【第四章 ライラックは友人と出会う】
帝都のパーティーに出席してから一週間ほどが経った。最低限の義理を果たしただけの出席で、何か物言いがあるかもしれないと構えていたものの、帝都、および第二皇子から何も言ってこない。時間の不備もあったのだから、強く言えないのだろう。
何事もなく、平和に過ごせているのだが、今この瞬間の藤乃は全然穏やかではなかった。
「あの、天魁様」
「なんだ」
返ってくる天魁の声がとても近い。
今日は屋敷の中で、何もしないで過ごす日と言われていた。近頃は目まぐるしく動いていたから、そういう日が必要だと。そこまでは藤乃も理解できる。
しかし、藤乃は天魁の膝の上に乗せられていることは、まったく理解ができていない。
「天魁様、食事かお茶のご用意を」
「いらない」
「繕い物があるとおっしゃって」
「いらない」
「では、琴の演奏でも」
「今はいい」
何を提案しても、突っぱねられてしまう。天魁は、藤乃の髪や指をもてあそび、時折口付けを落とす。
「あのっ、わたしは何をすればよろしいのでしょうか」
「俺の花嫁としていればいい。不満か?」
天魁は藤乃の耳元に唇を寄せて、囁くように聞いてきた。触れられたわけじゃないのに、背中がぞくぞくして、落ち着かない。胸の鼓動が嫌でも速くなってしまう。
「藤乃さんに逃げるな」
志摩が早足でやってきたと思ったら、躊躇なく天魁の頭を持っていた書類で叩いた。バサっと紙の束が音を立てる。
「邪魔するな、志摩」
「邪魔されたくないなら、仕事から逃げないでください」
天魁の藤乃への甘やかしが過ぎるのは、疲れているかららしい。長であるから、さまざまな決定権を持っているようで、仕事量はかなりのものだという。以前、執務室の前を通ったらたまたま扉が開いていて、中の様子を見たら書類が山のようになっていた。
「天魁様、お仕事が終わったらカフェに行きませんか」
「カフェか、君が行きたいと言っていたところだな」
二人で夜更かしをしたとき、夜には閉まっていたカフェが気になり、今度来ようと話したのだった。藤乃はその話を持ちだした。『屋敷で何もしない日』はどうやら甘すぎて心臓に悪いようなので、出掛ける提案をする。
志摩はわざとらしく明るい声を出した。
「いいですね、じゃあさっさと仕事を終わらせましょう」
「わーかったって」
天魁は依然めんどくさそうな態度だが、執務室に向かっていった。志摩から、ありがとうございますとでも言いたげな視線が送られて、藤乃は軽く頭を下げた。
市と綾が、デートの支度と言って張り切って藤乃の部屋にやってきた。
「着物がいい?」
「洋服がいい?」
同じ方向にこてんと首を傾げて聞いてきた。息の合った動きは何度見ても可愛らしくて、癒される。
「カフェなら、洋服がいいですね」
双子は揃って嬉しそうな顔をして頷いた。
「わかった」
「わかった」
洋服を選んだことが嬉しかったのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。藤乃の後ろで話す二人の声が聞こえてきた。本人たちは内緒話のつもりらしいが、しっかり聞こえている。
「あねさま、これがいいって言ってくれたね」
「遠慮して好きなもの言ってくれなかったから、嬉しいね」
「市がいっぱいお話ししたからだね」
「違うよ、綾がおしゃべりたくさんしたから」
小さな二人にも気を遣わせてしまっていたようだ。小さな、と言っても五十年生きている年上なのだけれど、ついつい幼い子の扱いをしてしまう。
藤乃は、内緒話は聞いていないことにして、二人に話しかける。
「市ちゃん、綾ちゃん」
思っていたより驚かせてしまったようで、二人の尻尾がぴんっと真上に伸びた。でもすぐに持ち直して、藤乃を振り返った。
「なあに」
「どうしたの」
「二人にお願いです。可愛くしてもらっても、いいですか」
藤乃が要望を伝えたことで、嬉しくなったのなら、まっすぐにお願いを伝えてみた。すると、市も綾もさっきよりもぱあっと花が咲くみたいな笑顔になった。
「もっちろん!」
「まっかせて!」
二人が取り出したのは、はじめて見る道具だった。細長い、金属の棒に見える。自慢げに藤乃へ披露する。
「じゃじゃーん、新しいのを買ったの」
「このコテを使うと、ウェーブの髪ができるの」
ウェーブの髪、と聞いて千世のことを思い浮かべた。ふわふわとした可愛らしい髪は、藤乃のまっすぐな黒髪とはだいぶ印象が違う。
「わたしに似合いますか」
市と綾はお互いに顔を見合わせてから、ぶんぶんと大きく頷いた。狐の耳が前後に揺れている。
「絶対!」
「可愛い!」
力強い二人の言葉に、藤乃はつられて頷いた。あとはただ鏡を向いて任せるだけだ。
「ねえ、あねさま最近よく笑うよね」
「はじめて会ったときも笑顔だったけどね」
二人の見事な連携でコテを使いこなして、髪をウェーブに変身させつつ同時に声を発した。
「最近はもっとすてき!」
「最近はもっとすてき!」
こうしてたくさんまっすぐに褒めてくれるから、きっと藤乃は自分のために着飾ることが好きになったのだ。
「ありがとう」
「どういたしまして」
「どういたしまして」
天魁が仕事を終えるのを待ってから、藤乃は一緒にカフェに向かう。
「はじめて見る髪型だな」
「市ちゃんと綾ちゃんがしてくれました」
「よく似合っている」
天魁はふわふわとウェーブした藤乃の髪を慈しむように触れる。自分でも新鮮で何度も髪に手を伸ばしてしまう。天魁が褒めてくれ、優しく触れられ、さらに特別な気がしてくる。
