あやめも知らぬ恋

半月後、本格的な夏となり外を行き交う人々は夏用の生地が薄い服装に切り替えていた。

長屋周辺や昔ながらの商店街では和装の人が多いが、銀座や日本橋は最先端のファッションを楽しむ人でいつも賑わっている。

「蛍ちゃん、行ってくるね」

本音をぶつけ合って打ち解けたと思ったが、今日の蛍はご機嫌斜めのようで口を聞いてくれない。

理由は私が”空色のワンピース”を着なかったから。

せっかく蛍が選んでくれたものなので大切に着たいが、結納の儀で万が一目立ってしまうかと想像して控えてしまった。


「そう拗ねるな。この訪問着もいいだろう? 一緒に選んだじゃないか」

私が着用しているのは絵羽模様の訪問着で、洋装に負けまいと着物ならではの華やかさに染めたものだ。

南条家は歴史ある巫女の家門のため、結納の儀は伝統にしたがった和の形式を想定してのことだが、思った以上に華やかで困ってしまう。

(私なんかがこんな素敵な着物を着てもいいのか……。久美子さんの機嫌を損ねないかしら?)

流行ものが好きで、華やかさを装うのが久美子のポリシー。

ハッキリとした面立ちは賢さも兼ね備えた印象で、女学校では憧れの的となっていた。

私が南条家にいたときは結婚の素振りはなかったが、おそらく女学校では一番乗りと言わんばかりに退学したのだろう。

卒業までいる方が恥とされ、すべての行動において久美子は最先端を走っていた。

「那波さん。蛍ちゃんのこと、よろしくお願いします」
「はい。いってらっしゃいませ」

今日一日、那波が蛍と屋敷で留守番だ。

外部で車と運転手を借り、南条家の招待先に向かう。

紫暮に手を差しのべられ、恥ずかしさに目を反らしながら手を重ねて車に引き上げられる。

扉を閉めて出発となった時、那波の後ろに隠れていた蛍が飛び出し、背伸びをして私を呼んだ。

「花純! これ、持ってって!」

「これは……?」

必死に何かを手渡そうとしてくる蛍に、私は車の窓から顔を出して手を伸ばす。

渡されたのは蛍か身につけるには大きすぎる翡翠の腕輪だ。

南条家に来る前からずっと持っており、失くさないよう大切にしまっていたはずなのに……。

「なくしちゃだめだよ!」
「――うん、ありがとう。行ってきます」


おそらく蛍の母親のもので、それを持たせるということは何か思うことがあってのことだろう。

これだけ立派なものを三歳の女の子に持たせるなんて、ますます離れ離れになっているのが不可解だ。

今は蛍にとって大切な母親との思い出を託された気がして、私は胸を張って腕輪を胸に抱きしめた。