大会の喧騒がようやく落ち着いた数ヶ月後。写真部の部室は、珍しく活気に満ちていた。
顧問の先生が部室に入ってくるなり、興奮した声で言った。
「秦野! お前が撮った瀬戸遥の写真が、県の写真コンクールで準大賞を取ったぞ!」
浩一は目を丸くした。
「え……本当ですか?」
机の上に広げられた結果通知と、大きく印刷された写真を見て、浩一の胸が熱くなった。そこに写っていたのは、大会での遥の演技写真ではなかった。
放課後のリンクで、遥がトリプルアクセルを練習した後にベンチに座り込み、汗を拭きながら少し疲れた、けれど穏やかな笑顔を浮かべている一枚だった。
タイトルは『銀盤の真実』。
表面的な華やかさではなく、血の滲むような努力の後に見せる、遥の本当の表情——それが評価されていた。
顧問は目を細めて浩一の肩を叩いた。
「よくやった。これで写真部は当分廃部にならないだろう。……本当にいい写真だぞ、秦野」
浩一は頰を赤らめながらも、嬉しさで胸がいっぱいになった。
(遥さんの……本当の姿が、認められた)
その日の放課後、浩一はコンクールの結果通知と入賞写真のプリントを持って、いつものリンクに向かった。
遥はすでにリンクにいて、軽くストレッチをしていた。浩一が近づくと、遥はすぐに気づいて笑顔になった。
「浩一、どうした? そんなに嬉しそうな顔して」
浩一は少し緊張しながら、プリントを遥に差し出した。
「遥さん……これ、見て」
遥は写真と結果通知を受け取り、目を細めて眺めた。しばらく沈黙が続いた。
「……これ、俺?」
遥の声が、少し掠れていた。浩一は頷いた。
「うん。県の写真コンクールで準大賞を取ったんだ。顧問が言ってた『圧倒的な一枚』……これが、そうだったみたい」
遥は写真をじっと見つめていた。
写っているのは、練習後の疲れた自分。華やかな演技中の姿ではなく、汗で濡れた前髪、わずかに息を荒げた唇、少しだけ寂しげで、でもどこか満たされたような表情。
遥の指が、写真の表面をそっと撫でた。
「……俺の、こんな顔……」
声が震えていた。
「誰も見てくれなかったよ。天才って言われるときはいつも笑顔で、完璧でなきゃいけなくて……本当はこんなに疲れてて、弱くて、努力してる姿なんて、誰にも見せたくなかったのに」
遥はゆっくりと顔を上げ、浩一を見つめた。
瞳が、うるんでいた。
「浩一……お前が撮ってくれたんだな。この、俺の本当の姿を」
浩一は静かに頷いた。
「僕が撮りたかったのは、遥さんの華やかな演技じゃなくて……遥さんが本気で頑張ってる姿だったから。転んだ後の痣も、疲れてベンチに座ってる姿も、ジャンプが決まった瞬間の子供みたいな笑顔も……全部、僕にはすごく綺麗に見えたよ」
遥の目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
「……救われたよ」
遥は掠れた声で呟いた。
「俺の努力が、誰かにちゃんと届いた。『天才』じゃなくて、『頑張ってる瀬戸遥』として見てもらえた……それが、こんなに嬉しいなんて思わなかった」
遥は写真を胸に抱きしめるようにして、浩一に近づいた。
そして、浩一の肩にそっと頭を預けてきた。
「浩一……ありがとう。お前がいてくれて、本当に良かった」
浩一は遥の背中にそっと手を回し、優しく抱き寄せた。
「僕こそ……遥さんの本当の姿を、ちゃんと記録できてよかった。 この写真が賞を取ったのも、遥さんが頑張ってきたからだよ。僕はただ、それをレンズで捉えただけ」
二人はしばらく無言で抱き合うように寄り添っていた。冷たいリンクの空気の中で、遥の体温がとても優しく感じられた。
遥が小さく、けれど確かに甘い声で囁いた。
「……もう、天才のフリはしなくていいんだな。浩一の前では、素の自分でいていいんだよな」
「うん。僕がずっと、遥さんの全部を受け止めるから」
浩一は遥の髪を優しく撫でながら、微笑んだ。
「これからは放課後のリンク以外でも一緒にいよう」
「はい……僕のカメラは、これからも遥さんだけを向いていますから」
遥は顔を上げ、浩一の目をまっすぐに見つめて、柔らかく笑った。
「約束な。俺のこと、ずっと好きでいてくれよ」
浩一は耳まで赤くなりながらも、はっきりと言った。
「……好きです。遥さんの全部が、大好きです」
金メダルと、準大賞の写真。
二つの「実績」は、冷たい氷の上で出会った二人の想いを、温かく照らしていた。
写真部は存続が決まり、浩一のカメラには今日も、8級の天才が世界でたった一人だけに向ける、柔らかくて甘い、本当の笑顔が静かに刻まれ続けている。
冷たい銀盤の上で始まった恋は、どんな冬も溶かさないほど熱く、優しく、続いていく——。
『放課後の嘘つきな体温』 完.



