『星欠片が溶けるその時まで』

プロローグ
人を愛し、人に愛される度に、私の命はすり減っていく。
誰かを愛することも、誰かに愛されることも、神様は許してくれなかった。
君を愛してしまうと、
私の未来は消えていく。
君に愛されてしまうと、
私の命は溶けていく。
そう分かっていても、君のことを愛したいと思った。
君に愛されたいと思った。
ねえ、君のこと、愛してもいいですか。
君に愛されたいと想ってもいいですか。
もしも、願いが叶うなら、ありったけの愛を、私にこれから降り注ぐはずの愛を、全部、君から。
そして、すべての愛を、私がこれから伝えたはずの愛を、全部、君へ。
この夜空のどこかで、私という星が輝いている限り。
君への想いは果てることなく、君が生きる世界を、未来を、照らし続けますように。

1、
七夕祭り。
五歳の時。
迷子になって、一人道端で泣いた。
そんな私に、手を差し伸べてくれる男の子。
風になびくサラサラな髪と、整った顔立ち。
くりくりな目に、鼻筋の通った鼻、少しふっくらとした頬。
そして、私に微笑みかける。
「一緒に行こ?」
と差し伸べられた手を、躊躇いもなく、優しく握る。
その子と、星空の下を歩く。

「また、この夢だ。」
そんな呟きは宙に溶けた。
小さい頃からよく見るこの夢。
私の、初めての七夕祭りの思い出。
目を擦り、顔を洗って目を覚ます。
昇ったばかりの太陽の光が、カーテン越しに私を撫でる。
一人で学校の支度をする。
お母さんは、小さいときに亡くなり、お父さんは、転勤を繰り返す。
つまり、ほぼ一人暮らしだ。
着慣れた制服に腕を通す。
鏡を見ながらリボンを結び、よしっと呟く。
朝ごはんは適当に、トーストにジャムを塗る。
歯を磨いて、髪をとかす。
私の学校は校則が緩いため、長い髪でも、結ばなくていい。
カバンを手に持ち、玄関まで歩く。
準備を終え、誰もいない部屋に、行ってきます、と呼びかけて、家を出る。
最寄り駅まで歩く。
犬の散歩をする人。
風に揺れる花。
元気に走り回っている小学生。
いつも通りの世界にふっと息が溶ける。
電車に揺られ、学校へ歩む。
同じ制服の人が多くなり、最後の坂を登る。
今日も、一日が始まる。
風が、スカートを揺らす。
席につき、一限目の準備をする。
そして、SNSを見る。
別に意味なんてない。
暇つぶしだ。
もうすぐ、授業が始まる。
朝日が教室の窓から差し込む。
一限目は眠くて眠くて、板書を写すことに必死だった。
「日直、黒板消してなー」
一限目終了の合図とともに、授業を終えた先生が声をかける。
まだ一年が始まったばかりの教室はなんだか初々しい。
窓の外には、溢れるほどの日差しを浴びて、青葉が茂っている。
そんな眩しさとは裏腹に、私の心は曇っていた。
黒板の端に書かれた日直の名前。

姫次 織羽(ひめつぐ おとは)
星宮 陽彦(ほしみや はるひこ)

はぁ、最悪だ。
その名前を見て、ため息が漏れる。
よりによって星宮くんとなんて。
星宮くんは明るくて、気さくな人。
どう考えても交わることの無い世界の人。
そんな星宮くんは私のほうへ来て、
「ごめん、姫次さん、日誌お願いしていい?俺黒板消すから。」
君にそんなこと言われたら断れるわけないじゃない。
精一杯笑顔を作って
「もちろん、いいよ。黒板、よろしくね。」
そう頷いた。

時間が過ぎるのは本当に早い。
気が付けば放課後だ。
もうすぐ一日が終わる。
そういえば、今日はどこも部活をしない日だった。
運動場からのいつもの運動部の掛け声は聞こえない。
目を向けても、誰もいない。
いつもと違う、寂しげな運動場。
ただ、傾き始めた太陽が、燦々と降り注ぐだけ。
日誌に目を落とす。
授業内容、態度、欠席、遅刻、コメント。
全てを書き終えた。
思いの外、時間がかかった。
一人でやるには、量が多い。
窓の外を見る。
日誌を終わらせていたら、いつの間にか日は沈みそうになっていた。
急いで帰る準備をして、教室の鍵を閉める。
帰り道。
夕陽が私を照らして影が伸びる。
同じ方向に帰るサラリーマン。
お客さんと話しているお花屋さん。
いつもと変わらない情景を横目に、最寄り駅へと足を進める。
電車に揺られ、最寄り駅で降りる。
見渡すと、黒い人影が見えた。
ホームの隅の方でうずくまっているようだ。
よく見ると、同じ制服だ。
自分から人に声をかけることなんて滅多にない。
緊張するけど、今は声をかけないと。
深呼吸をする。
手を差し伸べて、
「大丈夫ですか?」
そう声をかけた。
こっちを見上げる顔は、見覚えがあって。
「え、、星宮くん?」
そう呟いた声は届かなくて。
星宮くんは虚ろな目でこっちを見つめる。
そして、君は驚いたように、
目を見開いた。
「ひえ、、つぐ、さ」
きつそうに肩で息をして、顔が火照っている。
「大丈夫?家、どこ?送るから。」
君はただ頷くだけで、答えてくれない。
しょうがなく、近くの公園へと向かう。
彼の鞄を持つ。
日の沈みかけた街を進む。
ゆっくりと歩き、ベンチへと座る。
看板の近くにある自販機で水を買い、君に差し出す。
いつもはとても遠い君。
そんな君が今、私の隣に座っている。
もう日は完全に沈み、月が顔を出していた。
君は、私が買ってきたお水を飲み、少しずつ落ち着いてきたようだ。
「ごめんね、姫次さん、水ありがとう。」
申し訳なさそうに肩をすくめる君が、なんだか弱々しくて、可愛くて。
いつもの明るさからは想像もできない。
「全然いいよ!星宮くんこそ、大丈夫?」
「うん、もう大丈夫だよ!ただの熱中症だと思う。ありがと。」
二人で微笑む。
そのあと、君と他愛もない話で盛り上がる。
君がいきなり授業中の先生のものまねをしてきて、笑いが止まらなくなった。
「笑い過ぎだろっ」
そういう君も笑っていて、
「星宮くんだって」
と二人で大笑いする。
あとは、カフェの飲み物の新作の話とか、友達の笑い話とか。
君の気さくな話に夢中になった。
ふはっと笑いながら話す君を、意味もなく見つめる。
整った顔立ちだな、と感じる。
君はずっと笑顔を絶やさなかった。
君の話が面白くて、私も笑って。
気がつけば、月が高く昇っていた。
君は、ふうっと息を吐いて、
「そろそろ帰ろっかな。本当にありがとね。」
と呟いた。
「家、送るよ。危ない
し。」
と返したら、
「いやいや、こんな夜に女の子一人で遠くまで歩かせる方が危ないよ。」
と、かっこいい返しをしてきた。
本当にキザなやつ。
「そっか。ほんとに大丈夫?」
そう言うと、君はにっと笑って、
「うん、もう元気。こっちが送るよ。」
と首を傾げた。
「いいの?」
と聞くと、もちろん、と応えてくれた。
それから少し休んで、君と歩き始めた。
街灯で照らされた私たちの影を見る。
天を仰ぐと、星が瞬いていた。
一等星のベガ、アルタイル、デネブ。
これくらいは、星に疎い私でも分かる。
七夕生まれだからだろうか。
ベガを見ると、胸がざわつく。

星空のもと、家路へとつく。

私の家の前で別れる。
「送ってくれてありがと」
と言うと、
「全然いいよ、こちらこそ、今日はありがとう。日誌もね。」
「日誌、大変だったんだからね!」
と少し頬を膨らませる。
君は、微笑んで、
「次は、俺もするから、ごめんって」
と言ってくれた。
「ううん、次、ちゃんとやってくれればいいから。星宮くん、黒板、ありがとね」
そこで、君が目を見開いたことを思い出した。
「そういえば、なんであのとき、星宮くん、驚いた顔したの?」
星宮くんは、え?と呟いて、
「昔、女の子を助けたことがあるんだ。その時の子の不安そうな顔と姫次さんがそっくりで。立場が逆転てしてて。あの時のあの子が助けに来てくれたのかなって。……ごめん。長く話しちゃって。」
星宮くんからほかの女の子の話を聞くと、なぜか胸が苦しい。
「ううん。話してくれてありがとう。」
月光が二人の間を縫う。
「いや、全然。じゃーな、また明日」
「うん、また明日」

玄関の扉の鍵を開け、ドアノブに手をかけ、振り返る。
それに気づいた君はひらひらと手を振ってくれた。
手を振り返して、家に入る。

胸がどきどきとうるさい。
なに、これ。
頬が熱い。
初めて、こんな感情になった。

君との距離が急速に縮まった一日だった。

翌日。
朝、登校すると君は真っ先に私に近づいてきて、
「昨日はありがとう。助かったよ。これ、ちょっとだけど昨日のお礼。」
そう言って差し出してきたのは、お菓子が入った袋だった。
嬉しくて、言葉が出なかった。
星宮くんは、
「えっと...お菓子、嫌いだった?」
と不安そうにこっちを見てきた。
「そんなことない!お菓子、毎日山ほど食べるし、大好き!こちらこそありがと!」
途中、余計なことを言ってしまった。
山ほどとか、女の子なのに...。
そんなふうに思っていたら、
「ぶはっ、そっか、良かった!じゃあ、それも、山ほど食えよ!」
君はそう笑い合う。
なんか恥ずかしくて、顔が熱い。
君と話してる間、なぜか心の奥がざわついて、君が席に戻ったあとも、どきどきが止まらなかった。

