3.
香織は、ルーズリーフの紙を半分に折り、折り目に定規を当てて紙を綺麗に裂いた。そして、半分になった紙に対して、同じ作業を繰り返す。
作業中、涼は腕を組み、天井を見上げていた。
「香織さ、もし明日カバになったとしても、仲良くしよう」
唐突すぎる言葉に、香織は笑う。
「意味分かんないんだけど」
「きっと、無駄を削がれて、最短効率で時間を使うようになる日もそう遠くない。もう、自分という人間を数字に置換して戦う日が迫ってきてる。だから、浅瀬で生存に適応的なことばかりするようになっても、仲良くしよう」
小さい窓から吹き込む風が、急に生ぬるく感じられた。
初めての食事から、もうずいぶん時間が経った。
「大丈夫。お互いもう底が見えないくらい深いところに沈んでるよ。安心しなって」
「今更、もう戻れないか」
「そうだよ。今浅瀬に戻ったら、気圧差で破裂しちゃうでしょ」
香織は裂いた紙を涼に手渡した。
受け取った涼は、ペンを手に取る。香織も同じようにペンを取り出し、白い紙と対峙する。
書くべきことは、いつも大体同じ。消しても壊しても拭えない、どうしようもない寂しさの傷痕。
「ふと思い出したんだけど、昔、天文台で宇宙食売ってて、ショートケーキ食べたことあるんだよね」
カツカツと、ペンの走る音が鳴る中、涼が言った。
「美味しかった?」
「いや、全然美味しくなかった。粉っぽくてパサパサだし、味も微妙だった。宇宙仕様だから、水分が入ってないんだ」
「宇宙でもスイーツ食べようとするのが面白いよね。人間らしいというか。実際に宇宙で食べたのかな」
「どうだろう。分かんないけど、とにかく、どこまでいっても人間には贅沢が必要なんだろうね。きっと、不必要が必要なんだ」
「じゃあ、今日も贅沢しよう。馬鹿な私たちが生存するために」
香織は、中が見えないよう、選挙の投票用紙みたいに折った紙を涼の前に差し出した。同じように差し出された涼の紙を受け取る。
開いて中を確認する。紙中央に、極めて流麗な文字が書かれている。
『点数じゃなくて、俺を見てよ』
舌に紙を乗せる。香織は涼に向かって頷いた。
そして、机の上に置かれていたペットボトルのキャップを開け、水と一緒に流し込んだ。
形容しがたい、ざらついた感触が喉を通る。味もしない、匂いもしない。ただ、苦しい記憶が文字の中で暴れている。
大丈夫、傷はちゃんと体の中にある。涼の声にならない叫びをちゃんと知ってるよ。
香織は唾液を飲み、涼の目を見た。
涼は少し鼻を掻き、香織が書いた紙を一度舌に置いた。今度は涼が食べてくれる。
ありがとう。誰にも言えない秘密を抱えてくれて。
香織は次の紙を開く。
『愛されたかっただけなのに』
先ほどと同じく、舌に紙をのせ、水と共に体へ馴染ませる。
とてつもなく重い苦みが広がっていく。
『もう頑張りたくない』
紙を食べていくたび、涼の傷が、自分の傷と混じる。
言葉にならなかったはずの感情の蓋が開く。中はもう暴発寸前だった。
今もずっと寂しいです。
なんで、愛してくれなかったんだろう。
虚しさに負けそう。
ずっと、そばで笑ってくれていれば、それだけでよかったのに。
香織は、疼く胸の痛みを抑えつけながら、最後の料理にありついた。
『生まれてきた僕が悪いんです。ごめんなさい』
香織は食べる前に涼を見た。涼は既にに全ての傷を食べ終えていた。慈しむような目で見つめ返してくる。
代わりに受け入れてあげる。決意して、紙を食べた。
苦く、破裂しそうな痛みが、食道を通っていく。
溶けて、壊れて、赦す寸前で揺蕩う。
食べても、食べても。苦しんでも、苦しんでも終わらない毎日を噛み砕く。
全てを食べ終えると、自然と全身から力が抜けた。
「ごちそうさまでした」
「どう香織、満腹になった?」
「いや、満腹ですよ。ありがとうございます」
「よかった。元気になってくれないとさ。こっちも楽しくないから」
「いや、今日も贅沢しちゃったな。人間って最高かも」
「ね。やっぱり馬鹿なままでいたいよ」
昼休みの終わりを告げる予鈴が聞こえてきた。
結局、必要以上の贅沢はさせてくれないらしい。
今日も地球は、正しく回る。
イディオット・ブルー 完
