暁の檻で、極悪な愛からは逃げられない

        ◆


 その夜、見張りの者以外は皆、寝静まった時刻。
 尋の離れだけはまだ煌々と明かりがついていた。

 離れにある六畳一間の和室で、卓を挟んで尋とひとりの若い男が向かい合って座っている。母屋の執務室と違い、畳に座布団と本来の和室としての使い方をしているのだが、男は着流し姿だというのに、座布団に片膝を立てて随分と横柄な座り方をしていた。

 温厚そうな下がり眉に、常に微笑を浮かべているような柔らかい目と口元。また、首にまとわり付く襟足の長い亜麻色の髪が、彼の軟派な雰囲気を助長している。尋とは同じ歳だが、雰囲気が真逆なためか同年に見られたことはない。

「君から呼び出すなんて珍しいね。私に会いたくなったのか?」
(たか)()、冗談は顔だけにしろ」
「おや、私は自分の顔は中々に美しいと自負しているんだが……どうやら君の好みではないようだ。残念だねえ」

 カラッカラの目元を擦って堂々と泣き真似をする鷹乃には取り合わず、尋は卓の上を滑らせるようにして書類を投げ渡した。
 書類を手にした鷹乃は、一瞥しただけの速さで次々と捲っていく。端から見たら読んでいないのではと思われる速さだが、彼にしたらこれが普通だ。
 あっという間に十枚ほどあった報告書を最後まで捲り終わった、否、読み終わった鷹乃は、面白くないとばかりに眉宇を曇らせ、書類を卓にポイと放った。

「『楸涼子』ね……まさか、神祇省本家の嫡女が、極道の屋敷で女中をしてるだなんて、どこの売れない文筆家が書いた脚本なんだか」

 尋が鷹乃に渡したのは、荊に調査を命じていた『涼子』についての報告書だった。

「闇オークションに、神祇省家の娘が出ると聞いて買ったんだが」
「保護するため?」
「まさか。そこまで慈善家じゃない。梅爺の代わりに使えればいいと思っただけだ。どうせ売られる程度の四等級の娘だろうし、お前に報告する必要もないと思っていた。だが、まさかの本家娘だ.……正直、俺も驚いたよ」

 荊が「驚かないでください」と前置きして渡してきた報告書は、驚くなというほうが無理なことばかり書いてあった。
 まさか、闇オークションで神祇省本家の娘が売りに出されるとは、誰も思わないだろう。
 特務三省の長官家だけは代々世襲制であり、国にとっても省に属する家々にとっても、特別なものだというのに。

(しかも、結婚していただと)

 すでに離婚となってはいたが、彼女には夫がいたのだ。
「ん? どうしたんだい尋。そんなに険しい顔をして……腹痛かい?」
「なんでもない、気にするな」

 尋は見るなとでも言うように、犬にするようにシッシと手を払い、卓に無造作に置かれた報告書を睨む。
 報告書には、涼子の父――先代当主の怪我のことから、元夫との出会いや結婚のことが細かに書かれていた。離婚の時期と彼女が売られた時期を考えると、ほぼほぼ元夫が彼女を売ったのだろう。もし、誰かに攫われて売られたのだったら、今頃元夫は捜索しているはずなのに、報告書にはそういった記述はなかった。
 現在、楸家には元夫とその家族が住んでいるようだ。見事な乗っ取りだ。

「相変わらず、君のところの報告書は気味が悪い。よくこんなことまで調べられるよ。先代様が馬車に轢かれそうになったとか、私は知らないぞ」
「街自体が俺達の情報源だからな」

 帝都のほとんどの店を、冬月一家が面倒を見ている。
 極道の役割は、商売においての揉めごとや小競り合い、債権の回収の仲裁などが主である。官警だとて、ひとつひとつの商店の面倒見れるほど暇ではない。そのため、極道が法よりももっと単純な力という武器を使って、商売の安全圏を構築しているのだ。その安全に対し、商人達はシノギという対価を支払うという仕組みだ。
 そして、そのシノギの中に、情報というものも入っている。

