5
「涼子さん、それ自分が持ちますよ」
「え? あっ!」
各部屋から集めた洗濯を裏庭にある水場まで運んでいたら、遭遇した徒衆の男にひょいっと洗濯籠をさらわれた。
「若月さん、大丈夫ですから。怪我に障りますよ」
「このくらいなんともありませんって。それに、涼子さんのおかげで助かったんですから、このくらいさせてくださいよ」
彼は、先日の襲撃で重傷を負った徒衆のひとりである。
名を『若月』と言い、あれだけ血を流して意識も朦朧としていたのに、二日後には何事もなかったかのように、庭で他の徒衆達と素振りをしていた。白い包帯が眩しい上半身を剥き出しにして、寝間着姿で笑いながら仲間と木刀を打ち鳴らす彼を目撃した時は、錯覚かと三度ほど目をこすったものだ。もうひとりの重傷者も翌日には若月と一緒に素振りをしていた。徒衆の人達は、いったいどんな身体をしているのか。
「私はただ布を持ってきただけで、大したことは……梅お爺さんのおかげですよ」
「その梅爺が、手当された跡を見て、涼子さんに感謝しろって言ってたんですから」
そんなことを言われていたとは。
あの時はとにかく目の前のことしか見えてなくて、『異能がないなら、とにかくできることを』とがむしゃらに動いただけだったのだが、少しは役に立てたようで嬉しい。
「あ、ありがとうございます……」
なんだか面映ゆく、礼を言う声が小さくなってしまった。しかし、彼の耳にはしっかりと届いたようで、「なんの」と健康的な笑顔で頷いていた。
「お、総代だ。朝から歩いてんの珍し」
彼の視線の先を追って横に顔を向ければ、屋敷の東側へと向かう尋の背中が見えた。
「珍しいって、何がですか?」
朝に歩いているだけなのに、何を驚くことがあるのだろうか。
「総代は夜のほうが客が多いんですよ。だから、基本的に朝は弱いから出歩かないっていうか……。いつも朝ご飯食べたらすぐに執務室に引っ込んで、二度寝するんですよ」
『なるほど、夜更かしが多いのか』と、若月の反応にも納得したが、ふと疑問がわく。
「私、母屋に部屋をいただいていますが、夜に来訪客なんて一度もありませんでしたが」
尋や徒衆の寝所はそれぞれの離れにあるため、夜の母屋はとても静かになる。廊下の軋みですら、耳元で聞こえたと錯覚するほど大きく聞こえるのだ。だから、来訪客がどんなに静かにやって来ても、玄関扉を開ける音でまず気付くと思うのだが。
すると、徒衆の二人は顔を合わせて、「あー」と言いにくそうに声を重ねた。
「ま、夜の来訪客なんて皆訳ありですよ。直接、総代の離れに行ってるんで、母屋にいる涼子さんは気付かないと思います」
「そう……なんですね」
冬月一家については、少しずつわかることも増えてきたが、尋個人については、未だにわからないことが多かった。知っていることといえば、『帝都の裏社会を牛耳る冬月一家の若き総代』ということのみである。徒衆や荊からは尊敬されているみたいだから、きっと根は悪い人間ではないと思うのだが。
闇オークションで人間を買う悪人かと思えば、大損しても売らずに女中として屋敷に置いてくれるし、てっきり物のようにこき使われると思ったら、ちっともそんなことはなく。血まみれになるような世界の人達のボスで、でも、気持ち悪いはずの死期見の力を最高だと言ってくれる。
(それに、泣くなって……涙を拭ってくれたわ)
思った以上に雑で、頬がグニグニと引っ張られたが。
(あと、事あるごとに距離が近いのよね、彼)
距離が近かった過去二度の記憶――ソファに押し倒された時と最高だと言われた時――が思い出され、顔が熱くなる。
なんなのだろうか、あの距離感は。あんなに顔を近付ける必要性は、どこにあるというのか。特に彼の容貌は恵まれているのだから、少しはまともな距離感を身につけた方が良いと思う。あれでは勘違いする女の人も出るだろう。
