オーディション会場は東京にあるビルの一室。開始時間は午後一時だから電車で行っても充分間に合う。
二千円以上する切符は券売機じゃ買えなかった。足りないぶんは降りた駅で精算することにして、入場券を買った瀬名と一緒に4番ホームまで移動する。
土曜朝の駅のホームはなにかがはじまる予感に満ちている。
まだ時間がはやいからまばらにしかひとがいないけど、みんな表情が明るい。これから友達や気の置けない仲間と観光にでかけるのだろう。キャリーを持っているひともちらほら見かけた。
楽しい一日がはじまる期待できらきらと輝くホーム。
――そのなかで、俺と瀬名は特に会話もなく端のほうにつったっている。
なにか話さなくちゃいけない。でも話したいことがありすぎてなにを言えばいいのかわからない。そんな沈黙だった。
俺はスマホをポケットから取りだし、電車がくるまであと十分あることを確認してからまたもどす。
九月のなまぬるい風を浴びながら不器用に言葉をえらんだ。
「瀬名ってさ、ほんとは彼女いないよな」
瀬名は身じろぎひとつしなかった。でも、これが彼のなかにちゃんと届いたのはわかる。
はい、と瀬名は気まずそうでもなく言った。
「もっとはやくばれるかと思ってました」
「俺もなんでいままで気づかなかったのかなって思った。だって写真一枚もないし土日もその子と遊ばずに俺とべったりって絶対おかしいじゃん。名前だってさ」
ゆな。
ナユをひっくりかえしただけって、なんでもっとはやく気づかなかったんだろう。
「もうちょっとひねるべきでした」
「よくある名前だから深く考えなかったよ。……で? なんでそんなうそついたわけ?」
「先輩のそばにいられると思ったから」
瀬名は淡々と答える。
探偵に追いつめられて、もう逃げ道はないと悟ってすべてを自供しだす犯人みたいに。
「だれよりもナユ先輩のそばにいたかったんです。変な意味じゃない。先輩のことが、俳優としての先輩が純粋に、ほんとに好きだから。
下心があると思われたくなかった。そしたらきっと距離を取られるから。だから、『彼女』っていううそが必要でした。先輩を安心させるための」
――彼女がいるから大丈夫。
――瀬名は男が好きなわけじゃない。
――純粋に、俳優としての俺が好きだからそばにいる。
実際、瀬名に好き好き言われても俺が特に気にしなかったのはゆなちゃんの存在があったからだ。
彼女の存在は瀬名が俺を恋愛的に見ていないという証明で、彼が俺のそばにくっついているための免罪符のようなものだった。
「それは……」
線路に反射した太陽の光がまぶしい。
どうしてこんな朝なんだろう。どうしてもっと曇ってないんだろう。なにかを責めたい気分のまま、俺はつぶやく。
「それは、ほんとだったんだよな?」
「……はい。下心はなかったです。ナユ先輩は俺にとって神聖っていうか、ほんとに特別な存在だったんで」
瀬名は頭の回転がはやい。だから俺が過去形にしたことにもすぐ気づいて合わせてきた。
俺が聞きたかったことに、まっすぐに答えを返してきた。
じゃあ、と俺は線路を見つめながら尋ねる。
――じゃあ、いまは?
