その日から瀬名は場所をえらばなくなった。
本校舎の階段の踊り場。渡り廊下。
周りにひとがいるどころか俺も瀬名も友達といるときでも関係なく、ほんの一瞬の隙をついては唇を奪ってきた。
……『唇を奪う』。
こんな古風な表現、まさか自分が思いうかべるときがくるとは。
もちろん日中は瀬名と会わないよう警戒する。
でも俺と瀬名は波長があっているのか、学年がちがうにも関わらずもともとあっちこっちで出くわすので、昼休みとか移動教室のときとかほぼ必ずと言っていいほど顔をあわせてしまう。
そして追いこまれる。柱の陰とか。背が高いやつの後ろとか。
瀬名は死角になる場所を瞬時に見つけだすとそこに俺をひっぱってすばやくキスするのだった。
ここ、校舎なんだけど。抵抗もしてみたけどそれは押しきられて終わった。
『ナユ先輩を見かけたらそのたびにキスしてやろうと思っている』というとんでもない主張で。
「……ダチに見られたらどうすんだよ。明日から学校来れなくなるんだけど」
それでも放課後は非常階段の踊り場に集まる。脚本の読みあわせをするため。
瀬名はすまし顔だ。
「見られないようにしてますよ。もし見られたとしても、ナユ先輩の友達なら先輩がどれだけ演劇バカか知ってるでしょうから役作りって言えば納得しますよ」
「……ほんとかよ」
「俺のほう彼女持ちですし。なんの心配もないでしょ」
そうだった。こいつは、ゆなちゃんという彼女がありながら俺に毎日キスしてきているのだった。
……もしかして俺、遊ばれてる?
演技の練習でやってるなら非常階段の踊り場とかだれも見ないところでやればいい。こんな、周りにだれかがいる環境でする意味がわからない。
それとも、瀬名は本気でなにか俺に伝えたがってる……?
「困るんですけど……」
休み時間に教室でぼそっとつぶやく。
「え、なにが?」と前の席の佐々木が聞きとがめてふりかえってきた。
俺はアンニュイに頬杖をつく。
「佐々木ってかの……彼氏いる相手とやらしい雰囲気になったことある?」
「え? ない。人妻ならあるけど」
「あるのかよ」
「でもさー、けっきょく遊ばれてただけなんだよなー」
「ちょっとした刺激としか思われてなくって」と人妻との爛れた恋バナを聞きながしながら、そっか、と俺は思う。
やっぱりこれはからかわれてるだけか。異性にやったら大問題だろうけど男同士だし、ほんとにただの遊びなんだろう。
そう思うとむかむかしてきた。稽古にかこつけて先輩をからかうとはふてえやつめ。
そっちがそう来るならこっちだってそれなりの考えが、
「キスされて腰抜けるひと初めて見ました」
「教員室のまえでされるとは思ってなかったからだよ!」
その日、俺は日直だったので授業で集めたプリントを教員室まで持っていった。
そして廊下にでると先生のだれかに用事があったらしい瀬名とばったりでくわして――ちゅ、とキスをされた。
腰が抜けた。
ほんとに漫画みたいに俺はへなへなと床に座りこんでしまった。
「これ、警察署のまえで万引きするみたいなもんじゃねえの……」
「肝が冷えましたね」
「うそつけ」
差しだされた瀬名の手をつかんで俺は立ちあがる。瀬名の手はひんやりしていて、そのつめたさが悔しい。
……そうだ。いまこそやり返すべきだ。
俺は「あ、そういや」となんでもない顔を作って言う。
「銀河にも相手役頼もうと思ってんの」
「はい?」
同じ三年、コンクールでは準主演をやったやつの名前を俺はだす。あいつの実力からいって不自然ではないはずだ。
「もしこういう役がきたらどうアプローチするかって聞いてみようと思ってさ。ほら、視点は多いほうがいいじゃん?」
「……オーディションの話は極秘ですよね?」
「だからそれは伏せて。たとえばの話ってことでさ」
「…………」
「そういうわけで、今日の放課後はあいつと稽古するから――」
「……そんなのいいと思ってるんですか」
言いましたよね、と瀬名の声が低くなる。
まえに俺が彼の忠告を聞かずに余計に発声練習をして喉をつぶしかけたときと同じ声だった。
「俺以外のだれかとやったらゆるさないって」
底冷えのする瞳で瀬名は俺を見下ろす。
……え、怒ってる? マジで?
「銀河先輩に相談なんてしたら無駄に熱血な星宇になりますよ」
「いや……それは……」なるかもしれないけど……
「いままでナユ先輩の相談に乗ってきたのも演技指導してきたのも一緒に稽古してきたのもぜんぶ俺です。今更ほかのだれかに頼るなんて認めません」
「いや、そうかもしれないけど」
「先輩は俺の話だけ聞いてればいいんです。先輩の魅力を一番知ってるのは俺なんだから」
「……瀬名、」
「だれかが先輩とふたりきりで稽古するなんて、」
「いまひょっとしてヤキモチ焼いてる?」
瀬名はぴたっと口を閉じる。
数秒フリーズしてから、「はい?」と聞きかえしてきた。
「だってそうとしか思えないし。銀河と俺がふたりで稽古するのいやなんだろ?」
「……いやですよ。あたりまえじゃないですか」
「俺もあいつも元演劇部部員なのに」
「いや……だって、銀河先輩ってとにかく熱血だし。体育会系だし。俺の演技方針とは百八十度ちがうんで、あのひとが関わると役がぶれるし。ましてやキ……」
「……キ?」
「…………」
なにを想像したんだろう。瀬名の耳がちょっと赤くなって、「とにかく……っ」と彼はいつも冷静な表情を崩して言う。
「とにかくダメです。銀河先輩はNGです。ほかのひとにも絶対に相談しないでください。ナユ先輩の演技に口だしていいのは俺だけですから」
「あ、瀬名――」
「……失礼します」
教員室に用事だったんじゃないんだろうか。
瀬名はくるっと背を向けると速足で階段を上っていってしまう。
……これは大人気なかったかもしれない。
瀬名が俳優としての俺が大好きで、演出家として俺の演技にプライドを持っているのは知ってたのに。
「あー……」
ほかのやつの名前だしたら瀬名はどうするのか、ちょっとからかうだけだったのに。悪いことした。
あとで謝らなきゃと思っているうちに放課後になる。
瀬名は非常階段の踊り場にはこなかった。ので、俺はひとりで星宇のセリフをつぶやいた。