「どうされました、涼子さん? 顔が赤いですけど」
「な、なんでもありません……!」
若月に指摘された顔を、慌てて両手でパタパタと扇いで冷ます。彼が洗濯籠を持ってくれていて良かった。もし手が使えなかったら、洗濯物の山に顔を突っ込んでいただろうから。それは色々と駄目な気がする。
「あっ、それじゃ、水場ももうそこですから――っわ!」
若月から洗濯籠を貰おうと手を差し出した瞬間、いきなりその手を横から引っ張られた。予想外の方向からの力に体勢を崩した涼子は、肩から引っ張った者の胸に突っ込んだ。
誰だと涼子が顔を上げるのと、若月がその者を呼ぶのは同時だった。
「そ、総代!?」
見上げた先にあった顔は、確かに尋だった。つい先程、奥へ向かっている背中を見たばかりなのに。どうしてここに。
「あの、総代。用事があるのなら声をかけてくだされば、行――」
「その洗濯物の山はどこに持っていけばいい」
尋は涼子の声を遮り、顎で若月が持つ洗濯籠を示す。
「え? う、裏の水場……ですけど」
彼の質問の意図はわからないまま素直に答えれば、彼はギロリと若月に目だけを向けた。
「若月、運んでおけ」
「は、はいィ!」
緊張で声を上擦らせた若月は、反るほどに背筋を伸ばして返事をすると、ドタドタと洗濯籠を抱えて走って行ってしまった。あんなにドタバタ走って傷が開かないといいのだが。
「総代、若月さんは病み上がりですし、洗濯物でしたら私が自分で持って行きますのに」
「若月とはよく話すのか」
「よく……ではありませんが、時にこうして会うと仕事を手伝ってくれます」
元々疎外されていたわけではないが、あの手当の日から徒衆達の態度に、はっきりと親しが感じられるようになった。たくさんの兄弟に囲まれている感じで、少しだけ自分も冬月一家の一員になれたのかな、なんて思ったり。
「随分と楽しそうだな」
ハッとして両手で頬を押さえる。嬉しさで勝手に顔が緩んでいたらしい。気持ち悪いと思われてしまっただろうかと、そろりと様子を窺うように見上げれば、腕組みした彼とばっちり目が合ってしまった。
はずみで、思い切り顔を逸らしてしまう。
「さっきは顔が赤かった」
「えっ!」
もしかして、ずっと見られていたのか。目の前の相手で、勝手に思い出し赤面をしていたことを思うと、申し訳なさと恥ずかしさでさらに顔に熱が集中する。
「また」
「それはそのぅ……」
涼子は身を小さくして、困ったように顔を俯けた。そろそろ勘弁してほしい。もし理由など聞かれたら地獄だ。『あなたのことを思い出して照れていました』なんて言えるはずがない。きっと彼も嫌がる。
「若月を思い出したか」
「違いますっ」
どうして、そこで彼が出てくるのか。
「そ、それより、総代は何かご用でしょうか」
「用?」
尋が首を傾げた。涼子も首を傾げた。なぜ彼が怪訝な顔をするのか。
「用があったから、呼び止められたのでは?」
「いや……」
彼は口元を押さえて黙り込んでしまった。顔を逸らし横髪で表情は見えないが、何か考え込んでいるようだ。もしかすると、用件を忘れてしまったのかもしれない。
「あの、総代……それでは――」
涼子は思い出したらまた呼んでくれるようにと言って、場を去ろうとしたのだが。
「え……」
手を掴まれてしまった。
「尋だ」
「はい?」
「総代じゃない、尋だ」
これは、総代呼びをするなと言っているのだろうか。
(確かに、よく考えたら冬月一家の者じゃないのに、私が総代って呼ぶのもおかしいわよね)
「わかりました、尋……様?」
尋は小さく頷くと、踵を返してスタスタとどこかへ行ってしまった。
結局、用件はなんだったのだろうか。
