暁の檻で、極悪な愛からは逃げられない

 長らくの鎖国により独自の文化を保存育成してきた(あかつき)帝国も、開国から半世紀以上も経てば、異国の文化も相応に溶け込んでいた。
 和装をする者もいれば、洋装の者も随分と増えた。帝都の官庁通りは煉瓦造りの洋館が建ち並び、姿勢の良い憲兵のように直立したガス灯が夜でも赤い光りを放ち、実に煌びやかである。おかげで官庁通りは夜でも出歩く人が多く、また並びの喫茶店なども賑やかなものだった。

 その賑やかさは、なにも地上だけのものではない。光りの裏には闇がつきまとうもの。
 そこは、小さな骨董品店の地下に築かれた闇の競売場。
 裏の世界を知る者しか招かれないこの場で、今夜も稀少品が次々と競り落とされていた。
 しかし、今夜のオークションはいつもと空気が違った。どこかの貴族家から姿を消した古物の器も、本国で行方不明となり捜索されている黄金の舶来品すら、()()()の前座にすぎなかった。

「さあ! いよいよ今宵最後の品となってしまいました。しかし、今宵ここに集まられた皆様は、こちらの品を楽しみにされていたのでしょう」

 照明が落とされた会場で、司会の男が声を張り上げた瞬間、パッと壇上にライトが当たった。
 瞬間、暗闇の中から「おぉ」という、興奮したどよめきが上がる。
 壇上には、鉄格子の無骨な(おり)がぽつんと置かれており、中には鉄格子などより鳥籠のほうが似合いそうな可憐な女――(すずし)()が座っていた。

 身に纏うのは心許ない薄手の白襦袢のみで、ひと目で女の豊かな線がわかる姿だ。暗闇の中で、紫煙をくゆらせた男達の下品な欲が空気に滲む。
 涼子の両手首には細腕に不似合いの手枷がはめられており、彼女が恐怖に身を震わせただけでも、左右を繋ぐ鎖がジャラッと耳煩い音を立てた。

「稀少品も稀少品! なんと、我が国を守る異能持ち集団・特務三省のひとつ、(じん)()省家の娘でございます! 健康に問題はございません。日焼けもなく陶器肌、長い黒髪は艶があり見栄えも良好。歳は二十二と若く、充分これからも愉しめますし、なんといっても楸一族といえば治癒持ちですからねえ」

 代々、神祇省に属する家の者は皆、治癒の異能を持つ。
 国体に関わる者にしか使用が許されない貴重な異能を、個人で使用できるとなれば垂涎ものだろう。おかげで会場内にひしめいていた興奮はさらに一段と上がっていた。あちらこちらで「なんとしてでもほしい!」「早くはじめろ!」といった逸った声が上がる。

「開始価格は千(えん)、落札上限はなしとさせていただきます」

 千圓――広大な庭付き貴族屋敷が一軒、余裕で買える金額である。
 暗闇の中で、参加者達の目がギラリと獣のように欲深く光る。

「それでは、奮って競り落としていただきましょう!」

 司会者の男がオークション開始を告げた途端、暗闇の方々から勢いよく声が上がった。

「千百!」
「千五百だ」
「千七百」

 呆然とする涼子に向かって、次々と数字が投げつけられていく。否、それはただの数字ではなく涼子の命の値段だった。
 二千、二千三百、三千、三千百――少しずつ上がっていく数字を、涼子はどこか他人事のように聞いていた。
 ここまでくれば、裏の世界などに疎い涼子でも、ここがどのような場か理解していた。

(私、売られたんだわ……夫に……っ)

 脳裏に、結婚する時「幸せにするよ」と言ってくれた夫の顔が浮かび、目に熱がこみ上がってくる。

(私は……家族じゃなかったのね……っ)

 俯いた拍子に、ポタリと涙がこぼれた。涙は、売られたことを思い知らせるように、はめられた冷たい手枷に落ちて弾けた。

「――でました、五千! 五千以上はございませんか」

 司会者の鼻息の荒い声に、涼子は意識を現実へと向けた。
 気付けば、方々で上がっていた声が聞こえなくなっていた。
 沈黙。それは、この競売に決着がついたということ。

「はは、まさかこんなに愛らしい娘だったとは。これは色々と愉しめそうだ」

 愉悦が滲んだ、ねっとりとした野太い声だった。姿が見えなくとも、自分よりも二倍以上は年上とわかる。「愉しめそう」と言う落札者の下卑た声に、涼子はこの先自分がどのように扱われるのか想像して顔を青くした。
 そして、「では」と司会者が場を閉めようと、木槌を持ち上げた。

「一万」

 刹那、会場には木槌の音ではなく、低い男の声が響き渡った。
 時が止まった。そう思ってしまうほど、皆が声を失っていた。
 一万――その額は、圧倒的な暴力となんら変わりない。

「いっ、一万!? 一万ですか!? い、一万以上はいませんか! いませ……ん、よね……」

 慌てて司会者がオークションを再開させるが、当然声が上がるはずもなく、勢いよくカンッ! と終了の木槌が打ち鳴らされた。

「落札! い、一万で落札でございます!」

 次の瞬間、会場を「正気か!?」「誰だよ!」といった嫉妬に満ちた憤慨の声が席巻した。
 その中で、静かに立ち上がる男がいた。
 参加者達は顔に思い思いの面をつけ、素性がわからないようにしている。やはり今立ち上がった男も同じで、目元に狐面をつけていて顔はわからない。

 男は嫉妬の嵐の中を、まるで無風とばかりに平然とした足取りで進んでいく。口々に恨み言を言っていた者達も、男が通り過ぎると、その威風堂々たる姿に圧倒されたように、ぐっと言葉を飲み込む。そうして、男が壇上へ飛び乗った時には、文句を口にする者は誰ひとりとしていなかった。

 青年は微笑んでいた。しかし、その笑みは貼り付けたように綺麗なだけで感情がない。
 彼は怯えた目を向ける涼子を見下ろし、告げた。

「女、今日から俺が飼い主だ」