アームチェア・ディティクデブ

資料の束をめくる音だけが、静かな事務所に落ちる。
田所は椅子に深く沈んだまま、視線だけを走らせていた。
「まずは秘書だな」
山岸が言う。
「相沢真理。三十五歳。十八時三十八分入室、十八時五十七分退室」
「動機は」
「被害者との関係が最近悪化。社内プロジェクトから外される予定だった」
田所は無言でページをめくる。
「次は息子」
「三條悠真。三十二歳。十八時四十分訪問、十八時四十四分退室」
「滞在四分」
「口論があったらしい。隣人が怒鳴り声を聞いている」
「“殺してやる”とまでは聞こえなかったが、相当激しい怒鳴り声だったと隣人は証言している」
「内容は」
「経営方針の対立。会社を継がせないと言われた可能性が高い」
田所の指が止まる。
「四分で終わる口論は、短いな」
山岸が肩をすくめる。
「怒鳴って出ていったらしい」
「なるほど」
ページが進む。
「管理会社社員、島田浩司。エレベーター点検責任者。十九時から停止」
「鍵は」
「マスターキーは所持。ただし使用履歴なし」
「次」
「同フロア住人、西原健。十九時二十分頃に物音を聞いたと証言」
「頃、か」
「正確な時刻は曖昧だ」
「最後は」
「顧問弁護士、田辺博。当日十九時四十五分からオンライン面談予定。連絡が取れず」
田所は資料を閉じた。
五人。
秘書。
息子。
管理会社。
隣人。
弁護士。
それぞれに利害がある。
それぞれに、十九時台に関わる理由がある。
「綺麗に割れている」
田所が呟く。
「何がだ」
「動機の質だ」
山岸が眉をひそめる。
「質?」
「秘書は感情。
息子は承認欲求。
管理会社は金。
隣人は不満。
弁護士は契約」
五つの方向。
だが、死亡推定は一つ。
十九時台。
「先生は誰が怪しいと思いますか」
夏野が問う。
田所は答えない。
代わりに、山岸を見る。
「山岸さん。君はどう思う」
「秘書だな。最後まで室内にいた」
「息子は」
「四分で退室。アリバイは薄いが、時間が合わない」
「時間が合わない?」
山岸は頷く。
「死亡推定は十九時十五分以降だ。息子は十八時四十四分に出ている」
田所の視線がわずかに揺れる。
「そうか」
短い一言。
だが、そこにわずかな温度があった。
「何だ、その顔は」
「別に」
田所はカップを手に取る。
「五人のうち、誰か一人が殺した。
だが、密室は五人全員の可能性を残している」
山岸は苛立ちを隠さない。
「だから協力を頼みに来たんだ」
「分かっている」
田所は椅子に体重を預ける。
「まずは、全員の行動を正確に並べろ」
「もう並べている」
「並べ方が甘い」
山岸の目が細くなる。
「どういう意味だ」
「君は“十九時台”に揃えている」
静かな声。
「だが事件は、十九時に始まったとは限らない」
空気が一瞬止まる。
夏野が視線を上げる。
「先生は、死亡推定そのものを疑っているのですか」
田所は答えない。
ただ、資料の一点を見つめている。
そこには、十八時四十分という数字があった。
「山岸さん」
「なんだ」
「五人のうち誰かを疑うのは、まだ早い」
「じゃあ何を疑う」
田所はゆっくりと笑った。
「順番だ」