「涼子さん、それ自分が持ちますよ」
「え? あっ!」
各部屋から集めた洗濯を裏庭にある水場まで運んでいたら、遭遇した徒衆の男にひょいっと洗濯籠をさらわれた。
「若月さん、大丈夫ですから。怪我に障りますよ」
「このくらいなんともありませんって。それに、涼子さんのおかげで助かったんですから、このくらいさせてくださいよ」
彼は、先日の襲撃で重傷を負った徒衆のひとりである。
名を『若月』と言い、あれだけ血を流して意識も朦朧としていたのに、二日後には何事もなかったかのように、庭で他の徒衆達と素振りをしていた。白い包帯が眩しい上半身を剥き出しにして、寝間着姿で笑いながら仲間と木刀を打ち鳴らす彼を目撃した時は、錯覚かと三度ほど目をこすったものだ。もうひとりの重傷者も翌日には若月と一緒に素振りをしていた。徒衆の人達は、いったいどんな身体をしているのか。
「私はただ布を持ってきただけで、大したことは……梅お爺さんのおかげですよ」
「その梅爺が、手当された跡を見て、涼子さんに感謝しろって言ってたんですから」
そんなことを言われていたとは。
あの時はとにかく目の前のことしか見えてなくて、『異能がないなら、とにかくできることを』とがむしゃらに動いただけだったのだが、少しは役に立てたようで嬉しい。
「あ、ありがとうございます……」
なんだか面映ゆく、礼を言う声が小さくなってしまった。しかし、彼の耳にはしっかりと届いたようで、「なんの」と健康的な笑顔で頷いていた。
「お、総代だ。朝から歩いてんの珍し」
彼の視線の先を追って横に顔を向ければ、屋敷の東側へと向かう尋の背中が見えた。
「珍しいって、何がですか?」
朝に歩いているだけなのに、何を驚くことがあるのだろうか。
「総代は夜のほうが客が多いんですよ。だから、基本的に朝は弱いから出歩かないっていうか……。いつも朝ご飯食べたらすぐに執務室に引っ込んで、二度寝するんですよ」
『なるほど、夜更かしが多いのか』と、若月の反応にも納得したが、ふと疑問がわく。
「私、母屋に部屋をいただいていますが、夜に来訪客なんて一度もありませんでしたが」
尋や徒衆の寝所はそれぞれの離れにあるため、夜の母屋はとても静かになる。廊下の軋みですら、耳元で聞こえたと錯覚するほど大きく聞こえるのだ。だから、来訪客がどんなに静かにやって来ても、玄関扉を開ける音でまず気付くと思うのだが。
すると、徒衆の二人は顔を合わせて、「あー」と言いにくそうに声を重ねた。
「ま、夜の来訪客なんて皆訳ありですよ。直接、総代の離れに行ってるんで、母屋にいる涼子さんは気付かないと思います」
「そう……なんですね」
冬月一家については、少しずつわかることも増えてきたが、尋個人については、未だにわからないことが多かった。知っていることといえば、『帝都の裏社会を牛耳る冬月一家の若き総代』ということのみである。徒衆や荊からは尊敬されているみたいだから、きっと根は悪い人間ではないと思うのだが。
闇オークションで人間を買う悪人かと思えば、大損しても売らずに女中として屋敷に置いてくれるし、てっきり物のようにこき使われると思ったら、ちっともそんなことはなく。血まみれになるような世界の人達のボスで、でも、気持ち悪いはずの死期見の力を最高だと言ってくれる。
(それに、泣くなって……涙を拭ってくれたわ)
思った以上に雑で、頬がグニグニと引っ張られたが。
(あと、事あるごとに距離が近いのよね、彼)
距離が近かった過去二度の記憶――ソファに押し倒された時と最高だと言われた時――が思い出され、顔が熱くなる。
なんなのだろうか、あの距離感は。あんなに顔を近付ける必要性は、どこにあるというのか。特に彼の容貌は恵まれているのだから、少しはまともな距離感を身につけた方が良いと思う。あれでは勘違いする女の人も出るだろう。