「最近、竜胆のばあさんから妙な話を聞いたんだけど……」

 そう前置きした鷹乃の話は、実に頭の痛くなるようなものだった。涼子が楸家にいない理由について元夫の母親が語ったということだったが、涼子のことをよく知る人間ならば絶対に信じないような、悪辣を詰め込んだ内容だった。

「竜胆のばあさんが、実に無駄で品のない茶会に招待されたって憤慨してたよ。なるほど。妻を闇オークションに出したなんて言えるわけないし、離縁された後、勝手に行方不明になった……ってことにしとかないといけなかったわけだ」

 ハハッ! と後ろに手をついて仰け反るようにして笑った鷹乃だったが、その笑声は渇いている。

「……本家の血筋を絶やそうとするだけでなく、家まで乗っ取ろうとするなんてね。同じ特務三省の人間としては、気持ちの良いものではないな」

 声音こそ変わらないものの、先ほどまでの軽口から一転して言葉の奥には怒気が潜んでいた。
 鷹乃の名字は(えのき)と言う。榎家は代々の内務省本家であり、彼は現内務省長官である。もちろん、内務省家も異能持ちである。

「それで、私は何をしたらいい? わざわざ呼び出したくらいだ」
「特に何も。今回お前に知らせたのは、以前お前が、神祇省周りを嗅ぎ回っている奴がいるって言っていたのを思い出したからだ。もし、その件で何か動いてるんであれば、手を引いてくれ」
「何か掴んだのかい」
「まあ……掴めそうといったところか」

 曖昧な言い方だったが、鷹乃は「そう」とだけ相槌を打って了承してくれた。この男の、引くべき時はあっさりと引く潔さだけは気に入っている。

「それと、神祇省の現長官は俺達のことは……」
「知らないよ。元々一般人も変わりない四等級家出身だし、先代様が急に亡くなられたから、一切の引き継ぎがなされてないんだよね。涼子から少しは聞いてるはずなんだろうけど……聞く耳持たなかったんだろ。ま、君達の存在は長官になった者にしか知らされないから、涼子も知らないだろうし」
「好都合だ。これからも教える者がいないよう見張っていてくれ」
「安心しなよ。誰も彼を助けないって。なんかプライド高いし威張り腐ってるから、私含めた議会の皆は彼を好きじゃないし、教えてあげようなんて人はいないさ。おかげで、毎度議会の時は話についていけなくて、苦悶の表情を浮かべてるよ」

「いい気味ー」と鷹乃は頬を膨らまして、実に愉しそうに笑っていた。腹立つ顔だ。
 しかし、元々妻を売る男だ。議会での態度が容易に想像できた。

「あ、丁度良かった。元夫の顔を拝みたいなら今度の舞踏会に出るといい。いるよ」

 鷹乃は袂から一通の封筒を取り出した。
 舞踏会とは自分の柄ではないが……。

「使えるかもしれないから受け取っておく」

 封筒の中身をチラと確認して、尋は懐に収めた。

「で、君は涼子を楸家に戻してあげるつもりなんだ?」
「だから俺は慈善家じゃない」
「とかなんとか言っちゃってー」

 ププッ、とか言って目を三日月みたいに細くして笑う鷹乃の顔は、心底腹が立つ。尋は隠す気のない盛大な舌打ちをした。

「というか、お前……涼子なんて呼んでるのか」
「まあ、互いに本家だし、顔を合わせたことくらいはあったし。幼い涼子は可愛かったな~。随分と会ってないし……ねえ、顔を見て帰っても――」
「さっさと帰れ」
「急に冷たいな!?」
「荊、長官殿のお帰りだ。塩撒いて見送ってさしあげろ」
「ひっどい!」

 部屋の外で見張りに立っていた荊に声をかけると、尋は背後で喚く鷹乃を無視して、奥の部屋へとひとりさっさと入っていったのだった。
 


        ◆



 荊に文句を言うぎゃいぎゃいとした鷹乃の声が次第に遠ざかり、夜の静寂がやって来てやっと、尋は布団に倒れ込んだ。

「はぁ……本家娘な」

 どうりで名字を訊いた時、口ごもったわけだ。本家の嫡女が売られたなどと、とても言えることではない。それは神祇省や楸家自体に問題があると言っていると同じなのだから。報告書では、涼子と父親の仲は良かったと書いてあった。父の残した楸家という体面を汚してはならない、とかなんとか思ったのだろう。
 彼女の事情であれば、『助けて』と泣き付くのが普通のはず。むしろ極道家など、元夫に仕返しするにはちょうど良い相手だろうに。

