八月一日 午前五時過ぎ。
サマーゲームパーティーの参加者保護者からの電話対応と本部設置に追われるみゆおに、コールが入る。佐藤刑事からだった。
「小川くん、平屋くんが捜査に協力するってよ。俺も休日返上だ」
怒り交じりで語気が荒いながらも、その言葉にみゆお刑事は少しだけ表情を緩めた。そして昨日の鋭い二人の推理を思い出していた。
「いいでしょう。子どもたちには、子どもの視点がある。私たちとは違うアプローチで、何か見つけられるかもしれません」
「そういうことだ。お前は本部で、俺たちは現場で情報を集める。それでいこう」
電話を切ると、みゆお刑事は再び衛星写真に向き合った。そして、小川と平屋がもたらすかもしれない、かすかな希望に賭けることにした。
――捜査範囲は、大型バスの消失地点である厚木インターチェンジを起点とした、神奈川、静岡、山梨と富士山をまたがる広域になった。県をまたいでの捜査になり、上層部に許可をもらうのに手こずるかと思ったが、すんなりと許可が降りた。やはり忌々しいが、有栖川家というカードのおかげだろう。
大規模な検問が張られている。確実な証拠もない中、捜査のセオリーとしては、富士五湖だけをピンポイントに捜査するわけにはいかない。けれど捜査方法を間違えれば、無駄に時間が消費され、今度は有栖川美知はおろか、他の子どもたちの命の危険の可能性が出てくる。焦燥感が彼女の心を締め付ける。
みゆお刑事の目には、警察署のモニターに映し出された富士五湖の衛星写真があった。
******
八月一日、午前六時。
神奈川県警の捜査本部に顔を出した佐藤刑事は、小川と平屋と共に再び車に乗り込んだ。
「そら。じゃあ、どこから向かう? 探偵たち」
運転席の佐藤刑事が、じろりとこちらに目を向けた。この二人が信じているのは、昨夜のバスの中でのクイズに隠された、ゲームマスターからのメッセージだけだ。闇雲には探せない。
平屋は、確信めいたように、自身のタブレットのグレーのカバーを開いた。
「……これは、昨日AIと検証したものです。まずは、厚木インターチェンジへ向かいます。昨日とまったく同じ要領で、です。そしてその先は、厚木インターチェンジから富士五湖へ向かいます」
「そのまま高速を使うってわけか」
と佐藤刑事がナビを設定しようとしたとき。
「いえ、違います」
平屋がきっぱりと言った。
「ルートですが、厚木方面から宮ヶ瀬湖の周辺を抜け、神奈川と山梨を結ぶ国道四一三号を通ります」
「高速を通らないのか?」
小川の不思議そうな声があがる。
「はい。なぜなら、厚木インターチェンジ以降、貸し切りバスの足取りをつかめないからです。高速や主要道路なら、警察のNシステムが、バスのナンバープレートを見逃すはずはないんだ。そうですよね? 佐藤刑事」
平屋の言葉に佐藤は頷いた。
「……ならば、目の届かないこの『道志みち』を使った可能性が高い。山の峠を越えるこのルートなら、距離として百キロメートル、時間にして二時間四十分。たっぷりその時間、彼らは雲隠れできる。その間にナンバープレートの偽装なり、車体のラッピングの偽装なり、時間稼ぎができたんじゃないですか?」
「ふん……合理的だな。
あんな曲がりくねった真っ暗な山道を、大型バスで走り抜けたってのか……。とんでもねえ馬鹿か、天才かのどっちかだろうな。よし、車を走らせるぞ」
車を走らせる佐藤刑事に小川は声をかける。
「昨日のクイズの本当の目的地は、最初から『富士五湖』だった。その中でも、葛飾北斎の『富嶽三十六景』で『裏富士』と表記されていたこと、そして『千円札の裏富士』が本栖湖であることから、まず、本栖湖から捜索してはどうでしょう?」
佐藤は頷いた。
(――このガキ。
脳筋馬鹿かと思いきや、結構、論理的で説得力がある)