「行くぞ」
当たり前のように藤乃の手を取って、街を歩き出した。仕事を片付けたばかりで疲れているだろうに、そんな素振りを見せずに悠々と歩く。
「お仕事は大変でしたか」
「いや、一つ一つは別に大したことはない。だが、なにせ量が多い。で、溜めてしまって、さらにやる気がなくなる」
天魁は肩をすくめて困った顔をする。そうして溜まったのがいつだったか見た山積みの書類なのだろう。そして、志摩が急かしてくるという流れである。
「今日は溜めた分、すべて終わらせてきた。褒めてくれないか」
そんなことを言って、天魁は立ち止まると藤乃の背に合わせてかがんだ。普段は見上げてばかりの天魁が、ちらりとこちらを上目遣いで見てきて、藤乃の中にずるいと可愛いとドキドキが混ざり合った。
「頑張っていて、えらいです、天魁様」
緊張しすぎて片言のようになりながら褒めた。そして、どう見てもそれを促されているので、藤乃は天魁の頭をそっと撫でた。藤乃の指でさらりと揺れた銀色の髪が、陽の光で輝く。
「ああ、悪くないな」
満足したのか、天魁は姿勢を戻すと再び歩き出した。街中を歩くと、やはり視線を感じる。藤乃がそちらを見ると、目を逸らすこともなく、妖たちは笑顔で手を振ってくれる。藤乃は口元に微笑みを浮かべて、会釈を返した。
「人気者だな」
「いえ、天魁様の隣だからでございましょう」
そう答えれば、天魁は嬉しそうに笑って、繋いだ手にぐっと力がこもった。
目当てのカフェに到着して、改めて店を見上げる。レンガ造りの二階建てで、アーチを描く窓の内側にはレースのカーテンが見える。入口には今日のおすすめが可愛らしい字で書かれた看板が出迎えてくれる。
「素敵ですね」
「ああ、入るか」
天魁が扉に手をかけたとき、後ろから知らない声がした。
「――天魁様」
振り返ると、赤みを帯びた長い髪をポニーテールにまとめた中性的な妖が立っていた。さっきの声からしておそらく男性だろう。
「常盤か」
天魁が名前を呼んで、藤乃は思わずもう一度彼を見た。彼が、志摩の幼馴染だという鬼の妖だ。その耳には志摩とお揃いのピアスが光っている。
藤乃はつい本物だ、という感想を持ったが、それは口には出さなかった。話だけ聞いた幼馴染がいて、楽しくなってしまった。
「ご報告があるのですが……」
常盤は言いかけて、手を繋いで今にもカフェに入りそうな天魁と藤乃の様子を見て、途中で言葉を止めた。
それに気づかないほど、天魁の姿を見かけて急いで声をかけたのだろう。
「急ぎのご用事なのでございましょう。わたしのことはお気になさらずに」
天魁と常盤を交互に見て、藤乃はそう言った。天魁の仕事の邪魔をしたいわけではない。天魁は少し迷ったが、名残惜しそうに藤乃の手を離した。
「先に入っていてくれ。好きなものを注文して構わない」
「はい。ありがとうございます」
一礼して、天魁と常盤を見送った。どこか場所を買えるようだ。
――緊張するけど、頑張るわ
藤乃はカフェの扉に手をかける。一人ではじめてのことに挑戦するため、自分を鼓舞してから押し開けた。
「いらっしゃいませー」
入った瞬間に、甘い香りに包まれる。内装は、アンティークな木製のテーブルと椅子で統一されていて、落ち着く雰囲気だった。店員は皆お揃いのフリルのエプロンを腰辺りに身につけている。
最初に声をかけてくれた店員が、こちらへどうぞと案内してくれる。髪が桃色でとても目立っている。赤みがかった髪や、緑がかった髪は見てきたが、ここまで鮮やかな色合いは初めて見た。
「メニューをお持ちしますね」
彼女は上の方だけをツインテールにし、細いリボンを付けていて、とても可愛い。ああいう髪型はハーフツインというのだと、双子から聞いた。藤乃もしようと言われたが可愛すぎて似合わないと遠慮した。彼女はとても似合っている。
「どうぞ」
藤乃は受け取ったメニューから無難なものを、いつもの作った微笑みで注文しようとして、ぐっと抑えた。はじめてのことに挑戦するのだから。
「あの、カフェにははじめて来たのですが、何かおすすめはありますか」
「お客さんはじめてなの! いいね、最高じゃん」
自分のことのようにわくわくした様子で、店員はニカッと笑った。そして、メニューを見ることなくすらすらと話し出した。
「ハットケーキは定番でしょ。カステーラもかな。アイスクリームも種類いろいろあるよ。ショートケーキは美味しいし、プディングもこだわってる。飲み物は珈琲に紅茶、ココアあたりがいいかな」
店員は、あっと何かを思い出したように声を上げた。
「これを忘れちゃいけないよね、パフェ! 一つでいろいろ食べられて楽しいよ。あたしのおすすめ」
店員の弾けるような、本当にこの店のスイーツが好きなのだとわかる笑顔に、藤乃は顔がほころんだ。この店員に聞いてみて正解だった。
「では、パフェと紅茶をお願いします」
「かしこまりました!」
メモを取って、奥に下がりかけたが、店員は逆戻りして藤乃の席に来た。
「ねえ、あなた、一人なの? あたしもうあがるんだけど、一緒に食べてもいい?一人より二人のほうがよくない?」
帝都にいた頃には会わなかった、軽い口調も嫌ではなかった。天魁はまだ戻って来ないようだし、これもはじめての挑戦だ。
「もう一人が来るまでなら大丈夫です」
「やったあ。あなた名前は?」
「藤乃です」
「あたしは小桃。ちょっと待っててね」
店員、小桃は今度こそ注文を持って奥に戻った。別のテーブルの様子を見てみると、さっき話に出ていた、ほかほかのハットケーキがテーブルに座している。向こうの席では、二色のアイスクリームが提供されたところだった。