「どうされました、涼子さん? 顔が赤いですけど」
「な、なんでもありません……!」
若月に指摘された顔を、慌てて両手でパタパタと扇いで冷ます。彼が洗濯籠を持ってくれていて良かった。もし手が使えなかったら、洗濯物の山に顔を突っ込んでいただろうから。それは色々と駄目な気がする。
「あっ、それじゃ、水場ももうそこですから――っわ!」
若月から洗濯籠を貰おうと手を差し出した瞬間、いきなりその手を横から引っ張られた。予想外の方向からの力に体勢を崩した涼子は、肩から引っ張った者の胸に突っ込んだ。
誰だと涼子が顔を上げるのと、若月がその者を呼ぶのは同時だった。
「そ、総代!?」
見上げた先にあった顔は、確かに尋だった。つい先程、奥へ向かっている背中を見たばかりなのに。どうしてここに。
「あの、総代。用事があるのなら声をかけてくだされば、行――」
「その洗濯物の山はどこに持っていけばいい」
尋は涼子の声を遮り、顎で若月が持つ洗濯籠を示す。
「え? う、裏の水場……ですけど」
彼の質問の意図はわからないまま素直に答えれば、彼はギロリと若月に目だけを向けた。
「若月、運んでおけ」
「は、はいィ!」
緊張で声を上擦らせた若月は、反るほどに背筋を伸ばして返事をすると、ドタドタと洗濯籠を抱えて走って行ってしまった。あんなにドタバタ走って傷が開かないといいのだが。
「総代、若月さんは病み上がりですし、洗濯物でしたら私が自分で持って行きますのに」
「若月とはよく話すのか」
「よく……ではありませんが、時にこうして会うと仕事を手伝ってくれます」
元々疎外されていたわけではないが、あの手当の日から徒衆達の態度に、はっきりと親しが感じられるようになった。たくさんの兄弟に囲まれている感じで、少しだけ自分も冬月一家の一員になれたのかな、なんて思ったり。
「随分と楽しそうだな」
ハッとして両手で頬を押さえる。嬉しさで勝手に顔が緩んでいたらしい。気持ち悪いと思われてしまっただろうかと、そろりと様子を窺うように見上げれば、腕組みした彼とばっちり目が合ってしまった。
はずみで、思い切り顔を逸らしてしまう。
「さっきは顔が赤かった」
「えっ!」
もしかして、ずっと見られていたのか。目の前の相手で、勝手に思い出し赤面をしていたことを思うと、申し訳なさと恥ずかしさでさらに顔に熱が集中する。
「また」
「それはそのぅ……」
涼子は身を小さくして、困ったように顔を俯けた。そろそろ勘弁してほしい。もし理由など聞かれたら地獄だ。『あなたのことを思い出して照れていました』なんて言えるはずがない。きっと彼も嫌がる。
「若月を思い出したか」
「違いますっ」
どうして、そこで彼が出てくるのか。
「そ、それより、総代は何かご用でしょうか」
「用?」
尋が首を傾げた。涼子も首を傾げた。なぜ彼が怪訝な顔をするのか。
「用があったから、呼び止められたのでは?」
「いや……」
彼は口元を押さえて黙り込んでしまった。顔を逸らし横髪で表情は見えないが、何か考え込んでいるようだ。もしかすると、用件を忘れてしまったのかもしれない。
「あの、総代……それでは――」
涼子は思い出したらまた呼んでくれるようにと言って、場を去ろうとしたのだが。
「え……」
手を掴まれてしまった。
「尋だ」
「はい?」
「総代じゃない、尋だ」
これは、総代呼びをするなと言っているのだろうか。
(確かに、よく考えたら冬月一家の者じゃないのに、私が総代って呼ぶのもおかしいわよね)
「わかりました、尋……様?」
尋は小さく頷くと、踵を返してスタスタとどこかへ行ってしまった。
結局、用件はなんだったのだろうか。



