暁の檻で、極悪な愛からは逃げられない

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「痛いです、晃さん……っ! 手を離してくださいっ」

 力任せに手首を掴んでグイグイと引っ張っていく晃に、涼子は抗議の声を上げるが、手が解かれる気配もない。
 建物の中は煌々として明るかったのに一歩外に出ると、庭園は夜らしい暗さに包まれていた。窓から漏れる明かりがあるからまだ歩けるものの、晃はどんどんと明かりが届かない方へと向かっていき、庭園の中にあったガゼボのベンチに放るようにして涼子の手を離した。

「何をしに来た、涼子」

 ベンチに倒れ込んだ涼子を、正面に立つ晃が威圧するように見下ろしてきた。

「もしや僕に捨てられたって、皆に訴えに来たのか」

 やはり、自分は夫に捨てられたようだ。自分を見下ろす彼の目はとても高圧的で、とても元妻に向けるようなものではなかった。微塵も懐古や後悔といった気持ちが見えない。

「晃さん、なぜ私を……あのような場所に売ったのですか……」

 口にするのも苦痛だったが、涼子はずっと疑問だったことを晃に尋ねた。

「晃さん……私、あなたに何かしてしまいましたか……っ」

 ずっと、涼子はなぜ自分が売られたのかわからなかった。やはり、気味悪い異能を持っていたからだろうか。しかし、それならばなぜ異能について打ち明けた時は、何も言わなかったのか。むしろ、彼は構わないと言ってくれたはずなのに。

 結婚するまで晃は優しかった。
 それが結婚した途端、急に冷たくなったし笑わなくなった。いつも苛ついていたし、話し掛けると「疲れてるんだ」と言って、部屋から出てこなくなった。

 はぁ、と荒いため息が聞こえ、涼子は反射的にビクッと肩を跳ねさせた。
 ため息の音だけで、彼が苛ついているのがわかってしまう。結婚してから、何度もこのため息を聞いてきたのだから。

「元はといえば涼子、君達楸家が悪いんだからな」
「どういうこと……ですか」

 自分だけでなく、家自体が悪いとはどういうことなのか。

「治療要請を一等級や二等級の家ばかりに振って、下々の家は無視だ。おかげで随分と貧しい暮らしをさせられたんだぞ」
「そ、そんなはずありません! 父は贔屓などする人ではありませんでした。どの家にも仕事は振っておりましたし、葛梨家と同じ他の四等級家からは、貧しいだなんて話は一度もでておりま――痛ッ!」

 まるで襟首を引っ張るように、肩口に流れていた髪を鷲づかまれ、強引に顔を近付けられる。

「残念、葛梨家は一等級だ」

 彼は、歪んだ笑みを浮かべ、勝ち誇ったように顔でさらに詰め寄ってきた。口元に掛かる彼の息は不快だったが、それよりも涼子は彼の台詞に言葉を失っていた。

「一等級って……ま、さか……! まさか当主権限を使ったのですか!?」

 彼はニヤニヤ笑うばかりで肯定も否定もしなかったが、四等級の家がいきなり一等級になることなどない。葛梨家には、病を治せるほど強い力を持った者もいなかったはずだ。
 こんなに強い憤りを感じたのは、はじめてかもしれない。

「当主として上に立つ者は、常に公平公正でなければならぬというのに、身内の贔屓など愚の骨頂です! あなたは、父が……っ、代々の楸家の者達が築いてきた信用を踏みにじったのですよ!」
「黙れよッ!」

 押し潰すような晃の激声に、涼子は言葉を飲み込んだ。
 それでも目から溢れる激情は流れ続ける。その涙すら鬱陶しいとばかりに、怒りが籠もった目で睨まれた。
 しかし、次の瞬間には、ははっ、と彼は吐き出すように空笑いする。

「偉そうに説教垂れたって、今の当主は僕だ。ああ、もしかして僕の気が引きたくて、色々言っているのかな?」
「な――っ!?」
「誰に買われたか知らないが、僕が恋しいんだ? 僕の子を産ませてやろうか」

 どこからそういう話になったのか。あり得ない。
 彼には何が見えて、聞こえているのか。涼子はゾッと寒気を覚えて、慌ててベンチから立ち上がろうとしたのだが、正面に立つ晃に捕まりすぐベンチに戻されてしまう。
 そのまま晃が覆い被さってくる。

「ぃ、嫌です! 触らないで、晃さんッ!」
「チッ、うるさいな。家族がほしいってずっと言ってたじゃないか。大人しくしろよ!」
「いや!」

 彼は、いつからこんなに悪辣になってしまったのだろうか。幸せにすると言った優しい彼はどこにいってしまったのか。

「あ――っ」

 彼の胸を押し返していた手は頭上でひとつに拘束され、暴れられないように下半身に体重を掛けられる。

「君のことはなんとも思っていなかったけど、その泣き顔はそそるな」

 下卑だ笑いを浮かべた晃の顔が、胸元へとすり寄ってくる。恐怖と嫌悪で喉が震え、上手く声が出せない。涼子の身体を線を確かめるように、晃の手がドレスの上から腰や腹部を何度も往復していた。

「優しい元夫だよ、僕も。別れた妻に情けを掛けてやるってんだから」
「ぃ、や……っ」

 涼子は強く瞼を閉じて、顔を背けた。
 胸元にあった熱が、肌を滑りながら上がってくる。気持ち悪い。
 鎖骨、首筋、耳、そして、唇に荒い息を感じた――次の瞬間。

「うおっ!」という晃の声が聞こえた直後、身体を押さえつけていた重さがふっと消えた。同時に、ガシャンと物がぶつかる激しい金属音と、晃のくぐもった呻き声が聞こえてきた。
 何が起こったのかと恐る恐る瞼を上げてみれば、視界には、ガゼボに置かれていたテーブルに突っ込んで尻餅をついている晃と、燕尾服の広い背中があった。