「お待たせしましたー」
パフェを二つと紅茶を二つ、お盆に乗せてエプロンを外した小桃がやってきた。パフェにはオレンジとグレープフルーツ、クリームがたっぷりと、一番上にはアイスクリームがちょこんと乗っている。
「いただきます」
藤乃はまずはスプーンでアイスクリームを掬って口に運ぶ。想像していたよりも甘くて、冷たくて、目を見開く。
「おいしい?」
「はい。とてもおいしいです」
「よかった」
小桃はパクパクと慣れた様子でスプーンを進めるが、一口ごとにおいしい! という顔をしていて見ていて飽きない。
「あたしの顔に何か付いてる?」
「いえ」
「もしかしてこの髪?」
小桃は指先でくるくると桃色の髪をいじりながら続ける。
「あたし、雪女なんだけど、全然らしくないって言われてさあ。髪も可愛い色のほうが楽しいじゃん? と思って染めたんだけど、両親からは不評なの。せっかく名前と一緒にしていい感じなのにね」
「似合っていて、可愛いと思いますよ」
正直、髪を染めることが妖にとっていいのか悪いのかはわからないけれど、実際この店に入って小桃に抱いた印象は『可愛い』だ。それに嘘はない。
「えー、めちゃくちゃ嬉しいんだけど。こんな風に褒めてくれる人を妖珠交換のお相手にしたいなあ」
「まだいないのですか」
「いないんだよね。あ、敬語じゃなくていいよ。たぶん同い年くらいでしょ。藤乃はお相手いないの?」
藤乃は黙って首を振った。考えてもみないことだった。藤乃は妖じゃない。いずれ帝都に帰される人の子だ。天魁といつまでも一緒にはいられない。
――あれ、わたし、今……
そこまで考えて、藤乃は自分が天魁と一緒にいたいと思っているということに気がついた。いつの間にか、天魁の隣が楽しくて、心地よくて、これがずっと続けばいいと思ってしまう。第二皇子と母に言われて来ただけだったのに、今は自分の意志がある。
「へえー、そうなりたいなって相手はいるんだ。いいね、可愛い顔してんじゃん」
にこにこと楽しそうに小桃が頬杖をついた。天魁のように表情のことを言われて、藤乃は自分の頬に手を当てる。最近はとっさに作り上げた微笑み――人形令嬢の顔――をするのが難しくなってきた。
「いいなあ。あたしはそういう妖もいないんだけどさ。できれば同じ雪の怪がいいかなって」
「同じほうがいいのですか?」
「敬語やだ」
小桃は口を尖らせて、不満ですとわかりやすく伝えてきた。藤乃は明らかに年上だとはわかっているが、人に換算すると同い年くらいだろうと推測して自分を納得させた。
「同じほうがいいの?」
藤乃の敬語が外れて満足した顔で頷いてから小桃は答えた。
「やっぱり同じだったら使う力とか似てるし、あたしは熱いものが苦手だけど、けっこう雪の怪だとそうだって妖多いし」
「そうなのね」
妖のことは知らないことばかりだ。天魁や志摩に聞いたら教えてくれるだろうか。千世に聞くのもいいかもしれない。自然と他者に頼ろうと考えていて、これではいけないと頭を振る。でも、頼ってほしいと言ってくれた言葉は、藤乃の心を軽くしてくれた。
「でも、全然違う妖でも、きっと楽しそうだよね」
「例えば、どんな妖?」
「そうだなあ」
どんな妖が相性がいいのかという話から、好きなスイーツの話、髪の手入れの話など、次々に話が広がって、藤乃と小桃は以前からの知り合いのように楽しく過ごした。
「あ、待って。もうこんな時間じゃん! あたし行かなきゃ」
「ありがとう。一緒におしゃべりできて楽しかったわ」
「またおしゃべりしようよ。あたしたち、もう友だちじゃん?」
藤乃は思わず息を飲んだ。友だち、なんて許されなくてそう呼べる相手はいなかった。小桃は藤乃を友だちと言ってくれた。
「ええ、ありがとう」
藤乃が頷いたのを見て、ニカッと笑うと、風のように駆けて行ってしまった。
藤乃の手には、いつの間にか花が生み出されていた。淡い桃色のライラックだ。花言葉は『友情』。初めてできた友だちが嬉しくて、藤乃はライラックにそっと触れた。
小桃が去ってから少しして、天魁がカフェにやってきた。申し訳なさそうに藤乃の正面に座った。
「待たせてすまない。一人で心細かっただろう」
「はい、最初は。でも店員さんが話しかけてくれて、一緒にパフェを食べて、友だちになりました」
「ほう、男か?」
カフェの店員はほとんどが女性だ。天魁もそれは知っているから、藤乃はそれが軽い冗談なのだとわかる。天魁はにやりと口端を上げてやり取りを楽しんでいる。
「可愛い雪女の女の子です」
「そうか。初めてできた友人だから、大事にするといい」
藤乃はもうパフェを食べてしまったから、持ち帰りでスイーツを買っていくことにした。志摩にはプディング、市と綾にはショートケーキがいいかも、と天魁と相談しながら選んでいく。
「天魁様はどうしますか」
「藤乃が食べたパフェは美味しかったか」
「はい、美味しかったです」
「それも頼めるか」
店員は、かしこまりましたと返答する。パフェは持ち帰る間にアイスクリームが溶けてしまうのではと心配になる。
「雪女の店員が吹雪を閉じ込めた箱がありますので、そちらに入れてお渡しします。少々お待ちください」
雪女の店員とは、小桃のことだろう。彼女のおかげでパフェも無事に持ち帰れそうだ。
帰り道、また天魁と手を繋いで街を歩く。他愛のない話をしている中で、はたと藤乃はカフェでの話を思い出して、不思議に思った。
――どうして天魁様は、“はじめて”の友だちと知っているの……?