2、
梅雨に入って、最近は、変わり映えしない、雨模様の日の放課後。
一人で課題をしていたら、君に声をかけられた。
「あのさ、一緒に映画行かない?この前のお礼も兼ねて、奢るから。」
話についていけなくて、やっと理解した私は、
「いや、お礼はこの前貰ったよ!」
と伝えた。
「お礼っていうか、ただ、俺が姫次さんと遊びたいだけだから。」
君が目の前にいるだけで、どきどきする。
「え、」
声がもれる。
「も、もちろん、行く、行きたい!」
そう答えた。

君と約束した日。
梅雨あけで、少し蒸し暑くなってきた。
朝、早く起きて髪の毛を巻いてみる。
かわいい服も着る。
ただ映画を見に行くだけなのに、相手が君と言うだけで気合いが入る。
君は、かわいいと言ってくれるかな。
今日は晴れていて、湿った風が吹いている。
待ち合わせ場所に君はもう着いていて、うるさい鼓動を落ち着かせながら、
「おまたせ。」
と声をかけると、風でなびく髪を直しながら、君は笑顔で振り向いて
「ほんとにね、」
と笑ってきた。
そこは、全然待ってないよ、でしょーよ。
ほんと、キザなセリフは言えるのに、お世辞のひとつも言えないのか。
でも、君のおかげで、緊張が溶けた気がする。
それから映画を見た。
自分からは見ないジャンルだったけど、面白くて、別のシリーズも見てみようと思った。
自分でお金を出す。
君は、いいのに、と少し残念そうだった。

それから一緒に遊んで、帰り際に、
「あのさ、俺、姫次さんのこと、好きなんだ。付き合って欲しい。」
私の中で時間が止まった。
君は焦ったように
「えっと、、この前助けてくれた優しいところとか、髪の毛巻いてくれてるところとか、笑ったら可愛いところとか、日直の時、一生懸命仕事するところとか、ちゃんと課題してる真面目なところとか、お菓子、山ほど食べるとことか、、」
最後に関しては褒めているのかも分からない。
というか、笑ったら、ってちょっと失礼じゃない。
お菓子のことは、私が気にしていたことを言うなんて。
本当にデリカシーがない。
でも、そんな君が私も好きだ。
出会った時から、話しかけられた時から、ずっと君を見ていた。
交わることないって理由をつけて、自分の気持ちに蓋をしていたけど、本当は、君と日直になれて嬉しかったし、日誌を頼まれた時も、心臓が跳ねてた。
最悪なんて嘘で、最高だった。
息を吸って
「もちろん!喜んで。」
と返した。
君は嬉しそうにガッツポーズをしていた。
軽やかな風がまだ始まったばかりの恋を穏やかに撫でた。

この時は、この恋で私の命が少しずつ削れていくなんて、考えもしなかった。

3、
晴れた日。
教室の窓から、少し夏らしくなった空を見上げる。
今日は、君と一緒に帰る日。
そわそわして、落ち着いて授業を受けることができずに、放課後を迎えた。
君は、私の席のそばに来て、帰ろ、と言ってきた。
うん!と応えて、教室を後にする。
学校から駅に歩くときに、君が
「手、繋ぎたい」
って言ってきた。
同じ学校の人が沢山いるし、恥ずかしい。
「えっと、降りる駅、着いたらね。人目もあるし」
と返したら、君は残念そうな顔をして、
「はーい、じゃあもう少しお預けだな」
って一人何度も頷いていた。
そんな君の何気ない仕草に口角が緩む。

電車の窓から夕暮れる空を眺める。
「よく空見てるよな」
そう君に言われた。
たしかに、よく見上げる。
「そうだね。なんかさ、空って、世界中どこまでも繋がってる気がするじゃん。だからさ、なんか、もう会えない人に、逢えるような気持ちになれるっていうか」
上手く言えない。
それなのに君は、
「うん。なんか分かる気がする。素敵だね、その考え方。俺、好きだよ。」
好きだよって言葉に心臓が跳ねる。
あ、ありがとっ、と呟いた。
最寄り駅に着いたら、すぐさま君は、
「んっ」
と言って手を差し伸べてきた。
その手を少し躊躇いながら握る。
夕風が夏空を撫でる。
最寄り駅から歩く途中。
君と語り合ったあの日の公園の自販機前を通るとき。
小さい女の子が泣いていた。
あ、と声が漏れる。
君はすぐさまその子の傍にしゃがんで、
「どうしたの?」
と聞いた。
「ままがぁ」
そう泣き叫ぶ女の子。
泣いている女の子のそばに腰を下ろして、背中をさする。
君は太陽のような笑顔で、
「よしっじゃあ探そう」
と勢いよく立ち上がった。
私は、女の子に手を差し伸べる。
一緒に行こ?と呟くと、うん、と手を握ってくれた。
七夕祭りの男の子に伝えたい。
私、君みたいに優しくなれたよ、って。

「じゃあ、俺探してくるから、その子、頼むぜ」
そう言って君は走り出した。
女の子と一緒にあの日のベンチに座る。
女の子は少しして、
「おにいちゃん、かっこいいね」
って言ってくれた。
「だね。」
と短く返すと、
「優しいおねえちゃんと、お似合いだねっ」
と笑いかけてくれた。
えっ、と呟くと、全身に熱が帯びる。
その後、君はすぐにお母さんらしき人を連れて戻ってきた。

その子のお母さんは、少し離れたところで、女の子の名前を叫んでいたらしい。

お母さんは何度もお礼を言って去っていった。
女の子も、ありがとっ、と言ってお母さんと手を繋いで帰っていった。

その後、君に
「ジュース買っていい?」
と聞かれた。
「え、いいけど、あとちょっとで家着くでしょ」
と言うと、
「いいのいいの」
とジュースを選び始めた。
ちょっと選んで、どれがいいと思う?って聞かれたから、無難なオレンジジュースを指差すと、
「いや、それは面白くない」
って言ってきた。
はぁ?と声が漏れた。
ジュースに面白さを求める気持ちが分からない。
だけど、なんだか真剣に選ぶ顔が可愛い。
くりくりな目を何度もぱちぱちさせて、これっ、と言って勢いよくボタンを押した。

結局、よく分からない味のジュース。
微炭酸スイカ緑茶。
絶対おいしくない。
「これ、見たことないし、新発売らしい」
ってドヤ顔して、缶を開けた。
そして一口飲んで、絶妙な顔をしたあとで、
「うん、うまい!」
という声が響いた。
「いや、絶妙な顔してたじゃん。そんなわけないでしょ。」
って言うと、
「じゃあ、飲んでみる?」
そう言って缶を差し出してきた。
それって、関節キスだよね。
君は気づいてないのかな。
まあ、私だけ意識するのも恥ずかしいし、じゃあ、と缶を受け取った。
ジュースを口に含んだ瞬間、なんとも言えない味で、口が満ちた。
微妙な香りが鼻に充満して、美味しいとはとてもじゃないけど言えない。
後味も最悪だ。
「まっず」
そう言って、君に缶を返した。
そういう君は吹き出して、正直すぎる!って言ってきた。
もう、君がおいしいって言うから飲んだのに。

でも、こんなひとときが幸せで、君の優しさに、胸がきゅっとした。
君の隣にいると、どんな時間も、全て、幸せで満ちる。

4、
君と七夕祭りに行く。
七夕は私の誕生日だ。
私の母が着ていたという浴衣を身にまとって、待ち合わせ場所に行く。
また君は先にいて、
「おまたせ」
と言った。
「今来たばっかだよ」
君がこんな気の利いたこと言えるわけないから、本当にさっき来たんだね。
ちょっとずつ、君が分かってきた。
「浴衣可愛いじゃん」
というキザっぽいセリフに、頬が熱くて、
「行こ」
と言って、君の手を引いて、参道を歩く。
りんご飴や焼きそばなどを頬張った。
「よく食べるねー」
そう言ってきた。
そういうことは言わなくていいのっ、と言うと、ごめんって、と笑ってきた。
最後に、短冊に願いを書いて、笹につけた。
私の願いは、
「君といつまでも一緒にいられますように」
君は、はい、と言って紙袋を渡してくれた。
「今日、誕生日なんだろ?」
中を見ると、星形のピンだった。
知っててくれて嬉しい。
君の誕生日は、12月24日。
クリスマスイブ。
二人して行事の日に生まれるなんて、運命かもなんて考えると、ひとりでに気分が明るくなった。
君と別れたあとも、余韻が消えなくて、自然と笑みがこぼれる。

家に帰ると、荷物が届いていた。
お父さんからだ。
開けると、誕生日おめでとう、というメッセージとともに、お菓子が入っていた。
一つ、袋を開け、口に入れる。
頬が落ちるほどに甘くとろけた。
今までで一番のお菓子だった。

