暁の檻で、極悪な愛からは逃げられない

「屋敷を出てしばらく経ってからでした。出てすぐではなかったのは、おそらく襲撃犯と商人との関わりを悟らせないためかと。物盗りにみせて殺すつもりだったのでしょう。襲ってきた人数が少なくて助かりました。とはいっても、ひとりでは間違いなく()られていましたが」
「報告は後で聞くとして、お前が無事ならいい。もし、これでまだ数字が残っていたのなら、もう諦めろと言うつもりだった」
「お冷たいことで」
「今更」

 尋はわざとらしく肩をすくめた荊を一瞥しただけで、「さて」と視線を正面の涼子へと向ける。

「これでハッキリした。間違いなく、お前には死期が見えるようだな」
「……はい」

 荊の命を救えたのも信じてもらえたのも良かったが、それと、異能を受け入れてもらえるかは別問題であった。先程まで、荊が無事で良かったと安堵していたものの、今はキュッと心臓を絞られたような嫌な緊張感でいっぱいだった。

「私の処遇はどのようになるのでしょうか」

 死期を知って良いことなどない。
 今回のように毎度回避できるわけではないし、そうなると、ただただ相手に恐怖を与えるだけだ。そんな相手が近くにいるなど、正直厄介だし気味悪いだろう。

「処遇?」
「だって、気味悪いですよね……こんな異能。本来なら治癒の異能を持って生まれてくるはずだったのに、治癒がないどころか死期だなんて不吉過ぎます」

 言いながら、涼子の顔は段々と俯いていく。しかし、「ははっ!」と尋の哄笑が聞こえ、驚きに顔を跳ね上げた。
 彼は笑っていた。
 嘲笑や皮肉的なものではなく、本当にただ普通に笑っていた。肘掛けに肘をついて、俯きがちに頭を支えて笑う姿は、今までの彼からは想像できないもので、思わず涼子もポカンと薄口を開けてしまう。
 尋はやっと笑いを収めると、黒い瞳だけを滑らせ、下から見上げるようにして涼子を見る。そして、口角をつり上げたままの口を開いた。

「冗談」

 そう言って、さらに口角をつり上げ不敵に微笑む姿に、涼子は息をのんでしまった。
 彼は椅子から立ち上がると、卓を回り込むようにしてゆっくりと近付いてくる。歩みはゆっくりなのに足が長いせいで一歩が広く、あっという間に涼子が座るソファまで辿り付いた。涼子の囲うようにソファの背もたれに両手をついて、視線を強引に合わせにくる。

「最高だよ、お前」
「な、何が、でしょうか」

 くしくも、涼子はいつかの日とまったく同じ状況に置かれてしまう。しかし、見つめてくる彼の瞳だけは、あの日とはまったくの別物だった。
 あの時は、一切の温度も感情も感じられない、恐ろしいほどに冷めたものだったのに、今は奥にギラリとした欲がチラついている。それは甘さや熱っぽさとも違う、獲物を捕獲した時の興奮や高揚と似ていた。

「常に死と隣り合わせの俺達にとって、死期がわかるってのは重要な情報になる」
「一般の方々に比べると、私達は断然殺されるほうが多いでしょうからね。死期がわかるということは、殺される日がわかるも同じ。今回のように前もって対処できるのはとてもありがたいのですよ」

 尋の向こう側から飛んできた荊の言葉に、涼子は「え」と耳を疑った。

「つまり……この力は……誰かの役に立つということですか」
「誰かのじゃない。俺達、冬月一家の役に、だ」

 涼子は口をハクと動かした。しかし、出てくるのは空音ばかり。何か言わなければと思って懸命に口を動かすのだが、すべて声にはならなかった。
 涼子は唇を噛んで、尋の視線から隠すように顔を俯けた。

「確かに、表の世界で平々凡々に暮らしている血の臭いと縁遠い奴らには、大して良い異能じゃなかったんだろうさ」

(どうして……っ)

 ()()()()を、夫からではなく、お金で自分を買った者から教えられるのか。
 誰かに必要とされることの喜びを、涼子は生まれてはじめて知った。
 相手は極道だ。冷酷非道と噂のある者だ。血まみれで帰ってくるような危険な世界で生きる、自分とは本来相容れない者だというのに。
 それでも、必要としてくれることが――この異能を最高だと、ありがたいと言ってくれることが嬉しくて堪らなかった。

「誰もいらないって言うんなら、俺が使ってやるよ」

 たとえそれが、買った()に対する評価だとしても。

「……ったく、泣くなよ」

 尋の大きな手が、涼子の濡れた頬を乱暴に拭った。


 
        ◆



 仕事があるからと涼子が去った後の部屋で、尋と荊は昨日から立て続けに起こった襲撃について話し合っていた。

「問題は、昨日と今日の襲撃犯が同一組織かそうでないかだが……どうだ荊、吐いたか」
「ええ、すんなりと。おかげで破落戸(ごろつき)が金で雇われただけだって自白が、真実味を帯びましたね。そういえば、昨日の襲撃にいた者が今日もいましたよ」
「なるほど、首謀者は雇った者達は使い潰すつもりか」
「こちらの首を獲れれば儲けもの。獲れなくても死ぬまで使い潰すと。むしろ死んでくれた方が口封じもできて一石二鳥ですし」
「随分と打算的な首謀者だ。私兵を使わないところをみると、同業者(極道)じゃないな」