藤乃と天魁はスイーツを持って屋敷に戻ってきた。
「やあ!」
「たあ!」
玄関を開けた瞬間に、力のこもった市と綾の声が聞こえ、二人が小さな狐火とともに飛んできた。
「なっ」
さすがの天魁もこの奇襲には驚きの声を上げた。藤乃はびっくりしすぎてただただ固まっていた。
だが、天魁はすぐに片手を振るって二人の攻撃を弾いた。いつものように飛ばされながらも華麗に着地をするかと思いきや、市と綾は勢いよく飛んでいき、柱にしたたかに体を打った。
「うっ」
「あっ」
ゴンと痛そうな音が響いて、二人は柱の下に伸びている。天魁が慌てて駆け寄った。
「すまない、大丈夫か」
「平気平気」
「何ともないって」
市も綾もすぐに起き上がったが、天魁の顔は険しい。音を聞いて駆けつけた志摩に指示を出した。
「市と綾を千世さんのところに連れていってくれ」
「わかりました」
了承をしてから、志摩は小声で天魁に囁いた。それは傍にいた藤乃の耳にも聞こえてきた。
「……早く妖珠の交換相手を探すべきです。でなければ、天魁が守りたい妖都の皆を傷つけることになりかねません」
「ああ……」
それから志摩は、大丈夫だと言う市と綾をひょいと両脇に抱える。じたばたしているが、志摩の力には敵わないらしく、次第に大人しくなった。
「では、いってまいります」
険しい顔で志摩たちを見送ったあと、藤乃の手にあるカフェのお土産を見て弱々しく笑った。
「それは、あいつらが帰ってきてからだな」
「そうですね。一度仕舞っておきます」
屋敷に持って帰ったのだから、冷蔵庫に入れて皆で食べればいい。しかし、天魁が本当に気にしているのはスイーツではなく、双子のことだろう。
ぽつりと、天魁は話し出した。
「俺は妖力が強い。だから長になった」
「はい」
藤乃は短く相槌だけ打って、話を聞く態勢を取る。
「妖珠の交換は必要ないと思ってきた。だが、徐々に力が強くなってきているんだ、とっさに抑えきれないくらいに」
天魁は何かの感触を確かめるように、自分の手を閉じたり開いたりする。妖都とそこに住む皆を守るために、天魁の屋敷は入り口近くにあると言っていた。そんな天魁が誰かを傷つけることなんて、望んではいない。
「妖珠を交換すれば、収まるのですか」
「少なくとも志摩はそう考えている。妖力の正しい使い方は強くなるだけじゃない、コントロールを失う前に早くしろってな」
口振りから、確証はないものの天魁も同じように考えているのだろう。
藤乃は、本当は聞きたくないけれど、そんな気持ちはぐっと押し込めて天魁に尋ねた。
「お相手の方は……?」
「いない」
天魁は、以前と同じく即答したものの、顔を曇らせて続けた。
「だが、考えなければならないだろう」
藤乃の心の中にはもやもやとしたものが渦巻く。いくら藤乃が天魁の隣にいるのが楽しい、心地いいと言っても、天魁に妖珠を交換するほどの相手ができたのなら、一緒にはいられない。
そもそも、妖と人では生きる時間が違う。藤乃が天魁といられるのはほんのひと時でしかないのだ。
藤乃は、久しぶりに正しい微笑みを貼り付けて、天魁に伝えた。
「よい御相手が見つかるといいですね」
天魁の返答も待たずに藤乃は部屋に駆けていった。
*
天魁はガシガシと自分の頭を掻いた。藤乃の人形のような微笑みを見て、自分への苛立ちが溢れてくる。感情を全部押し込めたような、そんな笑顔をしてほしくなくて、天魁は行動してきたというのに。天魁の言動でまたあの顔をさせてしまった。
「くそっ」
カフェでは、藤乃が店員と楽しそうに話しているのが見えて、少し時間を置いてから戻ったのだった。同世代の友人ができるのは、きっと藤乃にとっていいことだろうから。
それに、常盤からの報告も気がかりだった。常盤は教師をしており、帝都にも教師の仕事の一環でよく行き来する。だから、帝都で何か気になることがあれば、報告するように指示を出してある。
「第二皇子が仕掛けてくるかもしれないか……何もなければ、それはそれでいいんだが」
天魁は妖都の長だ。妖都を守ることが役目だ。そのためなら必要なことはすべてやるべきだ。
「交換相手か……」
妖珠を交換する相手を見つけなければならない。わかっている。けれど、自分の命の次に大事なものを預けるような妖を見つけられるだろうか。同じように、その妖の大切なものを預かる覚悟を持てるか。
強いのだから、交換は必要ないと避けてきたというのに、強いゆえに考えねばならなくなるなんて、皮肉なものである。
天魁は、藤乃が走り去った部屋の方向へ視線を向ける。藤乃のことは、いつか手放さなければ、帝都に返さなければならない。たとえ何年も見守ってきた愛おしい相手だとしても。
「わかっている、わかっている」
わざと声に出しても、少しもわかってくれないこの頭は、相当に厄介だ。
帝都のパーティーに出席してから一週間ほどが経った。最低限の義理を果たしただけの出席で、何か物言いがあるかもしれないと構えていたものの、帝都、および第二皇子から何も言ってこない。時間の不備もあったのだから、強く言えないのだろう。
何事もなく、平和に過ごせているのだが、今この瞬間の藤乃は全然穏やかではなかった。
「あの、天魁様」
「なんだ」
返ってくる天魁の声がとても近い。
今日は屋敷の中で、何もしないで過ごす日と言われていた。近頃は目まぐるしく動いていたから、そういう日が必要だと。そこまでは藤乃も理解できる。
