◆七瀬side
両親が離婚したとき、永遠の愛なんて存在しないんだと悟った。
結婚していても、それは紙切れ一枚の契約で、心ごと繋ぎ止められるものではない。あらゆる熱が渦巻く世界では、ずっと同じ形を保っていることなんて不可能だ。
だから俺は、恋はしない。恋愛なんて脆いものに執着するなんて、時間の無駄だ。この先も、誰にも心を預けずに一人で生きていく。
そう決めていたのに……。
――最近は、キョウさんのことが気になって仕方ない。なんだ、あの可愛い生き物は?
土曜日の午前。俺は勉強机に広げたテキストの上で項垂れていた。
キョウさんのことは、最初は挙動不審な先輩だと思っていた。弱そうだし、バイトもすぐにやめるだろうと、たかをくくっていた。
だけど……。
『な、仲良くなりたかったから!』
あの人は、俺が想定していたほど弱くはなかった。
余裕なくて、イラついて、あたったのに、歩み寄ろうとしてくれた。その純粋さと懐の広さに、絆されたんだ。
放っておいたら誰かに潰されてしまいそうだから、バイトの先輩として面倒を見てあげようと思った。ただそれだけだったのに、だんだん可愛いと思うようになってしまった。
しかも最近は、年上の余裕まで見せてくるようになって……。
『七瀬の隣はすごく居心地がいいよ』
ぽんっと背中を叩かれたとき、心ごと包み込まれて溶かされるかと思った。
居心地がいい。うん、同じだ。気づけば俺も、あの人の隣を心地いいと思うようになっていた。
仲のいい友達はそれなりにいる。クラスメイトとも普通に馬鹿話をして盛り上がっているし、中学の部活仲間ともときどき集まって遊んでいる。
それでも、隣にいて居心地がいいと思ったのは、あの人だけだった。
理由はわからない。性格も正反対だし、共通の趣味だってない。
ただひとつ言えるのは、あの人の隣では取り繕わずに素の自分でいられるということだ。
居心地がいいというだけなら、友情の枠に収められる。だけど困ったことに、最近は触れたいとまで思うようになっていた。
『食べて、みれば?』
潤んだ瞳で煽られたとき、理性がぐらついた。
その柔らかそうな唇を奪って、短パンを剝ぎ取って、どろどろに溶かしてやろうかと思った。すんでのところで思い留まったけど、あれは本当に危なかった。
あの晩のインパクトがデカすぎたせいか、翌日は夢にまで出てきた。
『溶ける前に食べな』
キョウさんが、口元についたビタショコを食べさせようとしてくる。我慢ができなくなった俺は、唇に吸い付いた。
甘くて、柔らかくて、とんでもなく幸せな気分になって、ありえないくらい興奮した。朝起きたとき、激しい罪悪感に襲われたけど。
――俺は、こんなくだらないことに囚われている暇はないんだ。
苛立ちながら、机に広がったテキストを睨みつける。
七瀬家は、余裕がない。おもに金銭的に。
母一人、子ども三人の生活は、決して楽ではない。別れた父から養育費はもらっているようだけど、それも十分ではないようだ。
物の値段はどんどん上がるし、塾代だって馬鹿にならない。妹たちの好きなBonBonアイスクリームすら買い渋る母を見て、バイトを始めようと決意した。
なるべく学費がかからないように、大学も国公立を目指している。バイトと勉強に専念したいから、部活も諦めた。
ちょっとずつ、ちょっとずつ、いろんなことを我慢して、ギリギリで生活しているのに、一番面倒な恋愛が入り込んでくるなんて冗談じゃない。どう考えても、キャパオーバーだ。それなのに……。
「キョウさんに会いたい」
机に突っ伏しながら、うわ言のように呟く。
この三日間は、宿題を片付けるためにシフトは入れなかった。キョウさんには、かれこれ一週間は会ってない。明らかに欲求不満だ。
顔を見たい。喋りたい。あわよくば触りたい……。
勉強していても、邪念に囚われてばかりで、集中できなかった。
「……まあ、連絡するくらいはいいか」
むくっと起き上がる。ぼっちなキョウさんのことだ。バイトがない日は、どうせ家に引きこもっているだろう。それなら、ちょっとくらい俺を構え。
すぐにいじらないように本棚の上に置いていたスマホを手に取ると、メッセージアプリを開く。フレンド一覧の一番上に、ゆるかわのアイコンがあった。キョウさんだ。
夏休み前までは初期アイコンだったくせに、俺と映画を観た翌日からゆるかわのアイコンに変えてきた。
やめろよ。俺と被るだろ。真似すんな。
そう思いつつも、大真面目にゆるかわを推していたキョウさんを思い出すと、文句を言えなくなった。
『好き。多分、ずっと好き』
はああ……。可愛すぎだろ、あの人。
深くため息をつきながら、キョウさんにゆるかわのスタンプを送りまくった。すると、すぐに既読がつく。
[スタ爆やめろ。なに?]