次の日。
肩から胸のあたりにかけて、星屑のような痣を見つけた。
痛くも痒くもないけど、心配で病院に行く。
今日、学校が休みでよかった。
君に言うと、絶対に心配されるから。
そのあと、病院の先生に言われたことは予想よりも残酷で、重くて、辛くて、苦しくて。

たくさんの検査を終えて、先生が発した言葉は、
「検査に異常は見られませんでした。ひとつ、可能性として聞いてください。星欠片病(ほしかけびょう)という病があります。この病気は、七夕生まれの、女の子に見られ、伝説の病とされています。」
七夕生まれは、私のことだ。
伝説の病?
何それ。
「人を愛し、人に愛される度に、星屑のような痣が広がる、と記されています。愛が深まる度に、進行速度は早まる、と。」
愛する度に、痣が広がる...?
え、そんなの。
...ひどい。
そこで、お医者さんは目を逸らした。息を呑む。不安が大きくなる。
少しの沈黙の後、
「...そして、最終的には、死に、至ります。前例がなく、治療法も...」
最後の方は聞こえなかった。
聞きたくなかった。

お医者さんは、資料を渡してきた。
古い本のようで、びっしりと文字が書いてある。
図に目を向ける。
肩の痣と全く同じものが、記されている。

そこでお医者さんは、再び口を開いた。
「...ですが、どの記録も、途切れていて、最期の姿は、誰にも、分かりません。」

息の吸い方が、分からなくなった。
苦しい。
そんなの、酷すぎる。
私は愛したいし、愛されたいのに、それが命を蝕むなんて。
頭が真っ白になった。
あの日、私の誕生日。七夕の日。君と繋いだ手。あの願いを書いた私の手は震えていた。

5、
診断を受けた日の夜は、涙が溢れて止まらなくて、枕がびしょびしょになってしまった。
朝起きて、びしょびしょな枕カバーと、シーツを洗濯する。

たとえ病気になっても、世界は変わらずに、時間は進んでいくんだろうな。
着替える時に、鏡に映る自分の体を見る。
深い青、紫、ところどころ白い。
そんな痣。
痛くない。
なのに、それが一番恐い。
そんな感情には蓋をして、すぐに服に腕を通す。

もし、このまま君を愛してしまうと、私が消えていく。
それは、君が辛いだろう。
少し、君に嫌われる練習をしてみる。
素っ気ない顔。
目を合わせないように。
下を向いて、なんでもないように声を出してみる。

何やってるんだろう。
君が目の前にいないと意味がない。
今日は学校はないし、学校に行ったら試してみよう。

一人で買い物に行く。
野菜や肉、調味料などの食品を買って、ぶらぶらと歩いていた。
その時に、雑貨屋さんが目に止まった。
アンティークな雰囲気。
オシャレな照明に、シンプルな棚。
そのうえで輝く商品。

ミサンガに目が止まる。
カラフルなものからシンプルなもの。
チャームが付いているものもあった。
君の誕生日に、自分で編んで渡してみようかな。

君に会っていなくても、君のことばかり考えている。

恋って、こういうことかな。
君と出会ったから、知れたんだ。
この感情を。

「あ、」
と聞きなれた声が聞こえた。
反射的に振り返る。
君の顔を見ると自然と頬が緩む。
「星宮くん!偶然だね」
そう言うと、君は
「うん」
と眩しい笑顔を浮かべた。
その後に、何してたの?って聞かれたから、買い物、って答えたら、荷物を持って、家まで送ってくれた。

さっきまで嫌われる練習をしていたのに、君が現れると、全て崩れていく。

無理だな。
君に嫌われる素振りを自分からするのは。

君に愛されたいという願いが、大きすぎるの。

病気でも、痣が広がっても、命が削れても、君に、好きでいて欲しい。

6、
学校が終わり、公園のベンチで、二人語らう。
今日は午前授業で、一緒にいれる時間がいつもよりも長い。
あの日見た映画の話になった。
もう、あんな風に映画を観ることはできないだろう。
そんな気持ちとは逆に、君の弾ける明るい声が、心に響く。
「そういえば、あの映画、新しいのが出るらしいよ。来年だったけな。一緒に行こうね。」
と微笑みかけてくれた。
なのに、病気のことを考えてしまって、
「そんな未来の話、簡単に言わないで!」
と声を荒げてしまった。
はっと口元に手を置いたけど、口から出た言葉はもう消せなくて、君は驚いたように目を見開いていた。
この前は無理だと思っていたのに、突き放すような言葉を投げてしまった。
君の顔が上手く見れずに俯く。
「え、なんで?別にいいだろ!最近変だよ。言いたいことあるなら、はっきり言えよ。」
という言葉が、耳に入った。
君の顔を見る。
君は眉間に皺を寄せていた。
そんなに、変だったかな。
いつも通り笑っていたのに。
さっきまで笑えていたのに、笑い方が分からなくなって、涙腺が緩む。

君のそんな怒った顔、初めて見た。

簡単に、はっきり言えなんて言わないで。
私の気持ち、分かるわけない。
君のことを考えて、こんなにも考えているのに。
どうして分かってくれないの。
「大丈夫だから」
そう言って、私は家に駆け出した。

途中で、家族がみんな笑顔で写っている写真館の広告に目が止まる。

こんな幸せな家族は、これまでも、これからも、私にはいない。
そんな現実を押し付けられているようで、胸が痛い。
再び家へ走り出す。
待っている人は誰もいないけれど、幸せで満ち溢れた世界から、逃げ出したかった。

君との初めての喧嘩。
もう隣を歩けないのかなと少し怖くなった。
どっちにしろ、もう時間はないけど。
なんて一人で笑う。
その日は、早く眠りにつきたかったけど、君のあの顔が頭から離れない。
携帯のメッセージ画面で、ごめんね、と入力しては消して。
また入力して消して。
素直に謝れたらいいのに。

夢を見た。
君と笑い合う夢。
君はもうおじさんになっていて、私もおばさんになっていて、幸せな夫婦になる夢。

目を覚まして、現実に引き戻される。

それから数日間、君とは口を聞かなかった。
プリントを回すときに、後ろの席の君を横目で見ることしか出来ない。
時間をずらして帰るために、放課後に普段はしていなかった予習に手をつけてみる。

なに、やってるんだろう。
早く謝ればいいのに。
謝れたらいいのに。

ある日の朝、制服に腕を通す時に、異変に気がついた。
痣が、薄くなってる。
多分、そんな気がする。
君と話さなかったからだ。
愛が薄まっているんだ。
動悸がする。

このまま君との関係を無くせば、私はもっと生きられるのかな。
でも、君との愛が薄れて、痣がなくなるのが、どうしようもなく恐い。

こんな気持ち、君に分かるはずもない。
だから、君はあんな風に言えたんだ。

私の気持ちなんて誰にも分かるわけない。

違う。
人の気持ちは他人には分からない。
だから、気持ちを表すための、言葉がある。
その言葉を聞くための、耳がある。
そして、相手がどんな表情で、その気持ちを伝えようとしているかを知るために、目がある。
それに、自分の気持ちを相手に伝えるための、口がある。
相手の気持ちを理解するために、頭がある。
相手をもっと深く知るために、心と、気持ちがある。

なんてあたりまえのことだろう。
なぜ気づかなかったのだろう。
君が、気づかせてくれたんだ。
君は、本当にたくさんのことを教えてくれるね。

君に、謝りたい。


次の日。
君にちゃんと謝った。
君も、謝ってくれた。
そして、ゆっくりと手を繋いで歩いた。

夜には、痣は元通りになっていた。
命は減っているのに、愛が戻ったことに安心した。
こんなにも、君が愛しい。

7、
君には、まだ病気のことを言えるわけなくて、隠して、君には気づかれないように振る舞って。
そうやって毎日を過ごしてた。
君のこと、考えないように、想わないように。
そうしているはずなのに、愛は溢れて、気持ちは止まらなくて。
気がついたら君のことばかり考えてる。
そのせいで、喧嘩までしてしまった。

その後は、普通に話して、何事もないように笑う。
愛が溢れないように、これ以上、愛が強くならないように、深くならないように、もっと、君と、隣で生きられるように。
そうしているのに、この気持ちは弱まることを知らない。
どんどん強く、深くなるばかり。
痣は広がるばかり。
命は溶けるばかり。

両腕と背中のほとんどに広がってきた痣を隠すために、長袖を着る。
日焼け予防と理由をつけて。

数日たったある日、君に手を引っ張られて、痣が、君に、見つかった。
ぶつけただけって言ったけど、信じてくれなくて、本当のことを話すしかなくて、話した。
君は、時々手を握ったり、開いたりしていた。
そして途中で、だからこの前、と呟いていた。
少ししてから、君は泣きだした。
未来の話をしたことを後悔しているだろうか。
どうか、後悔しないで。
私もその未来を見たい。
視界が滲む。
愛も、涙も、零れ落ちてはまた零れて。
でも、命はすり減って。
それが、ものすごく怖い。
この想いが、私の命を、確実に失くしているのが、怖い。
君が私を抱きしめた。
君の匂いに包まれる。
ああ、やっぱり好きだ。
その温もりを忘れたくなかった。
だけど君は、離れようか、と言ってきた。
「だって、俺が君を愛すると、君の命を削っちゃうから。想うことも、言葉にすることも、触れることも、、、」そう言う君が、目尻を拭った。
「ごめん。本当に辛いのは君の方なのに。」
何て返せばいいか分からずに、ただ、首を振る。
君は、悪くない。
というか、誰も悪くない。
「……別れる?」
しばらくの沈黙の後、君はそう呟いた。
それが、いいのかもしれない。
これからも生きるためには。
それでも、そうだと分かっていても、それだけは、それだけは、本当に嫌だった。
何があっても、この気持ちは、変わらない。
死ぬと分かっていても、生きたいと思っていても、そう思うのは、君が隣にいるから。
君の隣にいるから、私は生きたいと思うんだ。
「いやだ、それだけは、いや。」
そう言うと君は静かに頷いて、
「わかった」
と言ってくれた。
暫くして、あることに気がついた。
「ねえ、すごいことに気がついちゃった。私の名前、織姫になるし、君の名前は彦星になるんだから、運命だよね。」
そう笑うと、君は、手を差し伸べた。
あの夢の、男の子に、似てる。

