田所探偵事務所。
資料の山の中で、田所は一枚の調書を指で弾いた。
「……ここまで来て、 一番“何もしてない”のは誰だと思う?」
夏野は少し考えてから答えた。
「システム管理の……甲斐さん?」
田所は頷きも否定もしなかった。
「甲斐はな、この事件で一番“目立たない位置”にいる」
山岸が言う。
「防犯カメラの件以外、ほとんど名前が出てこないな」
「そう。副社長は口論し、経理部長は通過し、神崎は走り回り、早乙女はゴミを捨て、秘書はデータを消した」
「甲斐だけ、“何もしていない”」
夏野が首を傾げる。
「でも、それって単に関与していないだけでは?」
「普通はそう考える。だが、この事件は“全員が何かしている”のが特徴だ」
田所は甲斐の調書を読み上げる。
「事件当日、十九時前後は自席で作業。誰とも話していない。会議室にも近づいていない」
山岸が言った。
「完璧すぎるアリバイだな」
「完璧すぎる、ってのが問題だ」
夏野が聞く。
「どういう意味です?」
「この会社、事件当日の十九時台は“全員が動いている”。なのに甲斐だけ“完全に静止している”」
「それって……」
「“何もしてない人間”は、たいてい“何かを隠す必要がない人間”だ」
「だがこの事件では、全員が何かを隠している」
山岸が腕を組む。
「つまり、甲斐も何か隠してる?」
「隠してるか、もしくは“隠すのが上手すぎる”」
田所は机の上に並んだ資料を指差した。
「防犯カメラの操作ログ。ユーザー不明。消された形跡がある」
「これは?」
「“痕跡を消した痕跡”だ。何もしない人間の仕事じゃない」
夏野が言った。
「でも、それだけでは……」
「だから決め手は別だ」
田所は、清掃員の証言記録を取り出した。
「清掃員は二回、会議室前を通っている」
「最初は十九時十五分。その時、机は元の位置」
「次は十九時三十五分。その時、机はズレていた」
山岸が言う。
「その間に誰かが入った」
「そう。だがその時間帯、副社長と経理部長は口論中。神崎は社内を走り回っている。早乙女は喫煙所。秘書はデスクで作業」
夏野が目を見開く。
「……全員、それぞれ“別の場所”にいる」
「唯一、“動きが記録されていない人物”がいる」
山岸が静かに言った。
「甲斐か」
田所は小さく息を吐いた。
「この事件、“動いた人間”はみんな記録に残ってる。だが“動いていない人間”だけ、記録がない」
「それって……」
「動いてないんじゃない。“動いたことが記録されていない”」
夏野が言った。
「システム管理なら、ログを消せる……」
「消せるし、“最初から残さないこともできる”」
山岸が言う。
「でも、動機は?」
「甲斐の動機は、まだ一番薄い」
田所は甲斐の人事資料を見つめる。
「社内評価は平均。昇進の見込みなし。リストラ対象でもない。社長との直接的トラブルもない」
「だからこそ、“動機が見えない”」
夏野が言った。
「動機がない人が、一番危ない?」
「動機がないんじゃない。“見えていないだけ”だ」
田所は静かに続けた。
「この事件、全員が“自分のため”に動いた。だが甲斐だけ、“誰のために動いたのか”が見えない」
山岸が言った。
「会社のため?」
「違う。会社のために人は殺さない」
「じゃあ……」
田所は少し黙ってから言う。
「甲斐は、“誰かのため”じゃなく、“何かを終わらせるため”に動いた可能性がある」
夏野が眉をひそめる。
「何かを……終わらせる?」
「この会社そのものだ」
山岸が目を細める。
「どういう意味だ?」
「システム管理はな、会社の裏側を全部知っている。誰が何を隠しているか、誰がどんな不正をしているか」
「それを全部見た人間が、最後に思うことは一つだ」
「――“全部、壊してしまいたい”」
部屋に、短い沈黙が落ちた。
夏野が小さく言う。
「……甲斐さん、ずっと一人でしたね」
「そう。この事件で一番、孤立しているのは甲斐だ」
山岸が言った。
「だが、証拠はまだ薄い」
田所は頷いた。
「今のところはな。だが“存在感が薄い”のは、もう偶然じゃない」
田所は最後に、甲斐の調書の一行を指差した。
「“事件当日、特に変わったことは何もありませんでした”」
「この一文、この事件で一番嘘くさい」
夏野が言った。
「何もなかった人間ほど、実は一番、何かをしている……」
田所は静かに答えた。
「この事件、真犯人は今も、“何もしていない顔”をしている」
