暁の檻で、極悪な愛からは逃げられない

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 さやさやとした撫でるような風が木の葉を揺らす、澄みわたった秋晴れの空の下、楸家の庭は、十名以上もの婦人達の煌びやかな声で賑わっている。楸家の広い庭園にはテーブルと椅子が並べられ、テーブルに所狭しと並ぶ洋菓子の甘い香りが広がっていた。

「さぁさぁ皆さん、どうぞ遠慮なさらずもっと食べてくださいなぁ。せっかくの機会ですし」

 その中で、ご機嫌な声を高らかと響かせるのは、晃の母――葛梨マリである。彼女は普段の着物姿ではなく、薄紅と白のフリルがたっぷりとあしらわれたドレスを纏い、婦人達の間を忙しなく動く女中に指示を出す。
 楸家では今、神祇省家の婦人達を招いた、マリ主催のお茶会が開かれていた。

「皆さんのため、帝都で有名な菓子匠に作らせたんですのよ。そこらの街角で売っている菓子とは比べものにならないほど値はしましたが、ぜひ皆さんに味わってほしくてご用意しましたの。滅多に口にできるものではないでしょうし、存分に召し上がってくださいな」

 ほほ、としなを作って笑うマリに、婦人達は口々に「まあ、光栄です」「すごいですね」などと賞賛を送る。が、その笑顔は実にぎこちない。
 その決して心から笑っているとは言えない笑顔を見て、マリはさらに笑みを濃くした。

(ああ~っ! 下民共の嫉妬気持ちぃぃッ!)

 かつて自分を下に見ていた者達が、自分に媚びへつらっていた。
 大きな屋敷、手入れの行き届いた庭、滅多に食べられない高級洋菓子に、顎で使い放題の女中達。そして、この日のために(あつら)えた帝都の貴族に流行りという型のドレス。マリの夢をすべて詰め込んだ場で向けられる嫉妬は、もはやただの愉悦でしかなかった。
 菓子を美味しいと言う明るい声の中に、時折ヒソとした暗い声が混じっていた。どうせ、妬ましくて愚痴を言い合っているのだろう。

「本当、すごいですね」
「ええ、親孝行な息子を持ちましたわ」

 嫁は全然使えなかったけど。

(本当、金になってくれてありがたかったわ。そこだけは褒めても良いわね)

 金であれば使いようはいくらでもある。しかも七千圓という大金である。ちょっとやそっと贅沢したくらいではまったく減らなかった。むしろ、金から金が湧いているのではと錯覚してしまうほどだ。

「あら、そういえば涼子さんは? お茶会には出席されないのかしら?」

 すると、誰かがポツリとそんなことを言った。意外と周囲にも聞こえたようで、皆の視線がこちらに集中する。マリはギクリとした。が、動揺などおくびも出さず、頬に手をあてがい憂うようなため息を吐いてみせる。

「それが一緒に生活してみてわかったのですけど……あの子、たくさん借金していたみたいで」

 場がザワッと騒然とした。涼子を知る婦人達が、口々に「嘘でしょ」や「そんな子には思えなかったけど」と呟く。

「ほら、涼子さんって以前から家から出ないって言われてたでしょう? 出ないんじゃなくて、遊び歩いて家にいなかっただけで……だから、息子も裏切られて……っ」
「そ、それで?」

 皆がマリの話に注目していた。愚痴を言っていた者達も、口と手を止めてこちらに耳を傾けている。足先から上がってくるゾクゾクとした愉悦に、マリの演技も熱が入る。

「息子と離縁してほしいってお願いしたら離婚届に署名だけして、出て行ってしまいましたの。きっと今頃、他の男のことろにでもいるのでしょう」
「まあっ! では、涼子さんは行方知れず?」
「それは……なんというか……」

「ああっ!」と、マリは大仰に背中を丸めて顔を両手で覆った。

「やっぱり、先代当主様の教育が悪かったのでしょう! 男手ひとつで女中も雇わなかったと聞きましたの。だから目が届かないところで、涼子さんはあんな……っ」
「そ、そうでしたのね」
「ご苦労されたのね、葛梨さん」
「皆さん、ありがとうございます……っ」

 コロッと騙されて慰めの言葉を掛ける者達に、手の下でマリは嗤いが止まらなかった。その顔は目も口も弧に歪んでおり、もし誰かが目にしていたら『おぞましい破顔』だと評していたに違いない。