その手を握り、立ち上がる。
「本当だ。確かにそうだ。俺たちはずっと昔から、結ばれる運命だったんだ。」
と、微笑み返してくれた。
あぁ、本当に好きだ。
とめどなく溢れる愛に、
せめてもの願いを。
もう少しだけ、
君の隣で。

8、
星屑はもう、背中から、お腹を覆っていた。
今日は、君と本物の星を見に行く。
少し肌寒い夕暮れ。
君と街の広場の高台へと歩く。
涼しい風が、二人を包む。
夕陽が、二人を映す。

高台に着く頃には、星はもうはっきりと見えた。
街の灯りが届かない、木々に覆われた場所。
ただ静かで、澄んでいた。
「あ、あれ、ベガじゃない?」
君が天を指差して、そう呟く。
空を見上げる。
満天の星空。
一際輝く星。
「うん、多分ベガだよ」
天の川と一緒に見れる、ぎりぎりの季節。
「あー、あれが織姫か、綺麗だな。俺の織姫も綺麗だけど、本物も、ちゃんと綺麗だ。」
君は、にっと歯を出して笑う。
またキザっぽいセリフだな。
そう思い、口元が緩む。
「本物の方が、綺麗に決まってるじゃん。」
そう返すと、
「そうかなー、君の方が綺麗だと思うけど」
はあ、素直にありがとうって言えたらいいのに。
もう少し、君のみたいになれたら。
「ありがと」
そう発した声は、小さすぎて、木の葉を揺らす夜風にかき消されてしまった。
気がつけば、
「七夕の話ってすごいよね」
そう君に伝えていた。
「え?どういうところが?愛の強さ?」
君に問いかけられた。
そこで、私の考えを話す。
「それもそうだけど、一年に一度しか出会えないのに、それでも、ずっと、ずっと、相手のことを思い続けてるんだよ?すごくない?」
そう言うと、君は私の方を向いて、また、歯を出して、にっと笑った。
「俺は、もう一生会えなくなっても、二度と会えないと分かっていても、一度決めた人を、永遠に思い続けるかな。だから、君のことも、ずーっと想ってるよ。何があっても。」
君の髪を風が揺らす。
ずーっと、ともう一度強調した君に、ふっと息が漏れる。
なんて穏やかで、真っ直ぐな言葉だろう。
でも、私が死んだら、君はちゃんと、他の人と幸せになって欲しい。なってくれないと困る。
だから、伝える。
「私が消えたら、ちゃんと、別の人と幸せになってよね。この世に女の子なんて何十億人も、星の数ほど、いるんだから。君の運命の人も見つかるよ。」
君は間髪入れずに、
「俺が見つけた運命の人が、君なんだけど。」
と言った。
君への想いは本当にとめどない。
君からの想いも本当にとめどない。
目尻に溜まった水を、目を擦る振りをしてはらう。
二人、夜に包まれた。

9、
燦々と降り注ぐ太陽。
今日は君とカフェに行く。
最近話題の美味しいスイーツを食べに。
君が、私に食べさせたいって言うから。
君の隣を歩く。
君は私に合わせてゆっくりと車道側を歩いてくれる。
そんな、何気ない優しさが大好きだ。
はあ、やっぱり、君への愛は消えることを、止むことを、知らない。
少し歩くと、たくさんの店が並ぶ、賑やかな通りへと出た。
そして、素敵な看板が見えてきた。
「あっ、あそこだよ!」
看板を指差して、子供みたいに笑う君は、照りつける明るい陽射しが良く似合う。
麗らかな風が吹き抜ける、雰囲気の良い店だ。
席に着くと、メニューを見て、食べるものを決める。
決め終わったら、君が店員さんを呼んでくれた。
君は何もないように、普通に店員さんに注文するけど、そういうところも、少し大人っぽくて、かっこいい。
「ここのスイーツ、めっちゃうまいらしい」
って君が笑う。
私は
「そうなんだ、楽しみだね」
と微笑む。
「君は、お菓子、山ほど食べるんだよね」
ってからかうように笑ってきた。
「もー、そのことはいいじゃん」
二人で微笑み合う。
少しして、携帯をいじりながら君は、
「おすすめの曲、あるんだ」
ってイヤホンを差し出してきた。
どきりとする。
爽やかな風が髪を撫でる。
「なんか、恋人みたいだね」
って呟くと、
「いや、恋人だろ」
と君は、勢いよく突っ込んできた。
本当に君といるとウマがあって、話が盛り上がる。
笑いも絶えない。
一緒にいるだけで楽しい。
おすすめの曲は、穏やかで、優しいバラードだった。
本当に私の好きなジャンル。
君も、私のことよく分かってるなって感じた。
その曲が終わったあとに、爽やかで、甘酸っぱい恋愛ソングが流れてきた。
私の好きな歌手だ。
君の方を見ると、頬を赤らめて、
「…これ、俺が最近よく聞く曲。君が好きって言うから聞き出したら、俺もはまっちゃった。」
って言うから、なんか嬉しくて、口角が上がる。
店員さんが飲み物とスイーツを運んできてくれた。
コーヒーの苦い香りとスイーツの甘い香りが鼻を燻る。
店員さんから、私の分まで受け取ってくれる君の優しさに、また胸がきゅっとなる。
そして、一口、また一口とスイーツを口へ運ぶ。
「うまっ」
「おいしいっ」
って二人同時に口に出して、
「あはっ」
「ふっ」
と二人同時に笑いだした。

麗らかな陽射しと、揺れるコーヒー、甘くとろけるスイーツ。

この日は、病のことなんて忘れることができて、ただの恋人のように過ごす、そんな日になった。

10、
太ももまで痣が広がってきた。
病院に行くと、お医者さんに入院した方がいいと言われた。
一度、家に帰る。
お父さんが帰ってきたときのために、置き手紙を残すことにした。
入院することになったこと、病院と、病室番号。
ごめんねって謝罪と、ありがとうの感謝。
そのことを記し、準備をする。
入院することを電話で君に言うと、君は毎日会いに行くと言ってくれたね。
痣が広がって苦しくて、でも、毎日君と会えてとっても嬉しかった。

家で過ごす最後の日。
もう帰ってくることはできないだろう。
家の全部を掃除する。
ありがとう。
という気持ちを込めて。
初めて見たテレビの裏は、ケーブルがきっちりと並んでいて、お父さんの几帳面な性格を感じる。
まあ、掃除してないから埃は被ってるけど。
棚の上や、キッチン、ベランダ、窓まで掃除した。

棚を掃除している時に、写真に目が止まった。
朗らかな笑みを浮かべたお父さん。地面のものを食べようとする私。私を叱るお母さん。
幸せそうだ。

お母さんがまだいるということは、小さい頃だ。
だけど、覚えてない。
お母さんがどんな人かも、どんな顔かも、匂いも声も。
何も。

ふっと笑う。
その時も幸せだっただろうけど、今も、とっても幸せだよ。
お父さん、お母さん。
私を、生んでくれて、育ててくれて、ありがとう。

お父さんのいる土地と、お母さんのいるであろう世界に、きっと繋がっている空を見上げる。

夜。
どうしようもなく怖くなった。
もう家に帰れないだろう。

お母さんも、お父さんも、誰もいない。
一人だったけれど、私の大切な帰る場所、居場所だった。
君に、連絡する。
声が、聞きたい。と。
すぐに着信音が響いた。
君からだ。
「もしもし」
電話で聞く君の声は、やっぱり普通の時よりも低くて、近くて、くすぐったい。
「ふふっもしもし」
君の声を、少し聞くだけで、安心する。
そのあとは、君がたくさん話してくれた。
お笑い芸人の話。
得意な一発芸。
これは、あまり面白くないふりをして、沈黙を貫いていたら、君が、笑えよ!なんて言うから、我慢できなくて、吹き出してしまった。

少しして、うとうとしてきた。
さっきまで眠れないと思っていたのに、君の声を聞くだけで、心が静まる。
すごいね、君って。

おやすみ。

君の声が、聞こえる。
そのまま夢の世界へ誘われる。

穏やかで、柔らかな光の中へ。

11、
病院の中を歩く。
昨日から、入院しはじめた。
ベッドは、ふかふかで、清潔な香り。
壁や天井も真っ白。
息を吸うとアルコールの匂いが胸いっぱいに広がる。

病院で過ごすほど、命の限りを知って。
少し、恐い。

病室に戻り、ベッドに腰掛ける。
窓の外から、笑い声が聞こえる。
窓の外を覗いてみた。
夕日が白い部屋を茜色に照らす。
風に揺れる木々。

元気に走り回っている小学生がいた。
花壇に水をやっている人。
犬の散歩をしている人。
そして、友達と笑っている高校生。
私の、叶わなかった時間が、そこに広がっていた。

