バイト先の完璧男子が俺だけに素を見せてくる



 目を覚ますと、あぐらをかいた七瀬に見下ろされていた。

「おはようございます。キョウさん」
「……おはよ。バイトお疲れ。今何時?」
「三時です」
「はあ!? 俺、どんだけ眠ってたの?」

 慌てて飛び起きると、七瀬は真顔を崩してくくっと笑い出す。

「嘘、嘘。まだ八時です。バイトちょっと早めに上がらせてもらいました。大雨で客の入りも少なくなったから、店長が早く帰りなぁって」

 気がゆるんで布団に倒れ込む。まだ八時か。びっくりした。
 よく見ると、七瀬のTシャツが濡れている。雨の中歩いてきたせいだろうか。
 透けて形のわかる腕の筋肉に、妙にドキドキしてしまう。邪念を振り払うように、俺は寝返りを打った。

「よかったね。早く上がれて」
「はい。おかげでキョウさんの可愛い寝顔が見られました」

 かわ、いい……? また馬鹿にされているのか?
 黙り込んでいると、七瀬が腰を浮かせて俺の正面まで回ってきた。

「それより、具合はどうです? 顔色はよくなったみたいですけど」
「うん。寝たら回復したよ」
「それならよかったです」

 そう言って微笑んだ七瀬は、いつもよりも優しく見えた。

「こんなところまで連れてきてウザいって思われるかもしれないですけど、具合の悪そうなキョウさんを一人で帰したくなかったんです。それだけはわかってください」
「大袈裟だよ。少し休めば自力で帰れたと思うし、多分」
「多分じゃ困るんですよ。途中で倒れたり、変なやつに絡まれたりしたらって考えると、気が気じゃなくて」

 真剣な眼差しで訴えられる。
 知らなかった。七瀬がこんなに心配性だったなんて。その心配を真っすぐ俺に向けてくれていることも嬉しい。
 こんなに優しくされたら、また勘違いしてしまいそうだ。ダメだ。これ以上、気をゆるめたら。

「気遣ってくれたことには感謝してるよ。だけどもう、一人で帰れるから」

 布団から起き上がると、七瀬は「あー……」と歯切れの悪い声を漏らす。

「その件で、残念なお知らせがあります」
「なに?」

 ジトッとした眼差しで見つめていると、七瀬は力なく笑った。

「電車、大雨で止まったみたいです」
「は?」
「だからキョウさんは、俺んちにお泊まり」

 ……それは、非常に困ったお知らせだ。



 電車が止まったというのは、紛れもない事実だった。
 架線トラブルが発生したようで、二十一時を過ぎても復旧の見通しが立っていない。この辺りには路線が一本しか通っていないから、別の路線を使って迂回することもできなかった。

 七瀬母も、夜勤の仕事で出かけている。電話でうちの母に相談した結果、今夜は七瀬家でお世話になることになった。
 こんな事態になるなんて、今朝は想像すらしなかった。どこか楽しそうにしている七瀬を横目で見つめながら、俺は夕飯に出された二色丼を口に運んだ。

「甘い」
「なんすか、急に?」
「七瀬んちの玉子は、甘いんだね」

 どんぶりをテーブルに置いて、二色丼の玉子の方を指さす。うちの二色丼はしょっぱい味付けだから、砂糖を使った味付けは新鮮だった。

「あー、それは、あいつらのせいです」

 七瀬が視線を投げた先には、二人の女の子がいる。中二の妹の瑛菜(えいな)ちゃんと、小一の妹の陽菜(ひな)ちゃんだ。

「わたしたちが悪いみたいな言い方すんなしー」

 瑛菜ちゃんが、スマホをいじりながら抗議する。ショートカットの美人さんだけど、ちょっと冷めているところは七瀬とよく似ていた。

「あのね、そぼろはママが作り置きして、玉子はおにぃが焼いたの。おにぃが玉子を焼くと、ふわふわにはならないんだけどね」

 陽菜ちゃんが、大きな目をくりくりさせながら説明してくれる。明るいところはお母さんとよく似ていた。
 七瀬には二人妹がいると聞いていたけど、まさか対面することになるとは思わなかった。
 知らない男が家に上がり込んだら嫌な顔をされるかと思ったけど、二人は案外すんなり受け入れてくれた。助かる。

