『昨日のことすみません』
『ナユ先輩と仲直りしたい』
瀬名からそんなラインが来たのは次の日の朝だった。
大人びている後輩からの『仲直り』というワードに胸がきゅっとした。すぐに『俺こそ昨日はごめん。今日、学校終わったら久々にカラオケ行かない?』と返す。
机の上の参考書が俺を文句ありげな目で見ている。昨日は瀬名とのことでもやもやしてろくに進まなかったから。
帰ってきたらやるから、と手を振って俺は自分の部屋をでた。
「先輩、また変なの作って」
「家じゃこんなことできねえじゃん」
放課後、駅前のカラオケ店で受付を済ますなり俺はドリンクバーで那由他スペシャルを作る。瀬名はアイスコーヒーにソフトクリームを載せてコーヒーフロートにしていた。
部屋は狭めでソファがひとつしかない。
カップルシートしか空いてなかったのかよ、と思いながらソファに座って瀬名からデンモクを受けとる。
俺は選曲していると瀬名が「昨日のことですけど」とつぶやいた。
「銀河先輩に言ってませんよね」
「言ってないよ。俺の専属演出家から怒られたから」
「……、はい」
かち、と瀬名が持つスプーンと氷がぶつかって音を立てた。小さな子供が嬉しさをごまかすためにやってるみたいだと、隣にいる後輩の顔も見てないのに思う。
「俺は――ナユ先輩専属です」
しばらく交代で歌をうたった。
瀬名は80年代のロックバンドの曲にも明るいから嬉しい。友達ときたときうたうと「昭和じゃん」とか「だれも知らねーよ」とか言われるから。悪気なく。
曲の切れ間にドリンクバーで飲みものを作ってもどってくると、「ナユ先輩にしてはマシな色ですね」と俺が持っているグラスを見て瀬名が言った。
俺はソファに座りながら、
「オレンジジュースとレモネードしか入れてないから。飲む?」
「そうですね、それなら……」
との返事だったのでグラスを瀬名のまえに置く。瀬名はいつもみたいにストローをくわえようとして、
――なにかに気づいたようにぴたっと止まった。
「……ん? どした?」
「あ……、いえ」
瀬名は視線をさまよわせたあと、グラスに直接口をつけて飲んだ。
なんでストロー使わないんだろう。疑問がそのまま口からでてしまい、「……だって」と困ったように瀬名がグラスを置く。
「間接キスになるから……」
「……へ?」
「それだけです」
それだけ、って。
「瀬名……俺と間接キスするのやだ……?」
「そうじゃなくて!」瀬名はあわてたように言う。「そうじゃなくて――だって、ナユ先輩がいやかと思って」
「なんで。俺と瀬名の仲じゃん。今更じゃん」
「……そうですけど」
「俺のこときらいになった?」
「なるわけない、」
でも。と瀬名はうつむく。
「……でも? なに?」
「…………」
「いつもみたいに言えよ。好きとか推しとか。なあ、」
俺は瀬名のシャツの肩のあたりをつまんでひっぱる。
瀬名は俺の一番仲いい後輩だ。他人行儀になんてならないでほしいのに。
「瀬名――」
「……よくないですよ」
「はい?」
「密室で。ふたりきりで。年下試すようなこと言うの」
「そんなこと言った? 俺」
「……先輩は、」
ぎゅ、と瀬名は制服のスラックスをつかむ。
そんなふうに強くにぎったらシワがつく、と心配になるくらい強く。
「俺のことなにもわかってないです。俺だってただの……」
「……ただの?」
「…………」
瀬名はオレンジとイエローが混ざったグラスを持ちあげる。
そしてストローに口をつけた。彼の手は小さく震えていて、ジュースの表面にわずかにさざなみが立っていた。
今日のキスは、となにかを押しころすように言う。
「これで……許してください」
許してとか言われたら俺がやらせたみたいじゃん。
なんか変な空気になって解散してからももやついていた。そもそも最初から俺がやらせたわけじゃない、よな? 瀬名からしてきたんだよな?
でもほんとはいやだったとか。でも引きさがれないからやけになってたとか。
「……なんなんだよ」
瀬名と過ごせる時間はあと半年しかない。こんなふうにもやもやしたくないのに。
真夜中、彼からラインが来たと思って目を覚ましてスマホを見たけど実際にはなにも届いていなかった。ただの幻聴、もとい願望だった。
あまり眠れないまま朝がくる。
オーディションはいよいよ明日だ。練習できるのは今日が最後。
瀬名は来るか不安だったけど、放課後、彼は律儀に非常階段の踊り場にやってきた。「お疲れ」と言う俺とは目をあわせずにお疲れさまですと頭を下げてくる。
きらわれてはない?……ほんとに?
「……そろそろ部活、再開するよな?」
「もうしてます」
「そっか。……じゃ、そっち行くなら行っていいから」
瀬名は無言で座る。いままでみたいに隣じゃなくて、対角線上に。手を伸ばさないとさわれない位置に。
「ナユ先輩がここにいるのにですか。冗談やめてください。……読みあわせ、はじめましょう」
「うん――」
――『どうして優しくした?』
――『オマエなんかいなければよかった』
――『ぜんぶオマエのせいだ』
組織の接近を感じとった星宇は山本を突きはなそうとする。おまえさえいなければこんなに苦しむことはなかったのに、と。
「……ここ、もうすこし間をとったほうがいいかもしれません。混乱してることがわかるように」
「了解」
「メモしておきますね」
瀬名は鞄からボールペンをだすと脚本のコピーに記入していく。適当なノートを下敷きにして。
なんとなくそれを見ていたら「憶えてますか」と聞いてきた。
「どれのこと?」
「このボールペン。先輩がくれたやつ」
「あぁ……」
一本百円の安物だ。でも前に貸したら瀬名が書きやすいと気に入ったので、あげるよ、とそのままあげたのだった。俺はストックあるからと。
「いいよな、それ。有名なメーカーだから替え芯どこにでも売ってるし」
「……先輩もまだこれ使ってますか」
「うん。それ超えるやつにまだ出会ってないから」
「そうですか――」
瀬名は書きこんでいた手を止める。
そして下からすくいあげるように俺を見ると、ボールペンの上の部分を自分の唇に近づけた。
瞳は俺をとらえたまま。
そこに、キスをする。
「……っ、」
なぜか俺はぞくっとした。自分がキスされたわけじゃないのに。
唇に、肌にふれられるより深いところにさわられたみたいな――
時間が止まったみたいだった。
瀬名は俺があげたボールペンにキスしたまま。俺は、いままでだれもさわったことないようなどこかにキスされたような気持ちのまま。すこしも身じろぎできなくて。
彼の目が俺になにかを伝えたがっている気がした。
……なにを。その答えはすぐそばにあるはずなのに、気づいてしまうのが、届いてしまうのが、怖い。
知らない女子生徒たちが笑いながら非常階段のそばを通ったのをきっかけにふたりとも硬直が解ける。俺はぎこちなく座りなおし、でも瀬名の視線にからめとられたままで「つづけるか」と言った。
瀬名はうなずく。
さっきのが『今日のキス』なのは、言われなくてもわかっていた。