なぜか見たくなくて、カーテンを閉める。
夕日が一瞬で遮られ、部屋が白に染まる。

ドアを開いた。
君の笑顔が覗く。
君が私の目の前のいすに座る。
そして、部屋を見渡して
「カーテン閉めるの早いねー」
って言うから、
「なんか、外を見たくなくて。」
と応えたら、君が
「そういうこともあるよね。」
って言ってくれた。
そして、いつの間にか話しかけていた。
「ねえ、今の私って、本当にだめだね。」
君は、心底不思議そうな顔をして、
「どこが?」
と尋ねてきた。
「うーん、痣だらけのところとか。上手く笑えない弱いところとか。早く死んじゃって、幸せな時間を過ごさないとことかさ。まるで、咲く前に落ちた桜の蕾みたいじゃない?」
できるだけ明るくそう言うと、君は、顎に手を当てて考えはじめた。
そして、
「桜って、満開の時だけが綺麗だと思う?」
と問われた。
「え?」
と聞き返すと、
「どう?」
と言われた。
だから、
「そりゃそうだよ」
と返すと、
「俺は、満開の時だけじゃなくて、蕾が膨らみ始めた冬の終わりも、もう少しで咲きそうな時も、落ちてしまった蕾も、少しづつ咲いてきて満開を待ち望む時も、散っていく儚げな時も、散ったあとの花筏も、全部、全部綺麗だと思う。」
「うん」
と呟く。
「……だからさ、人だって、同じでしょ?痣ができても、泣いた顔でも、花が咲くみたいに笑う顔でも、涙をこらえる顔でも、下手くそな笑顔でも、外を見たくなくても、幸せな時間、満開の時じゃなくたって、俺には綺麗に見える。」
「そうなのかな」
と聞くと、君はすぐに
「うん、この世界は綺麗なもので満ちているんだ。咲きそうな花、笑う子供たち、生い茂る青葉、沈みかける太陽。そして、今を精一杯に生きる君。」
そう言って、ね、と首を傾げて、私の方を向いた。
君の詩的な言葉に心を揺さぶられる。
さっきまで見たくなかったものが、なぜか見たくなった。カーテンを勢いよく開ける。
そして、窓をゆっくりと引く。
少しずつ、風が吹き込む。
新鮮な空気に胸を膨らませる。
暗い空。
星は見えない。
だけど、あの向こうに、たしかに輝いていると思うことも、素敵だ。
夜風が撫でる髪も、潤んだ瞳も、綺麗だ。
君の笑顔も、眩しいくらいに綺麗だ。

私が病気にならないと気づけなかったこと、知らなかったこと、それを全部、君が教えてくれる。

もし、病気じゃなかったら、世界の綺麗さを知らなかった。
今日という日を、こんなに大切にしなかった。
新しい気持ちに気づくのも、綺麗なことじゃないだろうか。

たしかに、この世界は綺麗なもので満ちている。

そして、君と私がいるこの空間は、愛という最も綺麗なもので、溢れている。

12、
少し経った日の午後。
痣が広がって苦しくて、でも、毎日君と会えてとっても嬉しかった。
今日も会いに来てくれた。
少し話したあとで、君の視線が、少し足の方へ向いた。
痣がちらちらと見えていた。服の裾をめくり、痣だらけの足を見せる。
全身に広がった君への愛を見せる。
「ねえ、私、こんなにも君を想ってるみたい。」
「……」
君は俯いたままだった。
唇をかみ、
「重いよね、汚いよね、ごめんね。」
と言った。
君は静かに首を振って
「...重くない。嬉しい。この前言ったじゃん。君は綺麗だよ。」
息を呑むほど嬉しかった。
でも、そんな感情とは裏腹に、私は、
「そんなお世辞なんていらないから」
なんて言いながらも、お世辞じゃなかったらいいなって思ってた。
君は笑顔で首を傾げて
「俺がお世辞なんて言うと思う?」
君の今までの発言を思い出して笑みがこぼれる。
お菓子を山ほど食べるんだよね、とか、ほんとにお待たせだよ、とか、思い出してみれば失礼なやつだった。
首を振りながら、
「ふっ、思えないよ」
と笑った。
そう言うと君も笑顔になって、
「だろ?だから君は綺麗だよ。」
と言ってくれた。

この前の君の言葉をもう一度、思い出す。
今度は、この前よりも、もっと信じることができる。

この時間が永遠に続けばいいのに。
そんな願いを神様は許してくれなかった。

13、
入院して二ヶ月。
顔以外は痣に覆われた。
痣はどんどん濃くなり、深くなる。
この日は一日中雨で、気分も憂鬱だった。
コンコンッとノックの音が響いた。
そして、病室に入ってきたのは、お父さんだった。
唖然としていたら、お父さんが微笑んだ。
お父さんは、病気の説明を受けたらしく、目を腫らしていた。
泣いたのがばれないように笑っているんだろうけど、ばればれだ。
そんなお父さんは、私の方へ歩み寄って、
ごめん、ごめんな、遅くなって。
そう謝るばかりで。
さっきの笑顔は、みるみる崩れていって。
ううん。
と首を振る。
それからは、他愛もない話ばかりだった。
私の小さい時の話。
七夕祭りで迷子になった話。
お母さんの話。
お母さんは、私に似ていて、優しかったそうだ。
よく笑って、よく怒っていたらしい。
お父さんの話を聞きながら、時々、二人で笑って。
二人で涙が出そうにしんみりして。
久しぶりに会ったとは思えないほど、話が弾んだ。
暫くすると、君が逢いに来てくれた。
その瞬間、私の心はさらに晴れた。
まるで、太陽が雲の間から顔を出すような、日差しが降り注ぐような、そんな、温かさ。

お父さんに挨拶をする君。
お父さんは君を外へと連れ出した。
少し、心配だった。
君がお父さんに怒鳴られるんじゃないかって。
病室の窓から見える、変わらない雨空を見上げる。
少しして、君はお父さんと戻ってきた。
君の朗らかな表情を見て、心配は解けた。
お父さんは、また来るね、と言って、帰った。
お父さんの大きな背中を久しぶりに見た。
そして、君の方を見て、来てくれてありがと、と笑いかける。
君は、俺が会いたくて来たんだ、君のためじゃない、俺のため、と言ってくれた。
私に責任を感じさせないようにか、素かは分からないけど、会いに来てくれたことが、どうしようもなく嬉しい。
「はぁ、もっと君と一緒にいたいな。」
気づいたら呟いていた。
君は、
「俺も、おじいちゃんになっても、君の隣にいたい。君は可愛いおばあちゃんになって、俺は、かっこいいおじいちゃんになると思うよ。おじいちゃんおばあちゃんになったら、二人で縁側でお茶を飲みながら、たくさん笑おう。俺のオヤジギャグに、君が俺の頭を叩きながら、ツッコミを入れるんだろうな。」
なんて笑った。
私もつられて笑った。
君が笑うと、胸の奥が痛くて、もうその笑顔を見れないのかなって思っちゃうの。
君といると、何時間もが、一瞬のように過ぎていく。
「海、行きたかったな。」
欲望を一つ言ってしまうと、もう止まらなくて、
「桜も、君の隣で見たかった。雪だるまも作りたいな。今度は、別の季節の星も見たいね。もっとおいしいもの、食べに行きたいね。もっと綺麗な世界を知りたいね。きっと君の隣で過ごす季節は、今まで過ごしたどの季節よりも、美しい。」
そう一息で話すと、君は眩しいくらい明るく、
「来年、行けばいい。来年が無理なら、再来年に行けばいい。来年は、桜を見に行こう。海に行こう。花火も見よう。また星も見よう。雪遊びもしよう。美味しいものも食べよう。誕生日も祝い合おう。綺麗なものも、俺が教える。だから、一緒にいよう。君の隣で、これから巡る、全ての季節を過ごそう。」
嬉しい、そのはずなのに。
私はその言葉を聞いている時に、どんな顔をすればいいのか分からなかった。
私が言い出したのに、私、どうやって笑ってたっけ。
笑い方が分からない。
だって、私に、君の隣で生きる未来は、ないのだから。
だからきっと、今私は、少し下を向いて、下手くそな笑みを浮かべているだろう。
しばらくして、眩しい笑顔だった君は、ぽろぽろと泣き出した。
そして、私の手を優しく包み込んで、
「ごめん、ごめん。...こんなことが言いたいんじゃない。こんな返事がしたかったんじゃない。そんな顔をさせたいんじゃない。ただ、ただ君に、これからも生きていて欲しくて、でも愛して欲しくて。ごめん。本当にごめん。」
私は、答えた。
「君のせいじゃ、ない。」
そう呟く声は震えていた。
私の目も潤んできて、この日はたくさん笑って、たくさん泣いた。

14、
あの雨の日から一週間。
今日は、澄みきった青空が広がっていた。
痣が広がった頬をさすっていたら、君が、お花を持って来てくれた。
自然と痣から手が離れる。
お花が、とても美しくて、
「綺麗だね。なんて言うお花?」
って言うと、君は焦ったような顔をして、
「な、名前?わ、分からない。お花屋さんに、恋人に渡すので、おすすめでって頼んじゃった。」
動揺を隠せず、早口で話す君が、おかしくて、吹き出してしまう。
本当に君といると、世界が自然と、笑顔で満ちる。

