都庁前署の取調室。
神崎悟は、机の上に置かれたスマートフォンを見つめたまま、無言で座っていた。
三十五歳。人事責任者。だが今の彼は、責任者というより、ただの疲れ切った会社員にしか見えない。
「この歩数ログ、説明してもらえるか」
山岸が画面を示す。
事件当日、十九時二十分から十九時三十分。
社内にいたにもかかわらず、歩数は通常の三倍。
「……覚えてません」
「社内でそんなに歩き回る理由は?」
神崎は小さく首を振る。
「覚えていないんです。本当に」
山岸はため息をつく。
「辞表を書いて、破り捨てて、その直後に社長が死んだ。普通に考えて、お前が一番怪しい」
神崎はようやく顔を上げた。
「……怪しいのはわかってます。でも、俺は何もしてない」
「じゃあ、何をしてた?」
神崎は少し黙ってから言った。
「……探してたんです」
「何を?」
「人を」
「誰を?」
神崎は視線を逸らした。
「……言えません」
その報告を、田所は事務所で聞いていた。
「“人を探していた”か」
「はい。誰かを追いかけていたようです」
夏野が考え込む。
「つまり、神崎さんは犯人を“見つけようとしていた”可能性も?」
「そう。犯人じゃなく、“犯人になりそうな誰か”をな」
田所は資料をめくる。
「神崎は感情的だが、決定的におかしいのは――“何もしていないのに動きすぎている”点だ」
「動きすぎ?」
「犯人なら、もっと慎重になる。神崎は逆に、“必死すぎる”」
その頃、早乙女も別室で事情聴取を受けていた。
「喫煙所にいたんだろ?」
「はい。煙草吸ってました」
「一人で?」
「ええ」
「吸い殻を自分で捨てた理由は?」
早乙女は一瞬だけ間を置いた。
「……汚かったから」
「それだけ?」
「それだけです」
だが、山岸は机の上に別の写真を出した。
喫煙所のゴミ袋。
中には、煙草の吸い殻以外に、小さく破かれた紙片が混じっていた。
「これは?」
早乙女は目を見開いた。
「……知りません」
「社内メモ帳の切れ端だ。しかも内容は“営業部縮小計画”」
早乙女の喉が鳴った。
「……見てしまったんです。社長の机の上にあって」
「だから捨てた?」
「……はい」
「つまり、お前は“証拠隠滅”をした」
早乙女は俯いた。
「……自分が切られるって知って、頭が真っ白になって……」
その報告を聞いて、田所は言った。
「二人とも、“犯人っぽい行動”はしているが、“殺人に直結する行動”はしていない」
夏野が言う。
「でも、証拠は動かしてますよね」
「そう。この事件の特徴はな、“誰もが現場を汚している”」
田所は机の写真を指差す。
「神崎は人を探して走り回った。早乙女は社長の資料を捨てた。秘書はスマホを整理した。副社長と経理部長はメールを消した」
「全員、自分のために“何か”を消してる」
夏野が静かに言う。
「だから、本当の犯人の痕跡が埋もれてしまう……」
「そう。この事件、“真犯人が一番静か”だ」
その時、山岸から新しい連絡が入った。
「副社長の車のドラレコ、解析終わった」
「何が出た?」
「事件当日、十九時過ぎ。ビル裏口で誰かと口論している映像がある」
「相手は?」
「顔は映ってない。だが音声だけ残ってる」
田所は言った。
「聞かせろ」
スピーカーから流れたのは、低く荒い男の声。
『……ふざけるな。あんたのせいで、こっちは首が飛ぶんだ』
『知るか。俺だって余裕ない』
『……社長、消えればいいのに』
音声はそこで切れていた。
夏野が小さく息を吸う。
「“社長が消えればいい”……」
「言ったのは副社長本人だ」
山岸が言う。
「映像は副社長の車内マイクからだ」
田所はしばらく黙ってから言った。
「……全員、殺意の言葉だけは一流だな」
夏野が尋ねる。
「この中で、一番怪しいのは誰だと思います?」
田所はすぐに答えなかった。
資料を見つめ、神崎の歩数ログ、早乙女のゴミ袋、副社長の音声記録、秘書の削除履歴を順に並べる。
「この事件、犯人を当てるゲームじゃない」
「じゃあ、何ですか?」
「“誰の嘘が一番小さいか”を見るゲームだ」
夏野が目を細める。
「小さい嘘?」
「人は大きな罪を隠す時、逆に“小さすぎる嘘”をつく」
田所は静かに言った。
「そして今、一番“何もしていないように見える人間”がいる」
夏野が言った。
「……甲斐さん?」
田所は首を振った。
「まだ言わない。今は全員、ちょうどいい具合に怪しい」
窓の外では、雨が止みかけていた。
だが事件の中では、まだ誰も、本当に濡れている人間を見つけられていなかった。