返事が来ると、思わずにやけてしまう。
[暇です]
[知らないよ]
[なにかおもしろいネタあります?]
ダル絡みうぜぇと思いつつも、やめられない。しばらくすると、ぽんっと写真が送られてきた。
黒猫が充電コードを踏んで丸くなっている。コードの先は、コンセントに繋がっていた。
[マル、充電中]
送られてきたメッセージを見て、ぶはっと噴き出してしまう。
確かに、これは猫が充電されているようにも見える。キョウさんにしては、なかなかおもしろいネタを持ってくるじゃないか。
――いや、キョウさんはもともとおもしろいか。
キョウさんは、アウトプットが下手だから誤解されがちだけど、ユーモアがあって結構おもしろい。バイト二日目に、俺の右腕を取りたいって言われたときは、本気で笑った。
多分周りには、こんなにおもしろい人だとは知られていないのだろう。知られなくてもいいけど。
ゆるんだ口元を押さえながら、メッセージを打つ。
[キョウさんち、猫飼ってるんだ]
[猫はいいぞ。可愛くて癒される]
[えー、俺とどっちが可愛い?]
からかうつもりで送ってみると、メッセージのやりとりが一時途絶える。
考えてる、考えてる。スマホの向こう側で、ワタワタしながら返事を考えているキョウさんを想像すると、ものすごく笑える。
しばらくすると、ぽんっとメッセージが飛んできた。
[どっちも可愛いよ]
「はあ?」
意外な返しに、悪態をつく。可愛いなんて、言われるとは思わなかった。俺のどこが可愛いんだよ?
文面だけでは、キョウさんがどんなノリで言っているのかわからない。
[キョウさんのくせに生意気]
[ガキ大将構文やめろ]
テンポよくツッコミが返ってきて、またしても笑いがこみあげる。
生産性のない会話だけど、楽しい。キョウさんと一緒だと、時間も金もエネルギーも、いくらだって無駄遣いしてしまいそうだ。
次はなにを送ろうかと考えていると、キョウさんからメッセージが飛んでくる。
[そんなに暇だったら、花火大会でも行って来たら?]
そういえば、今夜は隣町で花火大会が開催される。クラスメイトから誘われたけど、『暑いからパス』と断ったんだ。
だけどキョウさんが相手なら、話は変わってくる。
[一緒に行きます?]
軽いノリで誘ってみる。乗ってきてくれるかは、わからない。
キョウさん、人混み苦手そうだし、暑いのだって嫌だろう。断られたって、俺はノーダメだ。
既読になったけど、すぐには返事がこない。
焦らすなよ。行くか、行かないかの二択だろ? さっさと返せ。
ソワソワしながら待っていると、ようやくメッセージが返ってくる。
[まあ、いいけど]
思わずガッツポーズをしてしまう。どうしよう。ものすごく嬉しい。
正直、花火には興味ない。人混みも、暑いのも、嫌いだ。
どう考えてもエネルギーの無駄遣いだけど、キョウさんと一緒だと考えるとネガティブ要素が全て吹き飛んだ。
窓の外では、太陽がギラギラと輝いている。さっさと沈め。そうすれば、キョウさんに会えるから。
忌々しい太陽を睨みつけてから、机の上に広がったテキストを見つめる。
「……宿題、片付けるか」
夜の予定ができたことで、それからは驚異的な集中力で宿題を片付けた。
両親が離婚したとき、永遠の愛なんて存在しないんだと悟った。
結婚していても、それは紙切れ一枚の契約で、心ごと繋ぎ止められるものではない。あらゆる熱が渦巻く世界では、ずっと同じ形を保っていることなんて不可能だ。
だから俺は、恋はしない。恋愛なんて脆いものに執着するなんて、時間の無駄だ。この先も、誰にも心を預けずに一人で生きていく。
そう決めていたのに……。
――最近は、キョウさんのことが気になって仕方ない。なんだ、あの可愛い生き物は?