深い青を、基調とした花束。
ところどころに、小さい白い花。

まるで夜空のようで。
夜に光る星のようで。

ただ、ただ綺麗だった。

病室の窓際の花瓶に、花を飾る。
これで会えない時も、目で見て、君を感じられる。

「あ、絵の具、持ってきたんだ。絵、書こうよ。」
君がそう言ってくれた。
だからその後は、一緒に絵を描いた。
途中で、お互いの絵を描こうってことになった。
しばらく静かに絵と向き合う。
描き進めていくと、なぜか思ってるとおりに描けなくて。
なんだか、どこか思っていたものと違う。
そういえば、私は、絵は苦手だったな。
まあ、そんなことは気にせずに、色を重ねていく。

「書き終わった!」
君の声が響く。
「私も終わったところ。」
二人で自分の絵に目を落として、少し頬を赤らめる。
「じゃあ、私から!」
この沈黙に耐えられなくて、絵を見せる。
君は、笑いを堪えられなかったように、
ぶはって吹き出してきた。
本当に、どこまでも失礼なやつだ。
「もおー、そんなに笑わないでよ」
君はまだ笑っていた。
ごめん、って言いながら、態度では示せてない。
そんなところが、君らしい。
つられて笑っちゃう。

「じゃあ次は俺!」
そう言って、見せてくれた絵は、とても綺麗で。
少し触れただけで崩れそうなくらい儚くて。
透き通っていた。
時が止まるほどに、心に響いた。
息を呑んだ。

頬に広がった痣が、あの日君の隣で見た、きらきらと輝く、天の川のように、美しく描かれていた。

そして、絵の私は、一等星のように目を引く、眩しい笑顔だった。

君の目に、私は、こんな風に映っているんだね。

君が見ている世界が、少し、覗けたような気がした。

少しして、君は口を開いた。
「実は、俺達、ずっと前に出会ってるんだ。」
え?と声が漏れた。
君は話を続けた。
「五歳の時の七夕祭りで。」
胸がどきりとする。
あの夢だ。
「君が道に迷って泣いているときに、手を繋いで、一緒に歩いたんだ。」
あの夢の男の子は、君だったんだね。
あの放課後、君が話した女の子も、私のことだったんだ。
「最初俺は、ひえつぐ おとはって思っててさ。ばかだよな。」
だから、駅で私のこと、ひえつぐさんって言ったんだね。
きつくて、呂律が回ってないだけかと思ったよ。
ふっと笑う。
「でも、君と話して、君の優しさを知って、あの日の女の子だと思ったんだ。俺は、あのとき、迷子なのに、話すうちに明るく笑う君に、一目惚れしたんだ。」
笑顔のまま、時間が止まった。
「覚えてる?」
そう尋ねられた。
「もちろん!」

あの日、君は忘れただろう。
私が何を話したか。
私も、そんな風に誰かを愛せる日が、来るかな。
なんて、五歳らしくないことを言ったの。
君は、きっと彦星が見つかるよって言ってくれた。

五歳の私へ。
願った未来は訪れるよ。
見つかったよ。
私だけの彦星が。
この命を賭してでも、愛したいと思う人が。

やっぱり、私と君は、ずっと前から、運命の人だったね。
二人、麗らかな陽射しに包まれた。

15、
何気なく病室のテレビに目をやる。
いつもは付けていないのだけど、なんとなく電源ボタンを押した。
タレントやアイドルが笑いながらクイズに回答したり、気温や天気のニュースがあっていたり、私が切り離していた世界に、久しぶりに繋がった。
しばらくすると、結婚式場のコマーシャルが流れた。
新郎新婦役の男女が、友人に囲まれながら、未来を誓う。
そんな場面を目にしたら、想像をしないなんて、無理だった。

ウエディングドレスを身にまとう。
セットされた髪。
可愛いメイク。

スーツ姿のお父さん。
お父さんの腕に手をかける。

目の前の大きな扉が開く。
穏やかな音楽が流れる。

バージンロードを二人でゆっくりと歩む。

その道の先には、もちろん、私が大好きな人。
君だ。

周りには、拍手をしてくれる友達や、家族など大勢の人。

そして、君の横へと立つ。
指輪の交換をする。
君の温かい手が、私の左手に触れる。
指輪が薬指にはめられる。

君の左手を握る。
薬指に指輪をはめる。

誓いの挨拶をする。
君の声で誓います、という声が響く。
私も、誓います、と言う。

そして、君が私のベールをめくる。
君は、幸せだ、と呟いた。
私も、と呟いて、お互いが距離を詰める。

誓い口付けを。


なんて。
ゆっくりと目を開ける。
もう見慣れた天井。

なんて幸せな想像だろう。

こんな未来が待っていて欲しい。

ドアが優しく開いて、隣に立っていた君が覗いた。
今日は早いだろってドヤ顔で。

「あのさ、今日ね」
と明るい声で想像した話をしようとする。
でも、こんな話をしても、君を苦しめるかも。
だから口を噤んだ。
そしたら君は、
「なあに?」
と聞いてきたから、
「結婚式を、想像してたの。」
と話すと、君は顔をくしゃくしゃにして笑って、
「本当に?」
と聞かれたから間髪いけずに、
「うん!」
と言うと、
「もちろん、俺とのだよな?」
と笑いながら言ってきた。
君以外に、相手なんていないのに。
「あたりまえじゃん」
と微笑みながら言うと、
「だよなー!」
と頷いた。

そうしたら急に君が、病室の隅にある紙とハサミとテープをとった。
何してるんだろう。
暫く君の真剣な顔を見ていた。

サラサラの髪。
くりくりな目。
長いまつ毛。

見惚れていると、君は急に顔を上げた。
びっくりして、わっ、と声が出る。
君は、何見てんの?といたずらっぽく言ってきた。
見てないし、と返すと、君は薄いシーツを私の頭に被せた。
透けて、君が見える。
ちょっと、何!と言うと、いいからいいから、と少し曇った君の声が聞こえた。
陽の光が優しく私たちを包む。

そうしたら、君が私の痣だらけの左手を取って、薬指に紙で作った指輪をはめ始めた。
え?
と声が出る。

「本当に、いいの?」
自然と言葉が零れた。
「いいに決まってるだろ」
と君は言った。

あれ?と君の声が響く。
指輪がぶかぶかだ。
ふっと笑みがこぼれる。
「……変なの」
ロマンチックな雰囲気が、壊れた。
笑いが止まらなくて、たくさん笑った。
次はそっち!
と君が言ったから、君から指輪を受け取って、君の薬指にはめる。
私は
「なくさないでよ?」
といたずらっぽく笑う。
君のはぴったりだ。
「なくすわけないだろ」
と君は笑いながら応えた。

そして君が、やめる時も、健やかなる時も、ずっと隣にいることを誓いますか?
と言った。
え?と聞くと、ほら!と言われた。
「ち、誓います」
と呟くと、
「誓います!一緒に生きられるところまで、いつまでも。ね。」
と君の声が聞こえた。
君は、少し首を傾げて、私を見つめている。
優しい眼差しが降り注ぐ。
一緒に生きられるところまで。
うん、いつまでも。
「うん。」
と呟く。
そしてベールが外される。
まあ、シーツだけど。
そして、続きは本番ね。今度こそ指輪はぴったりにするから。
と言ってくれた。

うん、待ってる、と涙目になりながら答える。

その時は、私が待つ時は、もう訪れないと分かっていても、待ちたかった。

「私、今、とっても幸せだよ」
と君に伝える。
「俺もだよ、俺の方がずっと幸せだよ。」
と答えてくれた。

二人でこつんと頭を合わせる。
そして、微笑み合う。

君が隣にいるから、君と出会えたから、こんなにも幸せなんだ。

君と未来を誓った。
このままなら叶わない未来を。

16、
涼やかな風が吹く中、縁側に二人で腰を下ろす。
隣を見ると、今よりも随分と、背の小さくなった、白髪頭の君。
君は、私の方を見て、何か言って、一緒に笑って。

ああ、夢か。
君と出会ってから、未来の夢をよく見る。
私の望んだ未来が、すぐそこにあるように感じる。

あの結婚式の日から二週間くらい経った頃。
あの時の花は枯れてしまった。
あの絵は、まだ、花瓶のそばに飾っている。
指輪だってそばに置いてある。
毎日、痣ができる度に怖くて。
明日を迎えられないんじゃないかって。
でも、君に愛して欲しくて。
あの絵を見ると、元気が出た。

ついに、全身に痣が広がった。
もう元の肌の色が、どこにもない。
私ってどんな肌の色をしていたっけ。
鏡を見ると、そこは一面の星空だった。
星に抱擁される。
優しいけど、鋭い。
愛は、想いは、命は、儚い。
もう、私に明日はない、そう感じる。
君がくれた、星のピンを付ける。
このピンは、私という星空の中で、一番眩しい。
まさに、私の星空の中で、一番輝く一等星。
君だ。
アルタイル。
彦星。
私の、運命の相手。