神崎悟は、机の上に置かれたスマートフォンを見つめたまま、無言で座っていた。
三十五歳。人事責任者。だが今の彼は、責任者というより、ただの疲れ切った会社員にしか見えない。
「この歩数ログ、説明してもらえるか」
山岸が画面を示す。
事件当日、十九時二十分から十九時三十分。
社内にいたにもかかわらず、歩数は通常の三倍。
「……覚えてません」
「社内でそんなに歩き回る理由は?」
神崎は小さく首を振る。
「覚えていないんです。本当に」
山岸はため息をつく。
「辞表を書いて、破り捨てて、その直後に社長が死んだ。普通に考えて、お前が一番怪しい」
神崎はようやく顔を上げた。
「……怪しいのはわかってます。でも、俺は何もしてない」
「じゃあ、何をしてた?」
神崎は少し黙ってから言った。
「……探してたんです」
「何を?」
「人を」
「誰を?」
神崎は視線を逸らした。
「……言えません」
その報告を、田所は事務所で聞いていた。
「“人を探していた”か」
「はい。誰かを追いかけていたようです」
夏野が考え込む。
「つまり、神崎さんは犯人を“見つけようとしていた”可能性も?」
「そう。犯人じゃなく、“犯人になりそうな誰か”をな」
田所は資料をめくる。
「神崎は感情的だが、決定的におかしいのは――“何もしていないのに動きすぎている”点だ」
「動きすぎ?」
「犯人なら、もっと慎重になる。神崎は逆に、“必死すぎる”」
その頃、早乙女も別室で事情聴取を受けていた。
「喫煙所にいたんだろ?」
「はい。煙草吸ってました」
「一人で?」
「ええ」
「吸い殻を自分で捨てた理由は?」
早乙女は一瞬だけ間を置いた。
「……汚かったから」
「それだけ?」
「それだけです」
だが、山岸は机の上に別の写真を出した。
喫煙所のゴミ袋。
中には、煙草の吸い殻以外に、小さく破かれた紙片が混じっていた。
「これは?」
早乙女は目を見開いた。
「……知りません」
「社内メモ帳の切れ端だ。しかも内容は“営業部縮小計画”」
早乙女の喉が鳴った。
「……見てしまったんです。社長の机の上にあって」
「だから捨てた?」
「……はい」
「つまり、お前は“証拠隠滅”をした」
早乙女は俯いた。
「……自分が切られるって知って、頭が真っ白になって……」
その報告を聞いて、田所は言った。
「二人とも、“犯人っぽい行動”はしているが、“殺人に直結する行動”はしていない」
夏野が言う。
「でも、証拠は動かしてますよね」
「そう。この事件の特徴はな、“誰もが現場を汚している”」
田所は机の写真を指差す。
「神崎は人を探して走り回った。早乙女は社長の資料を捨てた。秘書はスマホを整理した。副社長と経理部長はメールを消した」
「全員、自分のために“何か”を消してる」
夏野が静かに言う。
「だから、本当の犯人の痕跡が埋もれてしまう……」
「そう。この事件、“真犯人が一番静か”だ」
その時、山岸から新しい連絡が入った。
「副社長の車のドラレコ、解析終わった」
「何が出た?」
「事件当日、十九時過ぎ。ビル裏口で誰かと口論している映像がある」
「相手は?」
「顔は映ってない。だが音声だけ残ってる」
田所は言った。
「聞かせろ」
スピーカーから流れたのは、低く荒い男の声。
『……ふざけるな。あんたのせいで、こっちは首が飛ぶんだ』
『知るか。俺だって余裕ない』
『……社長、消えればいいのに』
音声はそこで切れていた。
夏野が小さく息を吸う。
「“社長が消えればいい”……」
「言ったのは副社長本人だ」
山岸が言う。
「映像は副社長の車内マイクからだ」
田所はしばらく黙ってから言った。
「……全員、殺意の言葉だけは一流だな」
夏野が尋ねる。
「この中で、一番怪しいのは誰だと思います?」
田所はすぐに答えなかった。
資料を見つめ、神崎の歩数ログ、早乙女のゴミ袋、副社長の音声記録、秘書の削除履歴を順に並べる。
「この事件、犯人を当てるゲームじゃない」
「じゃあ、何ですか?」
「“誰の嘘が一番小さいか”を見るゲームだ」
夏野が目を細める。
「小さい嘘?」
「人は大きな罪を隠す時、逆に“小さすぎる嘘”をつく」
田所は静かに言った。
「そして今、一番“何もしていないように見える人間”がいる」
夏野が言った。
「……甲斐さん?」
田所は首を振った。
「まだ言わない。今は全員、ちょうどいい具合に怪しい」
窓の外では、雨が止みかけていた。
だが事件の中では、まだ誰も、本当に濡れている人間を見つけられていなかった。



