あやめも知らぬ恋

紫暮は水を自在に操って剣を形成すると翼をはためかせ、勢いをつけて岩を真っ二つに斬りかかる。

割れた瞬間、真っ黒な邪気が四方八方に飛び出し、この場にいる全員に悪意の塊をぶつけにかかった。

抵抗力を失った巫女たちに黒い煙が入り込み、まるで操られた獣のような顔をして媛巫女に飛びかかる。

紫暮を囲む防御壁を維持しながら媛巫女は、巫女たちを傷つけないよう走り回って弓を構えた。


(慣れた動き。まるでお母様みたい)

私たちが生まれた頃にはすでに母・綾芽は巫女を引退していた。

だがどうしても人手が足りずに助っ人に入ることもあり、その時の一歩抜きんでた動きにひどく憧れた。

残念ながら私に巫女の能力がなく、それどころか鬼の能力を有している疑惑が浮上した。

憧れた人物像とは異なり、結果的に何人も傷つけてしまう。

”鬼の誘惑”はいまだわからないが、少なくとも紫暮と梨亜奈の人生は狂わせた。

好きだと言ってくれる紫暮をこのままにしていいのかもわからない。


(それでも私は紫暮様が好き。それだけは本物だ)

私は私のために、これ以上後ろめたい気持ちを抱かなくて済むように。

せめて大事な人の”家族”を守れるくらいには強くなろうと、割れた岩の向こう側にいる”それ”を睨みつけた。


『”どうも、龍人サマ。やはり一族の長に匹敵する龍人が相手だと厳しいネェ”』

真っ二つになった岩の向こう側には小さな泉が湧いており、地下の岩壁にはぎっしりと木の根が張られている。

割れた岩からいくつかの飛び石が続き、小さな赤い鳥居に続いていた。

その向こう側には丸い鏡を手に持つ”鬼喰い”が鎮座していた。



燃える炎のような夕暮れの色。

花純と同じ真っ赤な瞳。

イタズラ好きの猫のような目の形。


『”久しぶり、花純。元気そうでなによりだ”』

「楓……」

外はねの目立つ髪からは鬼特有の二本角。

耳は尖っており、笑うと八重歯が目立つ。

見た目も人格も楓のもの。

しかしまとう邪気は鬼喰いそのもの。

なぜ楓が鬼喰いになっているのか、わけもわからず助けたい気持ちが先行して駆け出していた。


「楓! 助けに来たよ! 鬼喰いを倒して一緒に蛍ちゃんのところへ帰ろう!」

『”蛍かぁ、懐かしいなァ。会ってみてぇなァ”』

「――っ会えるよ。だから鬼喰いを……。どうすれば……」

『”ムリ。オレの身体が鬼喰いの暴走を抑えてるんだ。会えたのはうれしいけど早めにここから離れてほしい”』

「なに言って……」


楓の言葉通り、鬼喰いは楓の中にいるようで岩を割って以降、邪気を濃くして今にも襲ってきそうだ。

媛巫女の説明だけではいまいち不鮮明であったが、いざ目の当たりにすると鬼喰いとは何体もの鬼が複合して出来た化け物だとわかる。

その中心に添えられているのが楓であり、人格は楓だとしても今にも襲おうと殺気が揺らいでいた。