君は今日も来てくれた。
今日はお父さんも来てくれた。
もう何度目の面会か分からない。
お父さんは、私を見て、息を呑むのが伝わった。
そうだよね、一人娘がこんな風になって、辛くないわけがない。
お父さんは何も言わずに、部屋の隅に座った。
君は病室を一度出た。
お父さんは小さく
「ごめんな」
と呟いた。
「本当はもっと一緒にいてやればよかった。無理させて、寂しい思いをさせただろう。本当に、ごめん。」
そう言われて、嘘でも否定の言葉をくちにしようとしたのに、思ったように声が出ない。
「うん、寂しかったよ。でも、お父さんも寂しいのに頑張ってるの知ってる。私が困らないように、テレビの配線綺麗に並べてるの知ってる。もっと、色々話したかったね。」
本当のことを言うと、声がすっきりと出た。
お父さんは目頭を押さえて、嗚咽を漏らした。
お父さんが泣くところなんて、初めて見た。
涙ぐみながらも、お父さんはベッドのそばの椅子に移動して、私の手を握った。
「ごめん、ごめんな。なんにもしてやれなくて。今も、手を握ることしか出来なくて、ごめんな。」
謝ってばかりのお父さんの優しさに笑みがこぼれて、
「あったかいね、お父さん。見て、私、こんなに笑顔だよ。幸せだよ。ありがとう、お父さん。」
と伝えると、
「お父さんも、幸せだよ。ありがとう、織羽。」
と頷いた。
「じゃあ、みんな幸せだね。」
そう微笑みかける。
お父さんも口角を上げて、目尻が下がる。

そして、お父さんは息を吸い込んで、病室を出た。

それと入れ替わるように君が入ってきた。

君と、二人きりだ。

君は私の顔を見て、微笑んだ。
「こんなに、俺のことを想ってくれてるんだね。俺は、こんなにも君のことを想っているんだね。」
私は、その言葉に笑みがこぼれ、
「でしょ?本当に、君のことしか考えてないんだよ。」
君は照れたように目を逸らして、私の方を向き直した。
そして、大きく息を吸い、
「俺は、この気持ち、君みたいに可視化できないから、言葉で、態度で、表情で、伝えないといけないんだ。全部、全部、伝えるから。聞いてて。」
と真っ直ぐに言った。
君が何を言おうとしているのか分かった。
私はその言葉を、伝えるのも、受け取るのも、恐れていたの。
でも、もう恐くない。
君から、受け取りたい。
君に、伝えたい。
目に涙が浮かぶ。
その言葉が、私の命の最後の一雫を、溶かすことを、何となく気づいていたから。
陽の光を雲が遮りはじめた。
「言っても、いい?」
君はそう尋ねてきた。
君の顔が、逆光で見えない。
小さな嗚咽だけが、聞こえた。
ああ、君も分かっているんだね。
それでも、伝えたいと思ってくれたんだ。
私も、君の口から、聴きたい。
「うん、もちろん。」
私の映す世界が滲む。
君の目からも雫が零れる。
涙を拭う手が、戦慄く。
嘘だ。私、まだ恐いんだ。
そんな私の手を、君は優しく握って、真っ直ぐに、淀みない瞳が、私を見据える。
君のぬくもりで、震えが止まる。
風が、濡れた目尻を乾かす。
葉が揺れる音がかすかに聞こえる。
「君の笑った顔も、怒った顔も、泣いた顔も、笑い声も、素直じゃないところも、意外と寂しがり屋なところも、弱いところも、強いところも、優しいところも。」
と言われた。
「うん、」
と呟く。
君は続けて
「……好きだよ、大好きだよ。愛してる、織羽」
その言葉を聞いて、笑みが零れた。
そして、君が立ち上がって、あの指輪を手に取る。

それが、私の指にはめられる。
あの日の、続き。

陽の光が、再び私たちを照らす。
今、私は、泣き笑いのような、そんな表情をしているのだろう。
最期に君に見せる顔が笑顔で良かった。
私も、伝えないと。君への、この想いを、全部。
「私もだよ。すっごく優しいところも、素直なところも、真っ直ぐなところも、ちょっと不器用なところも、笑った顔も、泣いた顔も、少し低めな声も、全部、全部、大好き。愛してるよ。陽彦くん。」
途中から、声が震えた。
でも、やっと言えた。
君の名前も、この言葉も。
言えなかった。
君も、陽彦くんも言えなかったんだね。
君は、カバンからケースを出して、その中から取った指輪を私に渡してきた。
君の大きな手を取る。
その指輪を、薬指にはめる。
私、こんなに愛されているんだ。
そのことが何よりも嬉しい。
ベッドに身をあずけて、目を閉じる。

誓いの口付けは、来世にお預けだね。

少しの沈黙の後。
穏やかな風と、君の匂い。
唇に温かいものが触れた。
何をされたのか分かった。
だから、この瞬間を、この目に、焼き付けたかった。
咄嗟に目を開ける。この目で、見た。君と口付けをしていた。
本当に、続きが叶った。
私が見たかった、未来がここにある。

苦しいくらいに嬉しい。
そして、一度、口を離す。
そこで、変化に気がついた。
私の体の周りがきらきらと光っている。
透け...てる?
私が掲げた手から、君と、見慣れた天井が見えた。
私の痣が、体が、存在が、命が、薄れていく。
「終わっちゃうね。」
そう呟いた。
ベッドから、身を起こす。

今、触れないと。
今度は、私から、君に、近づく。

そして、君と唇を重ねる。
息を吸うと、胸いっぱいに君の匂いが広がる。
私の心が、君で、満ちる。
瞼を閉じる。
涙が、私の消えかかる命を濡らす。

私の初めてを、全部、全部、君が、くれた。

君と一気に近づいた眩しい日。
告白してくれた梅雨明けの日。
変なジュースを飲んだ放課後。
手を繋いで、一緒に未来を願った七夕祭り。
偶然会った休みの日。
喧嘩をしちゃった日。
病を打ち明けた午後。
星空を見上げた夜。
一緒にスイーツを食べた麗らかな日。
電話した眠る前。
世界の綺麗なものを教えてくれた夕暮れ時。
未来の話をしてくれた雨の日。
お互いの絵を書いた晴れた日。
未来を誓ったあの日。

君と出会ってからの毎日が、忘れたくない、忘れて欲しくない、記憶。

柔らかな光が、私を撫でる。

君の匂いが、温もりが、心地よい。
きらきらと光る星屑が、私と、君の愛の証が、私たちを包み込む。

このまま永遠に時間が止まって欲しい。
君と、触れていたい。

なのに、私はもう力尽きて、ベッドに横たわる。

ドアが開く音と、足音。
君が、お父さんを呼んできてくれたみたいだ。
すぐ近くにお父さんと陽彦くんの気配を感じる。

すうっと息を吸い、最期の力で口を開く。
ありがとう、陽彦くん、お父さん、愛してる。
声が出ていたかも分からない。
届いたかも分からない。
でも、きっと、届いているよね。

君の嗚咽が響く。
お父さんの息を呑む音が聞こえる。
一筋の涙が頬を伝い、私は微笑む。
抱きしめられる温もり。
お父さんと、陽彦くんの匂い。

眩しくて。

明るくて。

ただ、深い。

ただ、包まれる。

そんな風に、
堕ちていく、
感覚。

さよなら、お父さん。
さよなら、私が生きた世界。

さよなら、彦星さん。


ーさよなら、陽彦くん。ー

世界は私達の未来を許してはくれなかったね。
ひどいね。
君の誕生日、祝いたかったな。
桜も見たかった。
海も行きたかった。
花火大会だって行きたかった。
また星を見たかった。
雪遊びだってしたかった。
もっとたくさん美味しいものを、一緒に食べたかった。
一緒に色んな場所に行きたかった。
もっと笑い合いたかった。
もっと隣にいたかった。
本物の指輪を、はめて欲しかった。
本番で、続きがしたかった。
おじいちゃんおばあちゃんになっても、一緒にいたかった。
君の隣で、もっと、見ていたかったの。
君の隣で生きる世界を、未来を。


...なんてね。


君がおじいちゃんになったときに、君の隣にいる人は、私ではない。
本番の結婚式で、君と続きをするのも、私ではない。

永遠は、一瞬で崩れたの。

それでも、出逢い、愛し合うことは、許してくれた。
最期に名前を呼び合うことも、愛を伝え合うことも、口付けをすることも、許してくれた。

だから、ありがとう、神様。
私の彦星に出逢わせてくれて。
私に、愛を教えてくれる人に、陽彦くんに、出逢わせてくれて。
でも、もう少し生きたかったな。
あと少しだけ、隣を歩きたかったな。
こんなこと思っても、どうしようもないのに。
私が、陽彦くんを愛することを、陽彦くんに愛されることを、そして、愛を知ることを、選んだから。
ありがとう、陽彦くん。
出会った時から、陽彦くんは、眩しくて、優しい光だったよ。
私だけの一等星だったよ。
そう、君は、私の彦星。
私に、愛することの大切さを教えてくれて、ありがとう。
愛の力を教えてくれて、ありがとう。
本当に、ありがとう。
君に出会わなかったら、死ななかったかもしれない。
例えそうだとしても、私は、陽彦くんから、愛を知れてよかった。
巡り会えてよかった。
そう思ってるよ。
もし、時間を巻き戻せたとしても、きっと私は、君の隣を、選ぶんだろうね。
だって私が、こんなにも愛せる人は、君だけだから。

