あやめも知らぬ恋

紫暮のお屋敷に来て二週間。

最初は蛍とどう接すればいいかもわからず戸惑うことが多かったが、今はずいぶんと慣れてきた。

南条家にいた時はよく蛍が暴れまわったが、ここに来てからはいい子過ぎるほどにおとなしい。

逆に子どもらしい元気さが感じられずに不安になったりもするが、これも蛍の個性かもしれないと受け止めるように意識した。


そうして梅雨の時期が明け、太陽の陽射しが爽やかな頃。

「蛍ちゃん!?」

外で水撒きをしていると突然蛍が前に飛び出してきた。

柄杓(ひしゃく)から離れた水が蛍の顔にかかり、せっかくの新しい着物まで濡れてしまったのであわてて私は蛍の前に膝をつく。

タオルで濡れた顔や着物を拭っていると風が吹き、水気の多い涼しさが頬を撫でた。

「もう……危ないでしょ? 急に飛び出してどうしたの?」

「…………」

相変わらず私が問いかけても答えは返ってこない。

だが以前と異なり、何かを訴えたい素振りは見せてくれるようになった。

唇をとがらせ、足をもぞもじさせて私から離れると、柄杓を手に取り水撒きの続きをはじめた。

こうして私を困らせたい行動をとったかと思えば、しおらしく手伝いをしようとする。

言葉数は少なくても、蛍なりに歩み寄ろうとしてくれるのがわかり、愛らしさに胸がいっぱいになった。


(次からは声をかけよう。蛍ちゃんって、結構さみしがりやなのかも)

そう認識するとこれまでの行動も辻褄が合う。


南条家に来たばかりの頃の蛍の行動原理。

(久美子さんの着物を手に駆けまわったり、泣き叫んだりとしていたのも、寂しさからくる抵抗だったんだ)

それで久美子が腹を立てて私を怒鳴りつける。

その度に私は腰を低くして気を逆立てないよう謝り倒していた。

(久美子さん、か。もう懐かしい。南条家は今、どうなのかしら)

どうせ何も変わっていないだろう。

義妹の久美子に謝ってばかりだった私を見て蛍が何も感じていないわけではないはず。

私自身、蛍とのかかわり方に悩んでいたため、弱い心を見透かされていたんだ。

今は蛍を一番にすると決め、私が知る限りの愛情で接しようと心掛けていた。


”あなたが大事”だという気持ちが少しでも蛍に伝わっていればいい。

そう思って思いきって後ろから蛍を抱きしめると、蛍はおずおずと私の腕におさまってくれた。