しかし、藤乃は天魁の膝の上に乗せられていることは、まったく理解ができていない。
「天魁様、食事かお茶のご用意を」
「いらない」
「繕い物があるとおっしゃって」
「いらない」
「では、琴の演奏でも」
「今はいい」
何を提案しても、突っぱねられてしまう。天魁は、藤乃の髪や指をもてあそび、時折口付けを落とす。
「あのっ、わたしは何をすればよろしいのでしょうか」
「俺の花嫁としていればいい。不満か?」
天魁は藤乃の耳元に唇を寄せて、囁くように聞いてきた。触れられたわけじゃないのに、背中がぞくぞくして、落ち着かない。胸の鼓動が嫌でも速くなってしまう。
「藤乃さんに逃げるな」
志摩が早足でやってきたと思ったら、躊躇なく天魁の頭を持っていた書類で叩いた。バサっと紙の束が音を立てる。
「邪魔するな、志摩」
「邪魔されたくないなら、仕事から逃げないでください」
天魁の藤乃への甘やかしが過ぎるのは、疲れているかららしい。長であるから、さまざまな決定権を持っているようで、仕事量はかなりのものだという。以前、執務室の前を通ったらたまたま扉が開いていて、中の様子を見たら書類が山のようになっていた。
「天魁様、お仕事が終わったらカフェに行きませんか」
「カフェか、君が行きたいと言っていたところだな」
二人で夜更かしをしたとき、夜には閉まっていたカフェが気になり、今度来ようと話したのだった。藤乃はその話を持ちだした。『屋敷で何もしない日』はどうやら甘すぎて心臓に悪いようなので、出掛ける提案をする。
志摩はわざとらしく明るい声を出した。
「いいですね、じゃあさっさと仕事を終わらせましょう」
「わーかったって」
天魁は依然めんどくさそうな態度だが、執務室に向かっていった。志摩から、ありがとうございますとでも言いたげな視線が送られて、藤乃は軽く頭を下げた。
市と綾が、デートの支度と言って張り切って藤乃の部屋にやってきた。
「着物がいい?」
「洋服がいい?」
同じ方向にこてんと首を傾げて聞いてきた。息の合った動きは何度見ても可愛らしくて、癒される。
「カフェなら、洋服がいいですね」
双子は揃って嬉しそうな顔をして頷いた。
「わかった」
「わかった」
洋服を選んだことが嬉しかったのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。藤乃の後ろで話す二人の声が聞こえてきた。本人たちは内緒話のつもりらしいが、しっかり聞こえている。
「あねさま、これがいいって言ってくれたね」
「遠慮して好きなもの言ってくれなかったから、嬉しいね」
「市がいっぱいお話ししたからだね」
「違うよ、綾がおしゃべりたくさんしたから」
小さな二人にも気を遣わせてしまっていたようだ。小さな、と言っても五十年生きている年上なのだけれど、ついつい幼い子の扱いをしてしまう。
藤乃は、内緒話は聞いていないことにして、二人に話しかける。
「市ちゃん、綾ちゃん」
思っていたより驚かせてしまったようで、二人の尻尾がぴんっと真上に伸びた。でもすぐに持ち直して、藤乃を振り返った。
「なあに」
「どうしたの」
「二人にお願いです。可愛くしてもらっても、いいですか」
藤乃が要望を伝えたことで、嬉しくなったのなら、まっすぐにお願いを伝えてみた。すると、市も綾もさっきよりもぱあっと花が咲くみたいな笑顔になった。
「もっちろん!」
「まっかせて!」
二人が取り出したのは、はじめて見る道具だった。細長い、金属の棒に見える。自慢げに藤乃へ披露する。
「じゃじゃーん、新しいのを買ったの」
「このコテを使うと、ウェーブの髪ができるの」
ウェーブの髪、と聞いて千世のことを思い浮かべた。ふわふわとした可愛らしい髪は、藤乃のまっすぐな黒髪とはだいぶ印象が違う。
「わたしに似合いますか」
市と綾はお互いに顔を見合わせてから、ぶんぶんと大きく頷いた。狐の耳が前後に揺れている。
「絶対!」
「可愛い!」
力強い二人の言葉に、藤乃はつられて頷いた。あとはただ鏡を向いて任せるだけだ。
「ねえ、あねさま最近よく笑うよね」
「はじめて会ったときも笑顔だったけどね」
二人の見事な連携でコテを使いこなして、髪をウェーブに変身させつつ同時に声を発した。
「最近はもっとすてき!」
「最近はもっとすてき!」
こうしてたくさんまっすぐに褒めてくれるから、きっと藤乃は自分のために着飾ることが好きになったのだ。
「ありがとう」
「どういたしまして」
「どういたしまして」
天魁が仕事を終えるのを待ってから、藤乃は一緒にカフェに向かう。
「はじめて見る髪型だな」
「市ちゃんと綾ちゃんがしてくれました」
「よく似合っている」
天魁はふわふわとウェーブした藤乃の髪を慈しむように触れる。自分でも新鮮で何度も髪に手を伸ばしてしまう。天魁が褒めてくれ、優しく触れられ、さらに特別な気がしてくる。
「行くぞ」
当たり前のように藤乃の手を取って、街を歩き出した。仕事を片付けたばかりで疲れているだろうに、そんな素振りを見せずに悠々と歩く。
「お仕事は大変でしたか」
「いや、一つ一つは別に大したことはない。だが、なにせ量が多い。で、溜めてしまって、さらにやる気がなくなる」