 なのに、彼女は女中として働かせてくれときたもんだ。一万圓は働いて返すからと。
 極道――世間では、自分達はただただ恐ろしい存在として忌避されている。
 そんなところに自分から飛び込む馬鹿に、腹が立った。
 きっと人を疑うこともない、恐ろしい思いもしたことない、幸せでお綺麗な環境で育ったのだろうと。怖い思いをさせれば、自分の置かれた状況を少しは理解するかと、嫌みで押し倒してやった。怖がればいいと思った。

 自分は女ウケのする顔をしているらしい。確かに、世話している妓楼の様子を見に訪ねるたびに、娼妓達に部屋に引っ張り込まれそうになる。興味など毛ほどもないから、さっさと振り解いて帰るが。
 もし、彼女も自分に媚びてくるようなら、女中ではなく妓楼へ追い払おうと思った。自分に纏わり付く女が屋敷内にいるなど、迷惑でしかない。

 しかし、彼女は悲鳴を上げて自分を拒絶した。色んな意味で驚いた。
 悲鳴が恐れからなのか拒絶からなのかは、はっきりとはわからなかったが、女中として置いても問題はなさそうだと判断した。どちらにせよ、自分には近付かないだろうと思ったから。
 当初求めていた異能はなかったが、彼女が手当をしてくれた手を見て、まあいいかと思った。

 彼女が女中になってから、料理が美味くなり、屋敷に澱んだ空気はなくなり、洗濯物は日向の匂いがするようになった。
 しかし、それで何か彼女への認識が変わることはなかった。
 せいぜい、『高かったがまあ良い買い物をした』くらいだ。

 多分、はっきりと自分の中の何かが変わったのは、死期見の力を知った時だろう。
 彼女は、最初に自分が想像していたような、幸せでお綺麗な環境で育ったわけではなかった。父親には確かに愛されていただろうが、外の世界で彼女は孤独だった。

『似ている』と思った。

 彼女は気持ち悪い異能だと、申し訳なさそうに頭を下げた。
 あまりに自然な謝罪に、常にそう思って生きてきたのだろうことが察せられた。
 その日から、彼女を目で追うことが増えたと思う。
 大きい男達の中を、小さいのがチョコマカ動いているから、というのもある。
 彼女はよく笑った。よく徒衆達と話している姿を見た。楽しそうだった。傍目には、何も苦悩など抱えていないようにしか見えなかった。隠すのになれてしまったのか。

「それにしても、夫に売られて、ああも平気でいられるものなのか……いや……泣いていたな」

 壇上に置かれた檻の中で。
 泣くということは、彼女はまだ元夫のことを想っているのだろうか。

「鷹乃の話を聞く限りじゃ、あまり人間としても良い部類じゃなさそうだが。なぜ彼女はそんな男と結婚したのか……」

 そんな奴を想って、彼女は涙を流したのか。
 尋は掌を眺めた。それは、先日彼女の涙を拭った手だ。当然、何も残っていない。
 あの時拭った涙は、どういった涙だったのか。
 誰かを想っていたのか。
 見つめていた掌は、気付いたら拳を握っていた。掌に爪が食い込んでいる。

「……まさか、若月?」

 いや、そんなはずないか、と尋は拳をふっと緩めた。

「そういえば、俺はなんで彼女を呼び止めたんだったか」

 彼女の声が聞こえて振り返ったら、彼女と洗濯籠を持った若月が向かいの廊下を歩いていた。会話の内容まではわからなかったが、彼女は楽しそうに笑っていて、しかも顔を赤らめていた。
 見た瞬間、腹の奥がグラついた。
 そして気付いたら、自分は彼女達のところにいて、若月に両手を伸ばす彼女を引っ張っていた。

「なんでだ」

 再度首を捻ったが、やはり尋は用件を思い出せなかった。