 裏の者といっても、目的のためならといってなんでもかんでもやるわけではない。この世界に住む者にも矜持がある。冬月一家のように組織で動く者達は、襲撃に破落戸(ごろつき)など金で雇った者は使わない。万が一、破落戸が手柄を上げても、それは組織の誉れとはならないからだ。

「相手が個人だと、辿りづらいんですよね」

 チッ、と尋は舌打ちをする。

「狙いはなんだ……状況だけで言えば、荊を狙ったように見えるが……」

 しかし、なぜ荊を狙う必要がある。しかも、なぜ今なのか。
 彼は尋が総代を引き継いでからずっと、側近として帝都の監視してきた。自分と違い、荊は街中を歩くことも少なくはない。もし恨みを持った者がいるのなら、とっくに襲撃されていておかしくないというのに、この三年間は、真っ昼間からの襲撃など一度もなかった。
 なぜ急に、しかも今までの勢力とは違う者達が荊を狙うのか。

「ここ最近で、何か変わったことでもありましたっけ」
「いや、特には……」

 帝都のしのぎは滞りなく回収できている。帝都以外を任せている者達からも、緊急の事案や問題事があるといった報告は聞かない。

「では、諜報班から何か報せは?」
「ないな」

 冬月一家は、茶屋や宿屋、置屋など人が集まる場所に、諜報班という女の徒衆を密かに潜り込ませている。夜の遊び場や食事の場というのは、人が無防備になりやすく様々な情報を集めるにはうってつけの場所だった。
 しかし、やはりそちらからも、今回のことに関係ありそうな情報は上がってきていない。

「外部でないとすると本家(ここ)の問題でしょうけど」

「うちで最近変わったことな……」と、記憶を辿ろうとして気がついた。

「そうだ……彼女だ」

 闇オークションで涼子を買った。彼女は冬月一家という括りではないから、選択肢から除外していたが、彼女が屋敷で女中として住みはじめたことが、ここ最近での一番の変化だろう。
 よく考えたら、彼女については『神祇省家の娘』ということと『涼子』という名しか知らない。家名も家族の有無も、なにひとつ知らない。闇オークションで売られる時点で、訳ありなのはわかっていた。しかし、その訳を聞こうとも思わなかった。彼女に同情したからではない。単純に、ただの女中に興味などなかったからだ。

「待てよ。そういえば以前、神祇省を嗅ぎ回ってる輩がいるって話しがあった気がするな。一ヶ月くらい前か……」

 涼子と荊の襲撃がどのように繋がるかは、今のところ情報が少なすぎてま判然としない。だが、完全に無関係と無視するにはあまりにも。

「荊、彼女について調べろ」
「かしこまりました」

 さて、吉と出るか凶と出るか。





「そういえば珍しいですね」

 部屋を出て行こうとしていた荊が、ふと足を止め天井を見上げた。

「何がだ?」
「尋が、女の涙を拭うなんて」

 言われて、尋は『そういえば』と自分の手を見やった。仕事でも籠絡するでも殺すでもなく女に触れたのは、いつぶりだろうか。
 チャリ、と聞き慣れた涼やかな音がした。

「まさか、(ほだ)されたのですか」

 顔だけで振り返った荊が、チェーンが揺れる眼鏡の奥から、ニコリと綺麗な笑みを向けてくる。
 この側近は言いたいことがある時ほど、胡散臭い笑顔を向けてくるクセがあった。そして、長い付き合いの尋には、彼の言いたいことなど訊かずともわかる。
 尋は、ふっと鼻で薄く笑うと、見つめていた手を握った。

「別に、徒衆の手当をしてもらった礼だよ」
「そうですか。ならば良いのですよ」

 荊はまたニコリと目を糸にすると、静かに部屋を出て行った。
 尋は握った手に視線を落とすと、再びゆっくりと手を開いた。涙を拭ったことなど何もなかったように、掌にはなんの跡も残っていない。彼女の涙を拭った理由を手当の礼と言ったが、正直なところ自分でもわからなかった。
 ただ、流れ落ちる透明な雫を綺麗だとは思った。それだけだ……。

「ハハッ、絆されるわけないだろ」

 荊は、嫌みや皮肉で言ったわけではない。『大切な者を作るな』という、この世界で生きる者が(こん)(こん)と言われ続けてきた言葉を忘れたのか、と念を押しただけだ。

「俺は……当主なんだから」