朝の光が差し込む高速道路を、車はひたすら西へ向かって走った。
厚木インターチェンジを降り、彼らはぐねぐねと曲がりくねる国道へと向かった――。
******
悪路にぐったりする平屋を支えながら、小川はタブレットが指し示す本栖湖へ向かう。午前九時過ぎ。彼らの車は、本栖湖の湖畔に到着した。
朝露に濡れたキャンプ場には、数組のキャンパーが静かに朝食の準備をしていた。
佐藤は、キャンプ場の管理人に話を聞いた。
「昨日の夜七時から十時ごろ、この辺りで観光バスを見かけませんでしたか?」
管理人は首を傾げた。
「いや、見てないねえ。その時間この辺りは真っ暗になるからね。気づかなかったかもしれないね」
他のキャンパーたちにも聞いてみたが、皆、口を揃えて「見ていない」と答えた。
二十人そこらの中学生が一斉に雲隠れできるところだ。何か手がかりはあるのではないか?しかし、周辺のリゾート地にも足を運んで聞き込みを続けたが、手がかりは見つからない。
「外した!」
平屋が悔しそうに声を漏らす。
(やはり、推測の域を出なかったか……)
小川の顔にも、焦りの色が浮かんでいた。しかし、佐藤刑事は静かに言った。
「まだだ。ここが違うなら、次の湖へ行くだけだ。探偵ども。乗れ」
再び車に乗り込むと、平屋はタブレットのナビを設定する。
「本栖湖から精進湖までは、約十五分です。そこから西湖までは、さらに二十分ほどかかります」
時計の針は、すでに午前十時を回ろうとしていた。
車内には、微かな焦燥感が漂っていた。 ゲームマスターが仕掛ける罠の深さを思い知った今、一分一秒が惜しい。
本栖湖を後にして、車は国道一三九号線を東へ向かう。 精進湖の小さな湖畔でも同様に聞き込みをしたが、やはり観光バスの目撃情報はない。
すでに十一時――。
「次は西湖です」
そのとき、佐藤刑事の部下から連絡が入った。
「もしもし、おう、どうした?」
「佐藤さん、別動隊で富士五湖を回っているんですよね?先ほど、精進湖の民宿の女将から、本部あてに情報が入りました。 どうやら、昨夜バスを見たという人がいるそうです」
「本当か!?」
「はい。バスは富士五湖方面ではなく、山梨県道七一号線を北上し、本栖湖の先にある富士五湖の幻の六番目の湖、つまり青木ヶ原樹海の奥にある『赤池』の方の林道へ入っていったと……」
「赤池……」
小川は思わず平屋と顔を見合わせた。 赤池は普段、水がない幻の湖だ。 それが、もしバスの目的地だとすれば……。
「佐藤刑事! そちらへ向かいましょう!」
佐藤は即座にハンドルを切り、来た道を引き返した。
赤池へと続く山道から、さらに大型車が入っていったと思われる真新しい轍(わだち)を追って、樹海の奥へと進む。 しかし、そこは舗装もされていない最悪の悪路だった。 覆面パトカーは何度も大きく揺れ、泥濘(ぬかるみ)にタイヤを取られる。 その度に車を降りて小川と平屋が後ろから押し出すなど、膨大な時間が奪われていく。
そうして数時間かけて轍の終点に到着しても、バスの姿はどこにもなかった。 その場所は、ただの小さな窪地で、一台の不法投棄された廃トラックがあるだけだった。
「くそっ! 騙された……!」
泥だらけになった小川が叫ぶ。
「この情報は、ゲームマスターが仕掛けたダミー情報だ! 僕たちをここに足止めさせるための……!」
佐藤はギリッと奥歯を噛み締めた。 彼らは貴重な時間を無駄にしてしまった。
泥だらけのパトカーを反転させ、再び国道一三九号線に戻り、西湖へと向かった時には、すでに午後四時半を回っていた。 疲労と焦燥で、三人の顔には絶望の色が浮かんでいる。
そして、西湖の湖畔に到着した彼らの目に飛び込んできたのは、自然豊かな景観に似つかわしくない、一艘の豪奢なクルーザーが湖畔に投げ出されている光景だった――。