「ねえ、キョウさん! 陽菜のシール帳見る? ゆるかわのシール、たくさんあるよ」
「本当? じゃあ見せてもらおうかな」

 シールを見せたくてうずうずしている陽菜ちゃんにお願いすると、スキップしそうな勢いで部屋まで取りに行った。
 うん、可愛いな。こんなに可愛い妹のためなら、アイスを買って帰りたくなる気持ちもわかる。
 ほっこりした気分になっていると、すぐに陽菜ちゃんが戻ってきた。

「持ってきたよー。このページからがゆるかわ」

 ページを捲ると、隙間なく貼られたキラキラのシールが現れる。

「おおっ、すごいね! 綺麗に貼れてるね」
「シールを買ってくれたのはおにぃだけど、貼るのを手伝ってくれたのはエイちゃんだよ。おにぃがやると変になるから」
「ああ、この人、結構雑だから」

 瑛菜ちゃんが茶々を入れると、七瀬が「うるさい」と睨みつけた。
 そんなやりとりを見て、つい笑ってしまう。いつも俺をいじり倒している七瀬も、家では妹にいじられているようだ。
 ほんの少し家にお邪魔しただけでも、学校やバイト先では見られない七瀬が見られておもしろかった。

「キョウさん、シール交換しようよ! このぷくぷくのゆるかわはたくさんあるから交換してもいいよー」
「うーん……。でも、交換できるシールがないからなぁ」

 一瞬、スマホカバーに貼ったゆるかわのステッカーが思い浮かんだけど、やめておいた。あれは交換できそうにない。

「ひーな、あんまキョウさんを困らせんな。あとキョウさんって呼ぶの禁止」

 七瀬が眉を顰めて注意すると、陽菜ちゃんは「えー」と不満そうな声を漏らした。

「なんで? おにぃはキョウさんって呼んでるじゃん」
「俺はいいけど、陽菜はダメ」
「陽菜もキョウさんって呼びたい!」

 駄々をこねる陽菜ちゃんを見て、まあまあと仲裁に入る。

「俺は別にキョウさんでもいいよ。小平って言いにくいし」

 キョウさん呼び受け入れようとしたが、七瀬は首を縦に振らない。

「ダメ。俺がよくない」
「なんで?」
「キョウさん呼びは、俺だけの特権ですから」

 特権。そんなものを与えた覚えはないんだけど……。
 七瀬はおもちゃを独り占めしたがる子どものようにむくれていた。

「独占欲エグっ」

 スマホをいじっていた瑛菜ちゃんが冷笑する。それに七瀬は無言の圧を送っていたた。
 キョウさん呼びは、俺だけの特権。おかしな話なのに、密かに喜んでいる自分がいた。にやけそうになった顔を、すぐさま引き締める。

「じゃあ、陽菜ちゃん、キョウくんでいいよ」
「うん、分かった!」
「それもダメ」

 譲歩したつもりだったが、七瀬から即NGがかかる。
 くん呼びもダメなのか。判定厳しくないか?

「じゃあなんならいいのー? おにぃが決めてよー」

 陽菜ちゃんが唇を尖らせながら聞く。なんならいいのか。それは俺も知りたい。
 七瀬は少し考えたあと、にやりと口角を吊り上げた。

「ガチ勢のおにーさんでいいよ」
「おいっ」
「わかったぁ!」

 そのネタ、まだ引っ張るのか? 陽菜ちゃんも受け入れちゃっているし。

「よろしくね、ガチにーさん」

 陽菜ちゃんから愛らしい笑顔を向けられる。またしても変なあだ名をつけられてしまった。