天魁は肩をすくめて困った顔をする。そうして溜まったのがいつだったか見た山積みの書類なのだろう。そして、志摩が急かしてくるという流れである。
「今日は溜めた分、すべて終わらせてきた。褒めてくれないか」
そんなことを言って、天魁は立ち止まると藤乃の背に合わせてかがんだ。普段は見上げてばかりの天魁が、ちらりとこちらを上目遣いで見てきて、藤乃の中にずるいと可愛いとドキドキが混ざり合った。
「頑張っていて、えらいです、天魁様」
緊張しすぎて片言のようになりながら褒めた。そして、どう見てもそれを促されているので、藤乃は天魁の頭をそっと撫でた。藤乃の指でさらりと揺れた銀色の髪が、陽の光で輝く。
「ああ、悪くないな」
満足したのか、天魁は姿勢を戻すと再び歩き出した。街中を歩くと、やはり視線を感じる。藤乃がそちらを見ると、目を逸らすこともなく、妖たちは笑顔で手を振ってくれる。藤乃は口元に微笑みを浮かべて、会釈を返した。
「人気者だな」
「いえ、天魁様の隣だからでございましょう」
そう答えれば、天魁は嬉しそうに笑って、繋いだ手にぐっと力がこもった。
目当てのカフェに到着して、改めて店を見上げる。レンガ造りの二階建てで、アーチを描く窓の内側にはレースのカーテンが見える。入口には今日のおすすめが可愛らしい字で書かれた看板が出迎えてくれる。
「素敵ですね」
「ああ、入るか」
天魁が扉に手をかけたとき、後ろから知らない声がした。
「――天魁様」
振り返ると、赤みを帯びた長い髪をポニーテールにまとめた中性的な妖が立っていた。さっきの声からしておそらく男性だろう。
「常盤か」
天魁が名前を呼んで、藤乃は思わずもう一度彼を見た。彼が、志摩の幼馴染だという鬼の妖だ。その耳には志摩とお揃いのピアスが光っている。
藤乃はつい本物だ、という感想を持ったが、それは口には出さなかった。話だけ聞いた幼馴染がいて、楽しくなってしまった。
「ご報告があるのですが……」
常盤は言いかけて、手を繋いで今にもカフェに入りそうな天魁と藤乃の様子を見て、途中で言葉を止めた。
それに気づかないほど、天魁の姿を見かけて急いで声をかけたのだろう。
「急ぎのご用事なのでございましょう。わたしのことはお気になさらずに」
天魁と常盤を交互に見て、藤乃はそう言った。天魁の仕事の邪魔をしたいわけではない。天魁は少し迷ったが、名残惜しそうに藤乃の手を離した。
「先に入っていてくれ。好きなものを注文して構わない」
「はい。ありがとうございます」
一礼して、天魁と常盤を見送った。どこか場所を買えるようだ。
――緊張するけど、頑張るわ
藤乃はカフェの扉に手をかける。一人ではじめてのことに挑戦するため、自分を鼓舞してから押し開けた。
「いらっしゃいませー」
入った瞬間に、甘い香りに包まれる。内装は、アンティークな木製のテーブルと椅子で統一されていて、落ち着く雰囲気だった。店員は皆お揃いのフリルのエプロンを腰辺りに身につけている。
最初に声をかけてくれた店員が、こちらへどうぞと案内してくれる。髪が桃色でとても目立っている。赤みがかった髪や、緑がかった髪は見てきたが、ここまで鮮やかな色合いは初めて見た。
「メニューをお持ちしますね」
彼女は上の方だけをツインテールにし、細いリボンを付けていて、とても可愛い。ああいう髪型はハーフツインというのだと、双子から聞いた。藤乃もしようと言われたが可愛すぎて似合わないと遠慮した。彼女はとても似合っている。
「どうぞ」
藤乃は受け取ったメニューから無難なものを、いつもの作った微笑みで注文しようとして、ぐっと抑えた。はじめてのことに挑戦するのだから。
「あの、カフェにははじめて来たのですが、何かおすすめはありますか」
「お客さんはじめてなの! いいね、最高じゃん」
自分のことのようにわくわくした様子で、店員はニカッと笑った。そして、メニューを見ることなくすらすらと話し出した。
「ハットケーキは定番でしょ。カステーラもかな。アイスクリームも種類いろいろあるよ。ショートケーキは美味しいし、プディングもこだわってる。飲み物は珈琲に紅茶、ココアあたりがいいかな」
店員は、あっと何かを思い出したように声を上げた。
「これを忘れちゃいけないよね、パフェ! 一つでいろいろ食べられて楽しいよ。あたしのおすすめ」
店員の弾けるような、本当にこの店のスイーツが好きなのだとわかる笑顔に、藤乃は顔がほころんだ。この店員に聞いてみて正解だった。
「では、パフェと紅茶をお願いします」
「かしこまりました!」
メモを取って、奥に下がりかけたが、店員は逆戻りして藤乃の席に来た。
「ねえ、あなた、一人なの? あたしもうあがるんだけど、一緒に食べてもいい?一人より二人のほうがよくない?」
帝都にいた頃には会わなかった、軽い口調も嫌ではなかった。天魁はまだ戻って来ないようだし、これもはじめての挑戦だ。
「もう一人が来るまでなら大丈夫です」
「やったあ。あなた名前は?」
「藤乃です」
「あたしは小桃。ちょっと待っててね」
店員、小桃は今度こそ注文を持って奥に戻った。別のテーブルの様子を見てみると、さっき話に出ていた、ほかほかのハットケーキがテーブルに座している。向こうの席では、二色のアイスクリームが提供されたところだった。
「お待たせしましたー」