資料の山の中で、田所は一枚の調書を指で弾いた。
「……ここまで来て、 一番“何もしてない”のは誰だと思う?」
夏野は少し考えてから答えた。
「システム管理の……甲斐さん?」
田所は頷きも否定もしなかった。
「甲斐はな、この事件で一番“目立たない位置”にいる」
山岸が言う。
「防犯カメラの件以外、ほとんど名前が出てこないな」
「そう。副社長は口論し、経理部長は通過し、神崎は走り回り、早乙女はゴミを捨て、秘書はデータを消した」
「甲斐だけ、“何もしていない”」
夏野が首を傾げる。
「でも、それって単に関与していないだけでは?」
「普通はそう考える。だが、この事件は“全員が何かしている”のが特徴だ」
田所は甲斐の調書を読み上げる。
「事件当日、十九時前後は自席で作業。誰とも話していない。会議室にも近づいていない」
山岸が言った。
「完璧すぎるアリバイだな」
「完璧すぎる、ってのが問題だ」
夏野が聞く。
「どういう意味です?」
「この会社、事件当日の十九時台は“全員が動いている”。なのに甲斐だけ“完全に静止している”」
「それって……」
「“何もしてない人間”は、たいてい“何かを隠す必要がない人間”だ」
「だがこの事件では、全員が何かを隠している」
山岸が腕を組む。
「つまり、甲斐も何か隠してる?」
「隠してるか、もしくは“隠すのが上手すぎる”」
田所は机の上に並んだ資料を指差した。
「防犯カメラの操作ログ。ユーザー不明。消された形跡がある」
「これは?」
「“痕跡を消した痕跡”だ。何もしない人間の仕事じゃない」
夏野が言った。
「でも、それだけでは……」
「だから決め手は別だ」
田所は、清掃員の証言記録を取り出した。
「清掃員は二回、会議室前を通っている」
「最初は十九時十五分。その時、机は元の位置」
「次は十九時三十五分。その時、机はズレていた」
山岸が言う。
「その間に誰かが入った」
「そう。だがその時間帯、副社長と経理部長は口論中。神崎は社内を走り回っている。早乙女は喫煙所。秘書はデスクで作業」
夏野が目を見開く。
「……全員、それぞれ“別の場所”にいる」
「唯一、“動きが記録されていない人物”がいる」
山岸が静かに言った。
「甲斐か」
田所は小さく息を吐いた。
「この事件、“動いた人間”はみんな記録に残ってる。だが“動いていない人間”だけ、記録がない」
「それって……」
「動いてないんじゃない。“動いたことが記録されていない”」
夏野が言った。
「システム管理なら、ログを消せる……」
「消せるし、“最初から残さないこともできる”」
山岸が言う。
「でも、動機は?」
「甲斐の動機は、まだ一番薄い」
田所は甲斐の人事資料を見つめる。
「社内評価は平均。昇進の見込みなし。リストラ対象でもない。社長との直接的トラブルもない」
「だからこそ、“動機が見えない”」
夏野が言った。
「動機がない人が、一番危ない?」
「動機がないんじゃない。“見えていないだけ”だ」
田所は静かに続けた。
「この事件、全員が“自分のため”に動いた。だが甲斐だけ、“誰のために動いたのか”が見えない」
山岸が言った。
「会社のため?」
「違う。会社のために人は殺さない」
「じゃあ……」
田所は少し黙ってから言う。
「甲斐は、“誰かのため”じゃなく、“何かを終わらせるため”に動いた可能性がある」
夏野が眉をひそめる。
「何かを……終わらせる?」
「この会社そのものだ」
山岸が目を細める。
「どういう意味だ?」
「システム管理はな、会社の裏側を全部知っている。誰が何を隠しているか、誰がどんな不正をしているか」
「それを全部見た人間が、最後に思うことは一つだ」
「――“全部、壊してしまいたい”」
部屋に、短い沈黙が落ちた。
夏野が小さく言う。
「……甲斐さん、ずっと一人でしたね」
「そう。この事件で一番、孤立しているのは甲斐だ」
山岸が言った。
「だが、証拠はまだ薄い」
田所は頷いた。
「今のところはな。だが“存在感が薄い”のは、もう偶然じゃない」
田所は最後に、甲斐の調書の一行を指差した。
「“事件当日、特に変わったことは何もありませんでした”」
「この一文、この事件で一番嘘くさい」
夏野が言った。
「何もなかった人間ほど、実は一番、何かをしている……」
田所は静かに答えた。
「この事件、真犯人は今も、“何もしていない顔”をしている」



