あやめも知らぬ恋

「あぁ、そうだな」

紫暮は手のひらから力を抜き、穏やかに目を細めて私の頬を親指でなぞる。

もう血は止まり、傷口は塞がっていた。


「花純の弟は必ず見つける。だからこのまま俺の嫁でいてくれ」

皮肉にも胸が一音、甘く鼓動を打った。


「……弟を見つけるまで。蛍ちゃんのことも」

「守る。契約だ。花純の要求を果たした暁には覚悟してもらおう。まぁ、今は少し褒めてもらいたい気分だな」

「えっ……? んっ……!」

イタズラな少年の顔をしたと思えば、甘ったるい花の香りを漂わせる異性の顔になり私の首筋に唇を落とす。

叔父上も久美子もすぐそばにいるのに、思わず声が漏れてしまう。

電流が走ったかのように身ぶるいを止められずにいると……ペチンと紫暮の足元から弱々しい叩く音がした。

紫暮が視線を下ろし、私もそれを追った。


「へんたい」

那波に守られて物陰に隠れていたはずの蛍が駆け寄ってきて、背伸びをして紫暮の太ももを叩いていた。

蛍の唐突な反抗に開いた口が塞がらない。

ふんっと鼻息を強くし腕を組んでそっぽをむき出す蛍のかわいらしい意思表示。

紫暮に触れられる時よりも心臓は明るくキュンキュンと音を立て、たまらないと私は蛍の前にしゃがみこみ、手を差し出した。


「蛍ちゃん。待たせてごめんね。ご飯、食べに行こうか」

その問いに蛍は唇を尖らせ、ふてぶてしくもうなずく。

自分の意思を上手く伝えられない蛍だが、こうして手足を動かしてくれたということは、少しは心を開いてくれたと期待してもいい?

”変態”呼ばわりをされた紫暮はやや不服そうだが、子ども相手にへそを曲げてはいられないと咳払いで誤魔化す。

それからこれ以上蛍に叔父上と久美子を視界に入れさせないよう、反対の手を紫暮が握り、蛍を間に挟んで歩き出した。


「ありえないわ。あんなにも美しい殿方。しかも竜人……! お義姉様が選ばれるなんてありえない……」

背後からブツブツと久美子が呟いてるのが聞こえる。

気にして落ち込んでしまう癖はまだまだ直らないけれど、少しずつ流せるようになりたい。

支えようとしてくれる紫暮にも、心配して勇気を出してくれる蛍のためにも、強くあろうと決意した。