パフェを二つと紅茶を二つ、お盆に乗せてエプロンを外した小桃がやってきた。パフェにはオレンジとグレープフルーツ、クリームがたっぷりと、一番上にはアイスクリームがちょこんと乗っている。
「いただきます」
藤乃はまずはスプーンでアイスクリームを掬って口に運ぶ。想像していたよりも甘くて、冷たくて、目を見開く。
「おいしい?」
「はい。とてもおいしいです」
「よかった」
小桃はパクパクと慣れた様子でスプーンを進めるが、一口ごとにおいしい! という顔をしていて見ていて飽きない。
「あたしの顔に何か付いてる?」
「いえ」
「もしかしてこの髪?」
小桃は指先でくるくると桃色の髪をいじりながら続ける。
「あたし、雪女なんだけど、全然らしくないって言われてさあ。髪も可愛い色のほうが楽しいじゃん? と思って染めたんだけど、両親からは不評なの。せっかく名前と一緒にしていい感じなのにね」
「似合っていて、可愛いと思いますよ」
正直、髪を染めることが妖にとっていいのか悪いのかはわからないけれど、実際この店に入って小桃に抱いた印象は『可愛い』だ。それに嘘はない。
「えー、めちゃくちゃ嬉しいんだけど。こんな風に褒めてくれる人を妖珠交換のお相手にしたいなあ」
「まだいないのですか」
「いないんだよね。あ、敬語じゃなくていいよ。たぶん同い年くらいでしょ。藤乃はお相手いないの?」
藤乃は黙って首を振った。考えてもみないことだった。藤乃は妖じゃない。いずれ帝都に帰される人の子だ。天魁といつまでも一緒にはいられない。
――あれ、わたし、今……
そこまで考えて、藤乃は自分が天魁と一緒にいたいと思っているということに気がついた。いつの間にか、天魁の隣が楽しくて、心地よくて、これがずっと続けばいいと思ってしまう。第二皇子と母に言われて来ただけだったのに、今は自分の意志がある。
「へえー、そうなりたいなって相手はいるんだ。いいね、可愛い顔してんじゃん」
にこにこと楽しそうに小桃が頬杖をついた。天魁のように表情のことを言われて、藤乃は自分の頬に手を当てる。最近はとっさに作り上げた微笑み――人形令嬢の顔――をするのが難しくなってきた。
「いいなあ。あたしはそういう妖もいないんだけどさ。できれば同じ雪の怪がいいかなって」
「同じほうがいいのですか?」
「敬語やだ」
小桃は口を尖らせて、不満ですとわかりやすく伝えてきた。藤乃は明らかに年上だとはわかっているが、人に換算すると同い年くらいだろうと推測して自分を納得させた。
「同じほうがいいの?」
藤乃の敬語が外れて満足した顔で頷いてから小桃は答えた。
「やっぱり同じだったら使う力とか似てるし、あたしは熱いものが苦手だけど、けっこう雪の怪だとそうだって妖多いし」
「そうなのね」
妖のことは知らないことばかりだ。天魁や志摩に聞いたら教えてくれるだろうか。千世に聞くのもいいかもしれない。自然と他者に頼ろうと考えていて、これではいけないと頭を振る。でも、頼ってほしいと言ってくれた言葉は、藤乃の心を軽くしてくれた。
「でも、全然違う妖でも、きっと楽しそうだよね」
「例えば、どんな妖?」
「そうだなあ」
どんな妖が相性がいいのかという話から、好きなスイーツの話、髪の手入れの話など、次々に話が広がって、藤乃と小桃は以前からの知り合いのように楽しく過ごした。
「あ、待って。もうこんな時間じゃん! あたし行かなきゃ」
「ありがとう。一緒におしゃべりできて楽しかったわ」
「またおしゃべりしようよ。あたしたち、もう友だちじゃん?」
藤乃は思わず息を飲んだ。友だち、なんて許されなくてそう呼べる相手はいなかった。小桃は藤乃を友だちと言ってくれた。
「ええ、ありがとう」
藤乃が頷いたのを見て、ニカッと笑うと、風のように駆けて行ってしまった。
藤乃の手には、いつの間にか花が生み出されていた。淡い桃色のライラックだ。花言葉は『友情』。初めてできた友だちが嬉しくて、藤乃はライラックにそっと触れた。
小桃が去ってから少しして、天魁がカフェにやってきた。申し訳なさそうに藤乃の正面に座った。
「待たせてすまない。一人で心細かっただろう」
「はい、最初は。でも店員さんが話しかけてくれて、一緒にパフェを食べて、友だちになりました」
「ほう、男か?」
カフェの店員はほとんどが女性だ。天魁もそれは知っているから、藤乃はそれが軽い冗談なのだとわかる。天魁はにやりと口端を上げてやり取りを楽しんでいる。
「可愛い雪女の女の子です」
「そうか。初めてできた友人だから、大事にするといい」
藤乃はもうパフェを食べてしまったから、持ち帰りでスイーツを買っていくことにした。志摩にはプディング、市と綾にはショートケーキがいいかも、と天魁と相談しながら選んでいく。
「天魁様はどうしますか」
「藤乃が食べたパフェは美味しかったか」
「はい、美味しかったです」
「それも頼めるか」
店員は、かしこまりましたと返答する。パフェは持ち帰る間にアイスクリームが溶けてしまうのではと心配になる。
「雪女の店員が吹雪を閉じ込めた箱がありますので、そちらに入れてお渡しします。少々お待ちください」
雪女の店員とは、小桃のことだろう。彼女のおかげでパフェも無事に持ち帰れそうだ。
帰り道、また天魁と手を繋いで街を歩く。他愛のない話をしている中で、はたと藤乃はカフェでの話を思い出して、不思議に思った。
――どうして天魁様は、“はじめて”の友だちと知っているの……?