土曜日の午前。俺は勉強机に広げたテキストの上で項垂れていた。
キョウさんのことは、最初は挙動不審な先輩だと思っていた。弱そうだし、バイトもすぐにやめるだろうと、たかをくくっていた。
だけど……。
『な、仲良くなりたかったから!』
あの人は、俺が想定していたほど弱くはなかった。
余裕なくて、イラついて、あたったのに、歩み寄ろうとしてくれた。その純粋さと懐の広さに、絆されたんだ。
放っておいたら誰かに潰されてしまいそうだから、バイトの先輩として面倒を見てあげようと思った。ただそれだけだったのに、だんだん可愛いと思うようになってしまった。
しかも最近は、年上の余裕まで見せてくるようになって……。
『七瀬の隣はすごく居心地がいいよ』
ぽんっと背中を叩かれたとき、心ごと包み込まれて溶かされるかと思った。
居心地がいい。うん、同じだ。気づけば俺も、あの人の隣を心地いいと思うようになっていた。
仲のいい友達はそれなりにいる。クラスメイトとも普通に馬鹿話をして盛り上がっているし、中学の部活仲間ともときどき集まって遊んでいる。
それでも、隣にいて居心地がいいと思ったのは、あの人だけだった。
理由はわからない。性格も正反対だし、共通の趣味だってない。
ただひとつ言えるのは、あの人の隣では取り繕わずに素の自分でいられるということだ。
居心地がいいというだけなら、友情の枠に収められる。だけど困ったことに、最近は触れたいとまで思うようになっていた。
『食べて、みれば?』
潤んだ瞳で煽られたとき、理性がぐらついた。
その柔らかそうな唇を奪って、短パンを剝ぎ取って、どろどろに溶かしてやろうかと思った。すんでのところで思い留まったけど、あれは本当に危なかった。
あの晩のインパクトがデカすぎたせいか、翌日は夢にまで出てきた。
『溶ける前に食べな』
キョウさんが、口元についたビタショコを食べさせようとしてくる。我慢ができなくなった俺は、唇に吸い付いた。
甘くて、柔らかくて、とんでもなく幸せな気分になって、ありえないくらい興奮した。朝起きたとき、激しい罪悪感に襲われたけど。
――俺は、こんなくだらないことに囚われている暇はないんだ。
苛立ちながら、机に広がったテキストを睨みつける。
七瀬家は、余裕がない。おもに金銭的に。
母一人、子ども三人の生活は、決して楽ではない。別れた父から養育費はもらっているようだけど、それも十分ではないようだ。
物の値段はどんどん上がるし、塾代だって馬鹿にならない。妹たちの好きなBonBonアイスクリームすら買い渋る母を見て、バイトを始めようと決意した。
なるべく学費がかからないように、大学も国公立を目指している。バイトと勉強に専念したいから、部活も諦めた。
ちょっとずつ、ちょっとずつ、いろんなことを我慢して、ギリギリで生活しているのに、一番面倒な恋愛が入り込んでくるなんて冗談じゃない。どう考えても、キャパオーバーだ。それなのに……。
「キョウさんに会いたい」
机に突っ伏しながら、うわ言のように呟く。
この三日間は、宿題を片付けるためにシフトは入れなかった。キョウさんには、かれこれ一週間は会ってない。明らかに欲求不満だ。
顔を見たい。喋りたい。あわよくば触りたい……。
勉強していても、邪念に囚われてばかりで、集中できなかった。
「……まあ、連絡するくらいはいいか」
むくっと起き上がる。ぼっちなキョウさんのことだ。バイトがない日は、どうせ家に引きこもっているだろう。それなら、ちょっとくらい俺を構え。
すぐにいじらないように本棚の上に置いていたスマホを手に取ると、メッセージアプリを開く。フレンド一覧の一番上に、ゆるかわのアイコンがあった。キョウさんだ。
夏休み前までは初期アイコンだったくせに、俺と映画を観た翌日からゆるかわのアイコンに変えてきた。
やめろよ。俺と被るだろ。真似すんな。
そう思いつつも、大真面目にゆるかわを推していたキョウさんを思い出すと、文句を言えなくなった。
『好き。多分、ずっと好き』
はああ……。可愛すぎだろ、あの人。
深くため息をつきながら、キョウさんにゆるかわのスタンプを送りまくった。すると、すぐに既読がつく。
[スタ爆やめろ。なに?]
