのズボン。みんなと同じ制服を着ているのに、七瀬だけは輝いている。ゆるめたネクタイも、捲りあげたシャツの袖もこなれていた。
 七瀬の周りには、四人の女子が集まっている。上履きのつま先が黄色だから、俺と同じく二年だ。名前は知らないけど、女バスの子たちだった気がする。

「ねえ、教えてってば、七瀬」
「えー、俺、バイトあるから急いでるんですけど」
「そうやって逃げるつもりでしょ~?」

 二年女子に囲まれている七瀬は、バイト先でも見せていた笑顔を浮かべている。親しみやすさを醸し出しつつも、必要以上には近づかせない。薄っぺらいバリアみたいな顔。それを営業スマイルという。

「だーから、土曜に一緒に買い物してたのは妹です。新しいバッシュが欲しいって言ってたから、選ぶのを手伝ってあげただけ。彼女じゃないですって」

 その言葉を聞いた女子たちは、「なーんだぁ」と笑いながら脱力する。

「妹だったんだ。なんかさ、一緒にいたのを見かけた子が、絶対彼女だって騒いでたから気になっちゃって。ちっちゃくて可愛い子だったらしいじゃん」
「そうそう! 七瀬って年下趣味なの~って、うちらのクラスで騒ぎになってたし」

 仲間内で「ねーっ」と顔を見合わせると、七瀬の完璧に整っていた顔がわずかに引きつる。

「年下趣味って……。ホント、ただの妹ですから。中学生の」
「ふーん、でもさぁ、実際どうなの? 年下の方が好きなの? ほらほらぁ、正直に言ってみ~?」

 うりゃうりゃと肘で突かれると、七瀬はさりげなく脇腹をガードする。距離を取るように壁際に退がると、清々しいほどの営業スマイルを浮かべた。

「そうですね。年上よりは年下の方が好きです。純粋な感じがするので」
「ちょっとぉ~! それじゃあ、うちらが純粋じゃないみたいじゃん!」

 胸板を小突きながら、ブーイングする女子。そんな彼女に愛想笑いを振りまきつつも、瞳の奥をどんよりと濁らせていた。
 キラキラした青春の一コマにも思えるが、七瀬はあまり楽しそうには見えない。むしろ迷惑がっているような……。
 彼らのやりとりをぼんやり眺めていると、輪の中心にいる七瀬と目が合う。
 次の瞬間、『いいものみーつけた』とばかりに、にやりと口元を吊り上げた。

「すみません。これで失礼します」

 七瀬は二年女子を押しのけると、階段を駆け上がってくる。

「キョウさん、お疲れ様です。今日五時からシフト入ってますよね?」

 まるで親しい先輩でも見つけたかのような反応だ。昨日とのギャップに驚きを隠せない。

「う、うん。入ってるけど……」

 ぎこちなく頷くと、七瀬はにこっと人懐っこい笑みを浮かべた。

「バ先まで一緒に行きましょう」
「……は? え?」

 いくら行先が同じだからって、一緒に行く必要はない。そもそも俺たちは、学校でも絡むほど仲良くなっていないはず。
 ふと踊り場に視線を向けると、女子たちに注目されていることに気づく。
 きょとんと目を丸くしている子もいれば、明らかに俺に敵意を向けている子もいる。その反応を見て、だいたいの事情を察した。

 なるほど。俺をダシにして、逃げるつもりか。
 口の端をヒクつかせていると、七瀬が馴れ馴れしく肩を組んできた。

「ほーら、早くしないと遅刻しますよ」

 俺がボロを出すのを恐れたのか、強制連行に踏み切る。肩を組んで仲良しアピールをしているつもりなのかもしれないけど、身長差があるせいで捕獲されている感が否めなかった。

「あの」
「黙って」

 ぎろりと横目で睨まれる。俺に発言権はないらしい。
 抵抗することも許されず、俺は『仲良しの先輩』を演じる羽目になった。
 一階の下駄箱までやってくると、もう用済みだと言わんばかりに腕を解かれる。その表情には、営業スマイルも、人懐っこい笑顔もない。無だ。

「あー、ダル絡みをされて困ってたんで、キョウさんが通りかかってくれて助かりました。ありがとうございます」

 やっぱり困っていたのか。確かに先輩に囲まれたら困るかもしれないな。
 七瀬はふぅっとため息をついたあと、忌々し気に階段上を睨みつける。

「年上の女って、なんであんなに馴れ馴れしいんですかね? 大して親しくもないくせに先輩面して呼び止めて、ダラダラとくっだらない話して。ボディタッチもさ、こうしておけば男子は喜ぶんでしょーみたいなのが透けて見えて、正直ウザい」

 辛辣だ。さっきの女の子たちが聞いたら泣くよ?

「で、でも、あの子たちは七瀬に興味があるんじゃ……」
「でしょうね」

 さらっと肯定される。自覚あるのか。モテ男子は違うな。

「でも俺は興味ないんです。誰とも付き合う気はないし、あの人たちに時間もエネルギーも奪われたくない」

 ゴミでも捨てるように言い放つと、さっさと一年の下駄箱に向かう。俺もワンテンポ遅れて、二年の下駄箱に向かった。
 スニーカーに履き替えてから、正面玄関で七瀬と合流する。

「冷めてるんだね」

 失礼かなと思いつつも口にしてみると、ふっと鼻で笑われる。

「時間もエネルギーも有限です。彼女作るより、バイトして金貯めた方がよっぽど将来のためになる。そう思いません?」

 ちらりと視線を投げられる。普通の男子が言ったら負け惜しみに聞こえるセリフも、七瀬が言うと爽快感がある。その表情も、女子に囲まれていたときよりもイキイキしていた。

「俺も、恋愛とか興味ないし、バイトの方が大事、かな」
「意見一致」

 涼し気な顔が、にやりといたずらっぽく歪(ゆが)む。同類だとみなされたようだ。

「行きましょう。労働、労働ー」

 七瀬がうーんっと腕を伸ばしながら歩き出したところで、俺も慌てて追いかけた。