藤乃と天魁はスイーツを持って屋敷に戻ってきた。
「やあ!」
「たあ!」
玄関を開けた瞬間に、力のこもった市と綾の声が聞こえ、二人が小さな狐火とともに飛んできた。
「なっ」
さすがの天魁もこの奇襲には驚きの声を上げた。藤乃はびっくりしすぎてただただ固まっていた。
だが、天魁はすぐに片手を振るって二人の攻撃を弾いた。いつものように飛ばされながらも華麗に着地をするかと思いきや、市と綾は勢いよく飛んでいき、柱にしたたかに体を打った。
「うっ」
「あっ」
ゴンと痛そうな音が響いて、二人は柱の下に伸びている。天魁が慌てて駆け寄った。
「すまない、大丈夫か」
「平気平気」
「何ともないって」
市も綾もすぐに起き上がったが、天魁の顔は険しい。音を聞いて駆けつけた志摩に指示を出した。
「市と綾を千世さんのところに連れていってくれ」
「わかりました」
了承をしてから、志摩は小声で天魁に囁いた。それは傍にいた藤乃の耳にも聞こえてきた。
「……早く妖珠の交換相手を探すべきです。でなければ、天魁が守りたい妖都の皆を傷つけることになりかねません」
「ああ……」
それから志摩は、大丈夫だと言う市と綾をひょいと両脇に抱える。じたばたしているが、志摩の力には敵わないらしく、次第に大人しくなった。
「では、いってまいります」
険しい顔で志摩たちを見送ったあと、藤乃の手にあるカフェのお土産を見て弱々しく笑った。
「それは、あいつらが帰ってきてからだな」
「そうですね。一度仕舞っておきます」
屋敷に持って帰ったのだから、冷蔵庫に入れて皆で食べればいい。しかし、天魁が本当に気にしているのはスイーツではなく、双子のことだろう。
ぽつりと、天魁は話し出した。
「俺は妖力が強い。だから長になった」
「はい」
藤乃は短く相槌だけ打って、話を聞く態勢を取る。
「妖珠の交換は必要ないと思ってきた。だが、徐々に力が強くなってきているんだ、とっさに抑えきれないくらいに」
天魁は何かの感触を確かめるように、自分の手を閉じたり開いたりする。妖都とそこに住む皆を守るために、天魁の屋敷は入り口近くにあると言っていた。そんな天魁が誰かを傷つけることなんて、望んではいない。
「妖珠を交換すれば、収まるのですか」
「少なくとも志摩はそう考えている。妖力の正しい使い方は強くなるだけじゃない、コントロールを失う前に早くしろってな」
口振りから、確証はないものの天魁も同じように考えているのだろう。
藤乃は、本当は聞きたくないけれど、そんな気持ちはぐっと押し込めて天魁に尋ねた。
「お相手の方は……?」
「いない」
天魁は、以前と同じく即答したものの、顔を曇らせて続けた。
「だが、考えなければならないだろう」
藤乃の心の中にはもやもやとしたものが渦巻く。いくら藤乃が天魁の隣にいるのが楽しい、心地いいと言っても、天魁に妖珠を交換するほどの相手ができたのなら、一緒にはいられない。
そもそも、妖と人では生きる時間が違う。藤乃が天魁といられるのはほんのひと時でしかないのだ。
藤乃は、久しぶりに正しい微笑みを貼り付けて、天魁に伝えた。
「よい御相手が見つかるといいですね」
天魁の返答も待たずに藤乃は部屋に駆けていった。
*
天魁はガシガシと自分の頭を掻いた。藤乃の人形のような微笑みを見て、自分への苛立ちが溢れてくる。感情を全部押し込めたような、そんな笑顔をしてほしくなくて、天魁は行動してきたというのに。天魁の言動でまたあの顔をさせてしまった。
「くそっ」
カフェでは、藤乃が店員と楽しそうに話しているのが見えて、少し時間を置いてから戻ったのだった。同世代の友人ができるのは、きっと藤乃にとっていいことだろうから。
それに、常盤からの報告も気がかりだった。常盤は教師をしており、帝都にも教師の仕事の一環でよく行き来する。だから、帝都で何か気になることがあれば、報告するように指示を出してある。
「第二皇子が仕掛けてくるかもしれないか……何もなければ、それはそれでいいんだが」
天魁は妖都の長だ。妖都を守ることが役目だ。そのためなら必要なことはすべてやるべきだ。
「交換相手か……」
妖珠を交換する相手を見つけなければならない。わかっている。けれど、自分の命の次に大事なものを預けるような妖を見つけられるだろうか。同じように、その妖の大切なものを預かる覚悟を持てるか。
強いのだから、交換は必要ないと避けてきたというのに、強いゆえに考えねばならなくなるなんて、皮肉なものである。
天魁は、藤乃が走り去った部屋の方向へ視線を向ける。藤乃のことは、いつか手放さなければ、帝都に返さなければならない。たとえ何年も見守ってきた愛おしい相手だとしても。
「わかっている、わかっている」
わざと声に出しても、少しもわかってくれないこの頭は、相当に厄介だ。