サマーゲームパーティーの参加者保護者からの電話対応と本部設置に追われるみゆおに、コールが入る。佐藤刑事からだった。
「小川くん、平屋くんが捜査に協力するってよ。俺も休日返上だ」
怒り交じりで語気が荒いながらも、その言葉にみゆお刑事は少しだけ表情を緩めた。そして昨日の鋭い二人の推理を思い出していた。
「いいでしょう。子どもたちには、子どもの視点がある。私たちとは違うアプローチで、何か見つけられるかもしれません」
「そういうことだ。お前は本部で、俺たちは現場で情報を集める。それでいこう」
電話を切ると、みゆお刑事は再び衛星写真に向き合った。そして、小川と平屋がもたらすかもしれない、かすかな希望に賭けることにした。
――捜査範囲は、大型バスの消失地点である厚木インターチェンジを起点とした、神奈川、静岡、山梨と富士山をまたがる広域になった。県をまたいでの捜査になり、上層部に許可をもらうのに手こずるかと思ったが、すんなりと許可が降りた。やはり忌々しいが、有栖川家というカードのおかげだろう。
大規模な検問が張られている。確実な証拠もない中、捜査のセオリーとしては、富士五湖だけをピンポイントに捜査するわけにはいかない。けれど捜査方法を間違えれば、無駄に時間が消費され、今度は有栖川美知はおろか、他の子どもたちの命の危険の可能性が出てくる。焦燥感が彼女の心を締め付ける。
みゆお刑事の目には、警察署のモニターに映し出された富士五湖の衛星写真があった。
******
八月一日、午前六時。
神奈川県警の捜査本部に顔を出した佐藤刑事は、小川と平屋と共に再び車に乗り込んだ。
「そら。じゃあ、どこから向かう? 探偵たち」
運転席の佐藤刑事が、じろりとこちらに目を向けた。この二人が信じているのは、昨夜のバスの中でのクイズに隠された、ゲームマスターからのメッセージだけだ。闇雲には探せない。
平屋は、確信めいたように、自身のタブレットのグレーのカバーを開いた。
「……これは、昨日AIと検証したものです。まずは、厚木インターチェンジへ向かいます。昨日とまったく同じ要領で、です。そしてその先は、厚木インターチェンジから富士五湖へ向かいます」
「そのまま高速を使うってわけか」
と佐藤刑事がナビを設定しようとしたとき。
「いえ、違います」
平屋がきっぱりと言った。
「ルートですが、厚木方面から宮ヶ瀬湖の周辺を抜け、神奈川と山梨を結ぶ国道四一三号を通ります」
「高速を通らないのか?」
小川の不思議そうな声があがる。
「はい。なぜなら、厚木インターチェンジ以降、貸し切りバスの足取りをつかめないからです。高速や主要道路なら、警察のNシステムが、バスのナンバープレートを見逃すはずはないんだ。そうですよね? 佐藤刑事」
平屋の言葉に佐藤は頷いた。
「……ならば、目の届かないこの『道志みち』を使った可能性が高い。山の峠を越えるこのルートなら、距離として百キロメートル、時間にして二時間四十分。たっぷりその時間、彼らは雲隠れできる。その間にナンバープレートの偽装なり、車体のラッピングの偽装なり、時間稼ぎができたんじゃないですか?」
「ふん……合理的だな。
あんな曲がりくねった真っ暗な山道を、大型バスで走り抜けたってのか……。とんでもねえ馬鹿か、天才かのどっちかだろうな。よし、車を走らせるぞ」
車を走らせる佐藤刑事に小川は声をかける。
「昨日のクイズの本当の目的地は、最初から『富士五湖』だった。その中でも、葛飾北斎の『富嶽三十六景』で『裏富士』と表記されていたこと、そして『千円札の裏富士』が本栖湖であることから、まず、本栖湖から捜索してはどうでしょう?」
佐藤は頷いた。
(――このガキ。
脳筋馬鹿かと思いきや、結構、論理的で説得力がある)