「いまは……」
瀬名は役作りのためなら俺とキスできる。俳優としての俺が好きだから。
でもそれだけなら一日に何回もキスしてくる必要はない。
それだけなら、
たかが間接キスに躊躇したり。俺の唇にふれられなくなったり。
揺れうごく理由なんて、ない。
俳優としての俺が――好きなだけなら。
「いまは、」
突然チャイムが鳴った。俺が乗る電車がまもなくやってくるというアナウンスがそのあとにつづく。
音につられて俺が電光掲示板のほうを見やったとき、「いかないでください」と瀬名が絞りだすように叫んだ。
いままで一度も聞いたことない声で。
「先輩が俺以外の男とキスするなんていやだ」
「……瀬名、」
「俺以外の男を好きになるなんていやだ。だれかに特別な想いを持つなんていやだ。先輩のそばにいていいのは俺だけなんだから。
ヤキモチ焼いてるって言われたとき気づいたんです。演劇部の先輩としてだけじゃない。俺はあなたのことが男として好きだってことに。
ナユ先輩、好きです。俳優としての先輩も、そうじゃない先輩も大好きです。心配性なところも、子供っぽいところも、なのにいざ舞台に立ったら別人みたいにかっこよくなるところも、ぜんぶ好きです。
こんなオーディション断って、俺のそばにいてください」
瀬名の表情はいまにも泣きくずれそうだった。
一年のときから大人っぽくて、どこか醒めている後輩は。
夏の名残の光に照らされた線路を見つめて――そう、震える声で伝えてきた。
「……うん、」
電車が線路を走ってくる音がする。時間にすればたった三時間の距離だけど。
この電車に乗れば、瀬名とはもう二度と会えなくなるような気がした。
俺は目を閉じる。
オーディション会場にはきっと俺しかいない。
ほかの参加者はいるけれど、みんなサクラか数合わせで呼ばれたひとたちだ。椿ジロウははじめから俺を起用するつもりだった。
そして俺は彼が手がける舞台にでる。
もう逃げられない、この上で生きてこの上で死にたいと渇望するようになる。
だれが反対しても――両親はきっと反対しない、わかっていた、俺が躊躇する理由がほしかっただけだ――俳優として生きていきたいと願うようになる。
俳優になった俺はたくさんの人生を生きて。
一生分じゃおさまらない、たくさんの感情を経験して。
いつか高校時代のことを懐かしく思いだす。いまから思えば、勢いだけの下手な演技をしてたと恥ずかしくなる。
この電車に乗れば。
『いま』のことは、すべて遠い思い出に変わってゆく。
……そこに、
「俺、だって」
電車に乗ってたどりついた先に。
瀬名は、いない。
「俺だって、おまえと離れるのやだよ」
たたん、たたん。電車の音がだんだん近づいてくる。俺たちをせかすように。
瀬名とはもっとたくさん話せたのに。時間はやまほどあったのに。
なんで、いまになってしまったんだろう。
「ナユ先輩、だったら、」
「でも、おまえじゃん」
「え……?」
「おまえがいまの俺を作ったんじゃん。俳優・藍川那由多を作ったのはぜんぶおまえじゃん。
おまえに言われたとおり髪染めて。おまえに言われたとおり目線や発声変えて。おまえに言われたとおり演技して。その結果がこのオーディションなら――逃げるなんて選択肢、あるはずないだろ」
瀬名に言われたことをぜんぶ俺は受けとめて、ぜんぶやりとげてきた。
演出家としての彼のことを信頼しているから。彼に、応えたかったから。
俺を役者にしてくれたのは瀬名だ。俺を、舞台の真ん中まで連れだしてくれたのは。
そして椿ジロウという大物に見つけてもらえた。
『俺の言うこと聞いてればあんたは一年以内に主役になれますよ。プロだって夢じゃない』
あのとき瀬名が言ってくれたことはほんとうだった。瀬名が現実にしてくれた。
絶対に無駄にするわけにはいかない。
――俺だって、瀬名のことが、
電車が止まる。ドアが開く。
俺は目線を落とさず、まえだけを見て電車に乗りこむ。
瀬名の顔を見れたのはドアが閉じてからだった。
ホームに立ちつくす彼の目には涙がにじんでいて。ドアが閉まっていてよかった、と思う。
開いてたら、きっと無我夢中で抱きしめにいってしまっていたから。
山本と別れる星宇もこんな気持ちだったのだろうか。
永別了。さようなら、と永遠の別れを告げたとき。
俺は何度も練習したとおりに口を動かそうとした。ガラス越しに瀬名を見つめながら。
でもどうしてもその言葉はでてこなくて。
本心だけが、俺の唇から零れおちる。
「追いかけてこいよ。ずっと、……ずっと待ってるから」



