バイト先の完璧男子が俺だけに素を見せてくる

 下駄を履いたのなんて、何年ぶりだろう。
 慣れないせいで、足元がおぼつかない。カランコロンと鳴る足音は、薄暗くなった町にゆったりと響いた。

『バイトの先輩と花火大会に行ってくる』

 昼飯を食べるついでに母と姉にそう伝えたら、二人とも宝くじでも当たったかのようにはしゃぎ出した。
 先輩って女の子? バイト先、女の子ばっかりだもんね。浴衣着る? 確か叔父さんから譲ってもらった浴衣があったはず!
 なんて本人を置き去りにして盛り上がった。
 たんすから引っ張り出した浴衣をあてがわれた頃には、一緒に行く相手が男とは言い出せなくなった。
 駅に近づくにつれ、足取りが重くなる。

 ――浴衣なんか着て、七瀬に変に思われないかな?

 黒地に細かな縞模様が入った浴衣は大人っぽくて素敵だけど、俺には似合っていないように思える。
 早く会いたいけど、会うのが怖い。複雑な心境で、駅までの道のりを歩いた。

 待ち合わせ場所は、うちの最寄り駅だ。現地集合だと混雑で会えないだろうからと、わざわざうちの最寄り駅まで七瀬が迎えに来てくれた。
 普段よりも賑わっている駅でも、改札の向こう側にいる七瀬の姿はすぐに見つけられた。

「お待たせ」

 下駄をカラカラ鳴らしながら駆け寄ると、ハンディファンで涼んでいた七瀬が顔を上げる。その瞬間、アーモンド形の目が大きく見開かれた。

「え? 浴衣? めちゃくちゃ気合入ってんじゃん」
「こ、これは、家族が着て行けってうるさかったから……」

 咄嗟に言い訳をする。からかわれるかと思いきや、七瀬は黙り込んだまま固まっていた。

「七瀬?」
「…………」
「おーい、七瀬」
「…………」
「七瀬ってば!」

 強めに呼びかけると、七瀬はハッとしたように我に返る。それから口元を押さえながら顔を背けた。

「……ずるいです」
「は?」
「急に浴衣着てくるとか反則」

 笑われる、馬鹿にされる、という反応は予想していたけど、怒られるのは想定外だ。
 もしや陽キャ界隈では、イベントごとでは服装を事前に共有するという暗黙のルールがあるのか? そうだとしたら勝手に浴衣を着てきた俺は、抜け駆けしたことになる。

「ご、ごめん。次に浴衣を着るときは、事前に共有するから」

 七瀬から「はあ?」と言いたげな視線を向けられる。しばらく無言のまま見つめていると、七瀬がぷっと噴き出した。

「そうですね。次も着てきてください」
「う、うん。そうする」

 そう返事をしたところで、あれ、と首を傾げる。いつの間にか、論点がすり替わっているような……。

「じゃあ、行きましょうか」

 聞き返す間もなく、七瀬はホームに繋がる階段に向かった。

 目的地に到着した頃には、空は薄紫色に染まっていた。花火が上がるには、まだ少し時間がある。

「屋台でなんか買う?」
「そっすね。なにか食べたいものあります?」

 歩行者天国になった駅前の大通りを歩きながら、屋台を見て回った。
 たこ焼き、じゃがバタ、ベビーカステラ、牛串、トルネードポテト。祭りの屋台は、誘惑に溢れている。ついいろいろ買い込んでしまった。

「じゃがバタとトルネードポテトって、芋被りしてるじゃないですか」

 七瀬から呆れ顔でツッコまれたけど、気にしない。アイスも好きだけど、芋全般も好きなんだ。
 大量のビニール袋を提げた俺の隣では、七瀬がケバブをかじっている。七瀬はまだそれしか買っていなかった。

「花火観られるところに行ったら、これも一緒に食べよう」

 ビニール袋を持ち上げながら提案すると、七瀬は驚いたように俺を見下ろす。それから遠慮がちに、食べかけのケバブを差し出してきた。

「じゃあ、これ一口食べます? 食べかけですけど……」
「いいよ。俺、辛いのはあんまり得意じゃないし」
「そんなに辛くないですよ? ほら、どうぞ」

 目の前にケバブを突き出される。辛いのが苦手というのは本当だけど、それ以上に七瀬の食べかけというのに戸惑いがあった。そんなものを口にしたら、また意識してしまう。
 どうしようかとためらっていると、背後から「あ~!」と声が聞こえる。

「七瀬じゃん! 超偶然! 来てたんだぁ!」

 振り返ると、浴衣姿の女子が四人。以前、階段の踊り場で七瀬に絡んでいたバスケ部の二年女子だ。
 彼女たちは目を輝かせながら七瀬に駆け寄る。その圧に押されて、俺はあっという間に道路の隅へ追いやられてしまった。

「なに食べてんの~?」
「ケバブです。あっちの通りで売ってましたよ」
「美味そうじゃん! 一口ちょうだいよ~」
「えー、俺、潔癖症だから、人とシェアとか無理なんですよねー」
「それ初耳なんだけど~」

 浴衣の袂を揺らしながらすり寄る姿は、餌に群がる金魚のようだ。もやもやした気分で、隅っこから眺めていた。

「せっかく会ったんだし、うちらと一緒に回ろうよ!」
「向こうにフリースローのゲームあったよ。勝負しよー」

 あ、これ取られるかもしれない。危機感を覚えた直後、七瀬が輪の中から抜け出した。

「すいません。今日は格好いいおにーさんとデートしてるんで、これで失礼します」

 営業スマイルを浮かべた七瀬が掴んだのは、俺の手。そのまま二年女子たちの返事を待つことなく、人混みの中を歩き出した。

「だ、誰だよ、格好いいおにーさんって?」

 手を引かれながら尋ねると、七瀬がにやりと口元を吊り上げる。

「隣にいるじゃないですか。黒い浴衣を着た大人っぽくて格好いいおにーさん」

 そのいたずらっぽい笑みに、無駄にドキドキしてしまった。
 勘違いするな。からかわれているだけだ。さっきのだって、二年女子を撒くための出まかせに過ぎない。
 そうはわかっているけど、単純すぎる俺は喜んでしまった。

「……まあ、赤い金魚よりも黒い出目金の方が珍しいから捕まえたくなるよね」

 そっぽを向きながら皮肉めいたセリフを吐いてみる。七瀬は少し考えたあと、ふっと笑い出した。

「はい」