「あら、随分とお詳しいのね、葛梨さん?」

 凜とした声がして、マリは笑顔を消して顔を上げた。瞬間、目の下が引きつる。
 目の前に立っていたのは、神祇省家の中では有名な竜胆(りんどう)家の(おお)(おく)(がた)だった。
 灰色の短髪を後頭部へと流した洒落た髪型に錆色の着物と、落ち着いた装いながらも彼女の風格をより際立たせた、皆が一目置く佇まいである。

 神祇省家の中には、序列が存在する。
 楸家を頂点とし、その下の家は一等級から四等級に割り振られる。位は、楸家当主が国への貢献度や異能の強さ、家の品行などを総合して決めることになっており、等級ごとに与えられる俸禄や待遇も違うため、皆、上の等級の者には尊敬と少なからずの羨望を抱いていた。

 中でも一等級は特別視されており、通例では、病を癒やせるほどの強い異能持ちを輩出した家、もしくは国難を救うに値した家に与えられてきたもので、現在一等級は竜胆家しか残っていない――はずであった。

「今はご子息が当主といっても、元々葛梨家は四等級の家でしたよね。先代当主様を詳しく語れるほど関わりがありまして?」
「し、失礼ですが、葛梨家は一等級でございましてよ」

 引きつりそうになりながらも、マリは笑顔を保つ。
 次の瞬間、ぷっ、と大きな吹き出し声が場に響いた。

「あらそうでしたの? 四等級から一等級へ飛び級なされたとは、さぞかし歴史に名が残るような功績を残されたのでしょうねえ?」
「……っ!」

 招待したのはマリと同年代の奥方だったはずなのに、なぜかその上の大奥方が来たのか。
 ふふっ、と上品に嗤う大奥方に、マリはギリと歯を食いしばる。
 確かに由緒という点では竜胆家には敵わないが、しかし、今や一等級の上、息子が当主というこちらのほうが地位も権力も上だ。きっと、唯一の一等級家という地位を奪われたから、腹いせに自ら乗り込んできたのだろう。

(そうよ、醜い嫉妬だわ! きっと、皆も老婆の嫉妬なんか見苦しいと思っているに違いないわ!)

 自分と同じように彼女を邪魔くさそうに見ている者を探そうと、マリは周囲を見回したのだが……。

「竜胆の大奥様ったら、ふふっ……葛梨さんが可哀想ですよ」
「そうそう、葛梨家のどなたかがとてつもない異能を開花させたのよ、きっと」

 クスクスこそこそと聞こえてくる嘲弄は、すべてマリに対してのものだった。皆、なぜ四等級だった葛梨家がいきなり一等級になったのか、理解していたのだ。等級を決めるのは()()なのだから。

(~~~っこの! 下民共ッ!)

 カッとマリの顔は憤怒と羞恥で赤くなり、テーブルの下では、繊細な生地のドレスをぐしゃぐしゃに握りつぶしていた。

「先代当主様にはお世話になったものだから、心配で娘さんの様子をと思って来てみれば……。はぁ、まさか屋敷に白蟻が巣くっていただなんて」

 大奥方はくるっとマリに背を向ける。

「申し訳ないけれど、わたくしは帰らせていただきますよ。こういった洋菓子はどうもくどすぎて口に合わないわ」

 さっさと帰れと怒鳴りたいところを我慢して、マリはヒクヒクと引きつる笑顔で、一応は場の主人としての言葉をなんとか述べる。

「お、お忙しい中、ご足労いただきありがとうございますわ。どうぞお気を――」
「ああ……あとそのとっておもご丁寧な言葉遣いと、随分と愛らしい色とデザインのドレス、とてもあなたにはお似合いよ」

 思い出したように振り返った大奥方が告げた言葉は、マリから声を奪った。

「やだもう、竜胆の大奥様ったら」と嘲笑が聞こえる。いくらマリでも、大奥方のこれを賛辞と受け取るほど世間知らずではない。去って行く背中をマリは震えながら睨み付けた。

「それでは、あたくしもこの辺で……」
「あ、あら、では私も一緒に」

 大奥方が去ったのを皮切りに、ぞろぞろと席を立っていく。さらに、キョロキョロと場の様子を窺って、慌ててコソコソ去る者もいて、あっという間にお茶会の場はマリと、気まずそうな女中達のみとなってしまう。
 その女中達も静かに場を去れば、甘ったるい香りの中、顔を真っ赤にして俯くマリだけが取り残された。