この気持ちが、私という星、織姫が、輝く限り消えないように。
そして、君に眩しいくらいに明るい明日を、未来を。
最期に、それだけ。
それだけを、願う。
神様が許してくれた日に、逢いに行くよ。
星の光となって、君の隣へ。


目を開ける。
優しいけど、何も感じない。
君が、見える。
少しおじさんになった君が。
ふっと笑みがこぼれる。
遠くに、はっきりと、見える。
ゆっくりと歩み、君に近づく。

あの日と同じ花束を抱えて。
地面には、あの日のミサンガ。
薬指には、あの脆い指輪。
そして君は、空を見上げて、泣いている。

どうしたの?
陽彦くん。
触れたい。
慰めたい。
話を、したい。

手を伸ばす。
手を伸ばしても届かない。
口を開ける。
声を出そうとしても、出ない。

ああ、見ることしかできないのか。
君も、こういう気持ちだったのかな。
触れたくても、触れられなくて。
伝えたくても、伝えられなくて。

ただ、見守ることしかできない。

君と触れた、あの最期の日のように、泣き笑いの表情になる。

そして、君を抱擁する。

ちゃんと見てるから。
君が生きる今を、少し遠いところから。
この愛は、これからも途切れることなく、
続く。


エピローグ
五歳の時の七夕祭り。
友達と喧嘩して、友達とも、親とも離れて、一人で歩いていた。
そうしたら、道端で泣いている女の子を見つけた。
その子に手を差し伸べると、その子は、俺の手を握りしめて立ち上がり、一緒に歩いた。
迷子で不安なはずなのに、話していると、たくさん笑って。
君は、お母さんの話とか、お父さんの話とか、たくさんしてくれたね。
そして、七夕の話も。
その時に、私も、誰かをそんな風に愛せる日が来るのかな、と言ったんだ。
同い年の子の口から、そんな言葉が出るなんて思ってもいなかった。
天の川の下、君の手を、しっかりと握った。

君はもう忘れてしまったかもしれない。
話した内容は。
でも、俺が覚えてるから。
あのとき、君が言った未来は、叶ったかな。
俺は、君の願いを、叶えることができたかな。

そう、君と出会った最初の日。
君に、恋をした日。
俺は、確かに、君の、彦星となった。

君のいなくなった学校は、退屈で退屈で。
授業中に見ていた後ろ姿は、もう空席で。
帰る道は、一人ぼっちで、あの頃より長くて。
君に触れたくても触れられない。
そんな遠い存在。
君のいる世界に繋がっているであろう空を見上げる。
君の考え方、本当に素敵だね。

あの日、君のお父さんは、俺の前で泣き出して、頭を下げてきた。
驚いて、戸惑って。
俺も頭を下げた。
二人で頭を下げる少しの時間。
二人の吐息だけが、空気を揺らす。
そして、君のお父さんは、顔を上げて、
「娘を、よろしく」
と言った。
俺も顔を上げて、
「はい、もちろんです。」
と胸を張って応えた。

君が星となったあとも、君のお父さんは、俺を気にかけてくれた。

君の、あの苦しいほどの優しさは、お父さんに似たんだね。

君がいなくなって訪れた、俺の誕生日。
あと少しで、一緒に過ごせたけど、俺達の愛が強すぎたね。
そう一人で笑う。
君に、笑いかける。
君がいない世界は、心にぽっかり穴が空いたように、寂しい。
君とこの日を過ごしたかったな。
だけど、もう君は空の上にいるんだ。
なのに、荷物が、届いた。
もうこの世界にはいないはずの、君から。
ありえない。
送り主の名前は、姫次 織羽。
間違いなく、
君だ。
ぽたり、ぽたりと箱に涙が落ちる。
箱を開ける。
陽彦くんへ、と書かれた裏返しのメッセージカードと、小さな袋。

メッセージカードを、そっと手に取る。
陽彦くん、お誕生日おめでとう。
一緒に過ごせなくて、ごめんね。
私と出逢ってくれて、ありがとう。
愛してる。

そう書かれていた。
すみっこに、にっこりと笑い合う男女が描かれている。
何度も消したあとがある。
本当に愛らしい。
袋の中には、絵とミサンガが入っていた。
絵は、天の川の下で微笑む男女。
周りには、深い青と白の花びらが舞っている。
あの日の花束の花の色だ。
笑い合う二人は、きっと、織姫と彦星。君と俺。
相変わらず下手くそだけど、他のどんな芸術家の絵よりも、愛を強く感じる。

ミサンガには、紺と白の紐で編まれ、星のチャームが着いていた。

君、こんなにあの花束を気に入っていたんだね。

君と、いつかまた、出逢えますように。
隣で、笑い合えますように。

と願いをかけ、結ぶ。

着信音が響く。
君のお父さんだ。
泣いたあとのかすかすの声で出ると、届いたか、良かった、と君のお父さんは笑った。

君に頼まれて、お父さんが、この誕生日プレゼントを届けてくれたらしい。

君に、無性に逢いたい。
もう会えないと分かっているけど、逢いたい。
窓の外の街の灯りの中に、君を、探した。
いるはずもない君を、
ずっと、ずっと。

君がいない初めての七夕。
星空を見上げる。
空では、織姫と彦星は逢えただろうか。

ミサンガを見る。
切れる様子はない。
まだ、逢えないか。
待ってるから。
ミサンガが切れて、再び出逢うその日を。
夜空を見上げ、ひっそりと涙する。
ただ、月の光が、一人分の影を伸ばしていた。


朗らかに微笑む。
「いらっしゃいませー」
花を手に取り、束ねていく。
花束を作り、渡す。
お客さんの笑顔が、眩しい。
花束を受け取り、軽やかに歩き出す後ろ姿を見送る。
「ありがとうございましたー」

今日は、君が星になって、二十五回目の七夕。
君の誕生日。
君と手を繋いだ。
君と笑いあった。
君と願いを綴った。
君の命を、
溶かした。
それでも、愛してよかった。
そんな、俺が愛する君の生まれた日。
俺が君に惚れ直した日。
一年に一度、神様が許してくれた、君に逢うことができる日。
君と過ごした七夕。
あの日と違うのは、君が、もういないこと。
星になったこと。
本物の織姫となったこと。

君は、俺にとってのたった一つの一等星だ。
いつも、俺の世界を、温かく包んでくれる。
俺は、君の一等星の彦星として、少しは、君の世界を照らすことができたかな。

窓の外を見渡す。
星空と街明かり。

君は、君という星は、君という星が照らすこの世界は、今日も眩しすぎるくらいに輝いている。
まるですぐそばに君がいるようだ。
ねえ、聞こえてる?
そこにいるんだよね。
大好き、愛してる。

やっぱり俺は、君ほど愛することができる人は見つからなそうだ。
今でも、君のことしか頭にない。
最期に君が呟いた言葉を、そのまま、君に返すよ。
俺は、今も同じ気持ちだ。
消え入りそうな声だったけど、俺には、はっきりと、鮮明に聞こえたよ。
彦星の俺が、織姫の君を、織羽を、誰よりも想ってる。
この声が、想いが、光が、君へと届くように、夏の夜風に乗せて、願う。

この前調べたけど、星の光って、ずっと前の光が今、この世界に降り注いでるんだってね。
ベガは、君が届けてる光は、二十五年も前のものらしいよ。
君が、星になったときの輝きが、やっと俺に届くくらいだね。
そんなに過去の光が、君と笑いあっていたときの光が、君が溶けたあとに、降り注ぐんだよ。
深いね、星って。
君と俺の愛くらい深い。
いや、俺たちの愛の方が、何倍も、何十倍も、何百倍も、深いね。
君に、微笑みかける。

星光が、頬に触れる。

星の光に君の輝きが足されて、より一層眩しく、美しく感じる。

夜空にいる君の光が、心に触れる。

そろそろ閉店の時間だ。
深い青の桔梗と、白い小さなレースフラワーで花束を作る。
あの日、君に渡した花束と同じ。
あの時のお花屋さんは、すごい。
花言葉まで考えてくれていたなんて。
棚の上にあるあの指輪。
薬指にはめる。
君の温もりを感じる。

花束を手に、外に出て、君がいる夜空を見上げる。

君に、この花束が、この気持ちが、届きますように。

ミサンガが、切れて、地面へと落ちた。
君が編んだミサンガは、二十五年も切れることなく、一緒に生きたんだよ。
ようやく、俺の願いが、叶ったんだ。

逢いに来てくれたんだね。
やっと逢えたね。

一年に一度なのに、二十五年も待ってたよ。
長かったね。
遅いよ。
もう俺は、おじさんになっちゃったよ。
君は、あのときと同じように、綺麗なままだね。
君がいなくなってから、時間の進む速さは、本当にゆっくりになった。

でも、あっという間に、俺はおじさんになった。
イケおじだよ?
ちゃんと指輪、なくしてないだろ?

君が、ふっと笑いながら、何言ってんの、と言う声が聞こえた気がした。

涙が頬を伝う。

君のように、優しく甘い香りが、鼻を燻る。

たとえ、誰にも君が見えなくても、俺には、あの日のように泣き笑いをする君が、見える。
すぐそばに。
すぐ隣に。
君のどの表情も、どんな言葉も、仕草も、忘れない。

君の輝きに、抱擁される。

君が、君という星が、そして、君が生きたこの世界が、永遠に、いつまでも、いつまでも、輝き続けますように。

夜空の中で、君が、今日も、瞬いている。