返事が来ると、思わずにやけてしまう。
[暇です]
[知らないよ]
[なにかおもしろいネタあります?]
ダル絡みうぜぇと思いつつも、やめられない。しばらくすると、ぽんっと写真が送られてきた。
黒猫が充電コードを踏んで丸くなっている。コードの先は、コンセントに繋がっていた。
[マル、充電中]
送られてきたメッセージを見て、ぶはっと噴き出してしまう。
確かに、これは猫が充電されているようにも見える。キョウさんにしては、なかなかおもしろいネタを持ってくるじゃないか。
――いや、キョウさんはもともとおもしろいか。
キョウさんは、アウトプットが下手だから誤解されがちだけど、ユーモアがあって結構おもしろい。バイト二日目に、俺の右腕を取りたいって言われたときは、本気で笑った。
多分周りには、こんなにおもしろい人だとは知られていないのだろう。知られなくてもいいけど。
ゆるんだ口元を押さえながら、メッセージを打つ。
[キョウさんち、猫飼ってるんだ]
[猫はいいぞ。可愛くて癒される]
[えー、俺とどっちが可愛い?]
からかうつもりで送ってみると、メッセージのやりとりが一時途絶える。
考えてる、考えてる。スマホの向こう側で、ワタワタしながら返事を考えているキョウさんを想像すると、ものすごく笑える。
しばらくすると、ぽんっとメッセージが飛んできた。
[どっちも可愛いよ]
「はあ?」
意外な返しに、悪態をつく。可愛いなんて、言われるとは思わなかった。俺のどこが可愛いんだよ?
文面だけでは、キョウさんがどんなノリで言っているのかわからない。
[キョウさんのくせに生意気]
[ガキ大将構文やめろ]
テンポよくツッコミが返ってきて、またしても笑いがこみあげる。
生産性のない会話だけど、楽しい。キョウさんと一緒だと、時間も金もエネルギーも、いくらだって無駄遣いしてしまいそうだ。
次はなにを送ろうかと考えていると、キョウさんからメッセージが飛んでくる。
[そんなに暇だったら、花火大会でも行って来たら?]
そういえば、今夜は隣町で花火大会が開催される。クラスメイトから誘われたけど、『暑いからパス』と断ったんだ。
だけどキョウさんが相手なら、話は変わってくる。
[一緒に行きます?]
軽いノリで誘ってみる。乗ってきてくれるかは、わからない。
キョウさん、人混み苦手そうだし、暑いのだって嫌だろう。断られたって、俺はノーダメだ。
既読になったけど、すぐには返事がこない。
焦らすなよ。行くか、行かないかの二択だろ? さっさと返せ。
ソワソワしながら待っていると、ようやくメッセージが返ってくる。
[まあ、いいけど]
思わずガッツポーズをしてしまう。どうしよう。ものすごく嬉しい。
正直、花火には興味ない。人混みも、暑いのも、嫌いだ。
どう考えてもエネルギーの無駄遣いだけど、キョウさんと一緒だと考えるとネガティブ要素が全て吹き飛んだ。
窓の外では、太陽がギラギラと輝いている。さっさと沈め。そうすれば、キョウさんに会えるから。
忌々しい太陽を睨みつけてから、机の上に広がったテキストを見つめる。
「……宿題、片付けるか」
夜の予定ができたことで、それからは驚異的な集中力で宿題を片付けた。