 晃は国政議会を終え屋敷に戻るなり、母の襲撃を受けた。

「晃さん! 竜胆家の等級を今すぐ下げてちょうだい!」

 最近はもっぱら機嫌の良かった母が、久々に見る鬼の形相で、ドスドスと床板が抜けそうな足取りでやって来る。纏っているのが着物ではなくドレスなのに気付いて、何かあったなと察する。
 そういえば今朝、『お茶会なの』とか言って、上機嫌で庭を眺めていたか。

「それで母様、どうされたのです」
「竜胆家が葛梨家を侮辱したのです! 今すぐ四等級に……いえ、当主家族を侮辱した罪でお家の取り潰しよ!」

 なるほど、きっと正体した竜胆家の婦人に嫌みでも言われたのだろう。由緒ある竜胆家からしたら、唯一の一等級家だったのに、いきなり元四等級家に並ばれたのでは面白くないだろう。

「言わせておけば良いじゃありませんか、どうせただの嫉妬ですよ」
「嫉妬でも、大勢の前であんな……っ!」

 顔を真っ赤にして怒りに握った拳を震わす姿からは、よっぽどの嫌みを言われたと見てとれる。しかし、葛梨家を一等級に上げた時と違い、いくら当主権限でも失態のない竜胆家を格下げなどできない。強引にやれば、間違いなく他の家々から反発をくらう。
 これだから、下手に歴史がある家は面倒だ。

 その点、楸家は簡単だった。歴史はあっても二人しかいなかったし、どちらも馬鹿が付くほどのお人好しだった。きっと、貧しい思いもつらい思いもせず生きてきたのだろう。
 女中も雇わず二人暮らしだったなら、当主の俸禄だけで充分に贅沢できただろうし。

 四等級となると、俸禄は家族四人でやっとだった。そこに当主の要請に応じて治癒を行ったりした分だけ手当が付加されるのだが、正直、葛梨家の治癒の力はさほど強くなく、大した依頼は回ってこなかった。

(まあ、普通に暮らす分には充分だったが、父様の浪費癖がな……)

 一攫千金を狙って賭場に入り浸ったり、古物商からよくわからない物を買ったり、投資に手を出したりと、まあ鳥のように金が飛んでいった。
 父の浪費癖は今も変わらないが、当主俸禄と一等級の俸禄があるし、なんとかなっていた。治療要請も葛梨家へと優先して回しているし、もっと金を稼ごうと思えばどうとでもできる。
 しかし、特務三省という国を支える機関の一端を担っているのだから、ちょっと遊んでも尽きないくらいの金を最初から配るべきとは思う。この点についても、今度の議会で神祇省の予算をもっと増やすよう言うか。

「ああ、そうだ。今度、帝都の商業者達と政府高官を交えた舞踏会があるんですよ。互いに、決まりや金を融通し合いましょうね、って意味の会でしょうけど」
「まあっ、政府高官に商業者の方々も?」

 たちまち、母の機嫌が上方修正される。
 特務三省以外の政府高官は、軒並み貴族である。実業家も今や貴族に優るとも劣らぬ金持ちだ。中には貴族に貸し付けできるほどの実業家もいると聞く。
 どちらにせよ、知り合いになれたら母の鼻ももっと高々になるのだろう。

「パートナーの同伴も可能なんですが、母様も来ますか。僕にはパートナーなんていないんで」

 晃は、ハハッと鼻で嗤った。
 そうだ、この期に再婚を考えてもいいかもしれない。それこそ貴族家の娘とか。

「ちょっと待って! それ、あたしが行きたい。だって、政府高官ってことは貴族も来るってことでしょう!」

 どこから話を聞いていたのか、百合子がバタバタと駆けつけてきて、腕に巻き付いた。なんだかんだ兄離れができない、可愛い妹だ。

「そういえば、以前の佐伯侯爵はどうだったんだ?」

 治療に行かせたはずだが。

「あー、全然ダメ。こっちが隙を見せても全然来てくれないし……男じゃないのかも」

 兄の贔屓目を抜きにしても妹は可愛いと言われる部類には入るのだし、それで誘われて手を出さないとはもったいない。根性なしなのだろう。

「ほほ、でしたら百合子さんが出なさいな。息子が神祇省長官で、娘が貴族の妻なんてことになったら、竜胆家もさぞ悔しがるでしょうし」

 母はオホホホホと高らかに笑いながら、ドレスの裾を引きずりながら部屋へと戻っていった。

「兄様、お知り合いの方がいたら是非紹介してね」
「ああ、良い男を見繕ってあげるよ」

 自分も美しご令嬢との出会いを期待しよう。