香織は、ルーズリーフの紙を半分に折り、折り目に定規を当てて紙を綺麗に裂いた。そして、半分になった紙に対して、同じ作業を繰り返す。
作業中、涼は腕を組み、天井を見上げていた。
「香織さ、もし明日カバになったとしても、仲良くしよう」
唐突すぎる言葉に、香織は笑う。
「意味分かんないんだけど」
「きっと、無駄を削がれて、最短効率で時間を使うようになる日もそう遠くない。もう、自分という人間を数字に置換して戦う日が迫ってきてる。だから、浅瀬で生存に適応的なことばかりするようになっても、仲良くしよう」
小さい窓から吹き込む風が、急に生ぬるく感じられた。
初めての食事から、もうずいぶん時間が経った。
「大丈夫。お互いもう底が見えないくらい深いところに沈んでるよ。安心しなって」
「今更、もう戻れないか」
「そうだよ。今浅瀬に戻ったら、気圧差で破裂しちゃうでしょ」
香織は裂いた紙を涼に手渡した。
受け取った涼は、ペンを手に取る。香織も同じようにペンを取り出し、白い紙と対峙する。
書くべきことは、いつも大体同じ。消しても壊しても拭えない、どうしようもない寂しさの傷痕。
「ふと思い出したんだけど、昔、天文台で宇宙食売ってて、ショートケーキ食べたことあるんだよね」
カツカツと、ペンの走る音が鳴る中、涼が言った。
「美味しかった?」
「いや、全然美味しくなかった。粉っぽくてパサパサだし、味も微妙だった。宇宙仕様だから、水分が入ってないんだ」
「宇宙でもスイーツ食べようとするのが面白いよね。人間らしいというか。実際に宇宙で食べたのかな」
「どうだろう。分かんないけど、とにかく、どこまでいっても人間には贅沢が必要なんだろうね。きっと、不必要が必要なんだ」
「じゃあ、今日も贅沢しよう。馬鹿な私たちが生存するために」
香織は、中が見えないよう、選挙の投票用紙みたいに折った紙を涼の前に差し出した。同じように差し出された涼の紙を受け取る。
開いて中を確認する。紙中央に、極めて流麗な文字が書かれている。
『点数じゃなくて、俺を見てよ』
舌に紙を乗せる。香織は涼に向かって頷いた。
そして、机の上に置かれていたペットボトルのキャップを開け、水と一緒に流し込んだ。
形容しがたい、ざらついた感触が喉を通る。味もしない、匂いもしない。ただ、苦しい記憶が文字の中で暴れている。
大丈夫、傷はちゃんと体の中にある。涼の声にならない叫びをちゃんと知ってるよ。
香織は唾液を飲み、涼の目を見た。
涼は少し鼻を掻き、香織が書いた紙を一度舌に置いた。今度は涼が食べてくれる。
ありがとう。誰にも言えない秘密を抱えてくれて。
香織は次の紙を開く。
『愛されたかっただけなのに』
先ほどと同じく、舌に紙をのせ、水と共に体へ馴染ませる。
とてつもなく重い苦みが広がっていく。
『もう頑張りたくない』
紙を食べていくたび、涼の傷が、自分の傷と混じる。
言葉にならなかったはずの感情の蓋が開く。中はもう暴発寸前だった。
今もずっと寂しいです。
なんで、愛してくれなかったんだろう。
虚しさに負けそう。
ずっと、そばで笑ってくれていれば、それだけでよかったのに。
香織は、疼く胸の痛みを抑えつけながら、最後の料理にありついた。
『生まれてきた僕が悪いんです。ごめんなさい』
香織は食べる前に涼を見た。涼は既にに全ての傷を食べ終えていた。慈しむような目で見つめ返してくる。
代わりに受け入れてあげる。決意して、紙を食べた。
苦く、破裂しそうな痛みが、食道を通っていく。
溶けて、壊れて、赦す寸前で揺蕩う。
食べても、食べても。苦しんでも、苦しんでも終わらない毎日を噛み砕く。
全てを食べ終えると、自然と全身から力が抜けた。
「ごちそうさまでした」
「どう香織、満腹になった?」
「いや、満腹ですよ。ありがとうございます」
「よかった。元気になってくれないとさ。こっちも楽しくないから」
「いや、今日も贅沢しちゃったな。人間って最高かも」
「ね。やっぱり馬鹿なままでいたいよ」
昼休みの終わりを告げる予鈴が聞こえてきた。
結局、必要以上の贅沢はさせてくれないらしい。
今日も地球は、正しく回る。
イディオット・ブルー 完