朝の光が差し込む高速道路を、車はひたすら西へ向かって走った。
厚木インターチェンジを降り、彼らはぐねぐねと曲がりくねる国道へと向かった――。
******
悪路にぐったりする平屋を支えながら、小川はタブレットが指し示す本栖湖へ向かう。午前九時過ぎ。彼らの車は、本栖湖の湖畔に到着した。
朝露に濡れたキャンプ場には、数組のキャンパーが静かに朝食の準備をしていた。
佐藤は、キャンプ場の管理人に話を聞いた。
「昨日の夜七時から十時ごろ、この辺りで観光バスを見かけませんでしたか?」
管理人は首を傾げた。
「いや、見てないねえ。その時間この辺りは真っ暗になるからね。気づかなかったかもしれないね」
他のキャンパーたちにも聞いてみたが、皆、口を揃えて「見ていない」と答えた。
二十人そこらの中学生が一斉に雲隠れできるところだ。何か手がかりはあるのではないか?しかし、周辺のリゾート地にも足を運んで聞き込みを続けたが、手がかりは見つからない。
「外した!」
平屋が悔しそうに声を漏らす。
(やはり、推測の域を出なかったか……)
小川の顔にも、焦りの色が浮かんでいた。しかし、佐藤刑事は静かに言った。
「まだだ。ここが違うなら、次の湖へ行くだけだ。探偵ども。乗れ」
再び車に乗り込むと、平屋はタブレットのナビを設定する。
「本栖湖から精進湖までは、約十五分です。そこから西湖までは、さらに二十分ほどかかります」
時計の針は、すでに午前十時を回ろうとしていた。
車内には、微かな焦燥感が漂っていた。 ゲームマスターが仕掛ける罠の深さを思い知った今、一分一秒が惜しい。
本栖湖を後にして、車は国道一三九号線を東へ向かう。 精進湖の小さな湖畔でも同様に聞き込みをしたが、やはり観光バスの目撃情報はない。
すでに十一時――。
「次は西湖です」
そのとき、佐藤刑事の部下から連絡が入った。
「もしもし、おう、どうした?」
「佐藤さん、別動隊で富士五湖を回っているんですよね?先ほど、精進湖の民宿の女将から、本部あてに情報が入りました。 どうやら、昨夜バスを見たという人がいるそうです」
「本当か!?」
「はい。バスは富士五湖方面ではなく、山梨県道七一号線を北上し、本栖湖の先にある富士五湖の幻の六番目の湖、つまり青木ヶ原樹海の奥にある『赤池』の方の林道へ入っていったと……」
「赤池……」
小川は思わず平屋と顔を見合わせた。 赤池は普段、水がない幻の湖だ。 それが、もしバスの目的地だとすれば……。
「佐藤刑事! そちらへ向かいましょう!」
佐藤は即座にハンドルを切り、来た道を引き返した。
赤池へと続く山道から、さらに大型車が入っていったと思われる真新しい轍(わだち)を追って、樹海の奥へと進む。 しかし、そこは舗装もされていない最悪の悪路だった。 覆面パトカーは何度も大きく揺れ、泥濘(ぬかるみ)にタイヤを取られる。 その度に車を降りて小川と平屋が後ろから押し出すなど、膨大な時間が奪われていく。
そうして数時間かけて轍の終点に到着しても、バスの姿はどこにもなかった。 その場所は、ただの小さな窪地で、一台の不法投棄された廃トラックがあるだけだった。
「くそっ! 騙された……!」
泥だらけになった小川が叫ぶ。
「この情報は、ゲームマスターが仕掛けたダミー情報だ! 僕たちをここに足止めさせるための……!」
佐藤はギリッと奥歯を噛み締めた。 彼らは貴重な時間を無駄にしてしまった。
泥だらけのパトカーを反転させ、再び国道一三九号線に戻り、西湖へと向かった時には、すでに午後四時半を回っていた。 疲労と焦燥で、三人の顔には絶望の色が浮かんでいる。
そして、西湖の湖畔に到着した彼らの目に飛び込んできたのは、自然豊かな景観に似つかわしくない、一艘の豪奢なクルーザーが湖畔に投げ出されている光景だった――。



