【完結】天才ダウナー系後輩に毎日キスされています。※役作りで



 月曜日。なんでって言われても困るけどなんでか瀬名と学校で顔を合わせにくくて、『今日階段のとこいないから』と先回りしてラインしておいたら『わかりました』『放課後用事ありますか?』と休み時間に返信がきた。
 考えに考えてから『ないよ』と返す。

『ならホームで疲れきったリーマンを観にいきましょう』

 他人が見たらなにを言っているのかわからないにちがいない。
 スタンプで返すか文章で返すか迷って、『わかった』と俺は返事をした。




 そして放課後。西日が当たらないベンチを探して、俺たちはそこで電車から吐きだされてくるスーツ姿の中年男性を見守る。
 もちろん役作りの参考にするため。相手役のことを具体的に思いうかべられるようにするためだ。

 ――山本伸一。ありふれた名前だから、いま電車から出てきて階段へと向かうひとの群れのなかにひとりくらいは同姓同名のひとがいるかもしれない。

 にしても、なんで中年のサラリーマンってみんな同じ顔に見えるんだろう。このひとたちにだってなにかに打ちこんだ学生時代があって帰る家があって好ききらいがあるはずなのに。なにがここまで個性を消してしまうんだろう。

 個性のない日々。そこにあらわれた、中華マフィアの美少年。
 山本はその非日常を愛したんだろうか。代わり映えのない平穏に飽いていたんだろうか。

 失礼にならないよう気をつけながら表情や仕草を参考にさせてもらう。
 隣にいる瀬名がぽつりとつぶやいた。

「ここにも山本伸一って名前のひとがいるかもしれませんね」
「思った」
「先輩のおとうさん、元気ですか」

 うん、と俺は答えた。「経過も良好だって。大丈夫」

「……よかったです」

 演劇部のコンクールが終わってすこしして。俺の父親が仕事中に心臓の病気で倒れた。
 同僚のひとがすぐ救急車を呼んでくれたから大事には至らなかったけれど、『父が病院に運ばれた』と聞いたとき俺はこのままじゃだめだと思ったのだった。

 ――コンクールで学校が優秀賞もらったくらいで俳優としてやっていける? バカ言うなよ。
 ――どれだけの人間が俳優目指して、どれだけの人間があきらめて、どれだけの人間があきらめきれずに必死にすがりついてバイトで食いつないでいるんだ?
 ――夢だけじゃ腹はふくれない。
 ――俳優としてやっていけるわけ、ない。

 大学のサークルだと費用は持ちだしだと聞く。公演で黒字になるサークルなんてまず存在しない。プロだって基本的には赤字だと某劇団の主宰が配信で話していたのを聞いたこともある。

 経済的に安定しているとはとても言いがたい。大海にいかだで漕ぎだすような不安定な仕事。
 自分だけならバランスは保てても、もし家族が乗る船になにかがあって、こっちに移らせてくれと言われたときとても支えきれない。

 だから、俺は夏休みのあいだに瀬名に言っていたのだった。

 高校最後に最高の思い出ができた。もう思いのこすことなんてない、と。

 大学を卒業するまではつづけてもいいのかもしれないと思ったこともあるけど――下手にずるずるつづけてしまうよりはここで終わっておきたかった。
 瀬名と一緒に走りぬけた、高三の夏、で。

 ――なのに。

『藍川くんにオーディションの話がきてるの。公演観て、すごくよかったって』

 どうしてあきらめさせてくれないんだろう。
 どうして、あの夏を最後にさせてくれないんだろう。

 椿ジロウの舞台。
 だれもが憧れる舞台に立ったとき、俺は――

「夢見てました」
「えっ?」
「すみません。うたた寝を」

 びっくりした。いつの間にか駅のホームは暗くなっていた。
「え、いま何時」とスマホを見ると七時を過ぎている。時間を奪われたみたいで二度驚いた。

「ごめん、俺黙っちゃって。暇だったよな」
「いえ……。俺のほうこそ、似たようなおじさんばっか見てたら眠くなっちゃって。すみません」
 
 ちょうど電車が去ったあとみたいで、ホームにいる人影はまばらだった。帰るか、と俺は鞄を持って立ちあがる。瀬名も俺に倣った。

「夢ってなんの夢?」
「ナユ先輩がチャイナ服着て暴れまわる夢です」
「なんだそれ……」
「――ほんとうは」

 階段に向けて歩きだそうとしていた足を止め、瀬名は俺を振りかえる。
 夏の残り火みたいな。そんなさびしそうな目で。

「先輩とやった、最後の公演の夢見てました」
「…………」
「先輩、ほんとうに素敵でした。舞台の上で先輩が――先輩が演じたエシュワルトの国の王子はたしかに生きてました。生身の人間以上に」
「……やめろよ」
「きっと先輩以上にあの役をやれる俳優はいません。アマチュアでも。プロでも」
「やめろってば……」
「先輩ならきっと、大学でもその先でも――」
「やめろって言ってるだろ!」

 俺は叫んだ。
 舞台の上だったらやりなおしを要求される。ぜんぜん通らない、ヒステリックなだけの声で。

 瀬名は俺に向きなおる。正面から、視線で刺してくる。

「ご両親には話したんですか? 大学では演劇やらないこと」
「話してなにになんだよ。演劇なんてただの趣味じゃん。親に言う必要なんてない」
「でも、先輩がやめる理由は」
「おまえが口だすんじゃねえよ!」
「――ほんとうにやめたいなら」

 俺の怒声をかわすように瀬名は静かに返してくる。相手の話を聞かずにはいられない、そんな間を意識して。

「椿ジロウからの話も断ったはずです。そうですよね」
「…………」
「ナユ先輩だってわかってるはずだ。あれだけの大物の舞台に立ったら、夢を見ずにはいられなくなる。ここから自分の俳優人生がはじまるんだって思いたくなる。
 ほんとうに演劇をやめたいなら、あなたは断らなくちゃいけなかったんです」

 ――舞台の上に、もうひとつ宇宙があった。

 椿ジロウの観劇レポートでだれかが書いていた言葉だ。それはけして大袈裟じゃない。
 彼は舞台の上にもうひとつの宇宙を作りだしてしまう。そうとしか言えないほど強烈な観劇体験をさせられる。

 その宇宙を、作りだす側になったら。
 きっと俺だって思ってしまう。ここをはじまりにしたい。俳優として、舞台人として、生きていきたいと。

 でも――。

「――そんなこと、ない」
「…………」
「ただの思い出作りだよ。ちょっとはやい記念受験みたいなもん。椿ジロウからオファーがきてオーディション受けたってだけでも自慢になるじゃん? そもそも俺がえらばれるかもわからないんだしさ」
「先輩……」
「帰ろうぜ。はやく」
「先輩、今日のキスがまだです」

 瀬名の横を通りぬけようとした俺は思わず足を止めた。
「おまっ……こんな話のあとでできるかって」こっちはうやむやにしようとしたのに、瀬名は痛々しいくらい真剣な顔で俺の肩に手を置いてくる。そして顔を近づけてきた。

 俺は固まる。

「あの……瀬名さん。ここ駅なんですけど」
「知ってますよ。俺たち電車通学ですよ」
「ひと、いますけど」
「だったらなんですか」
「なにって、――っ」

 いやマジか、と思ったらマジだった。瀬名は躊躇ゼロでキスしてきた。
 ほかにもひとがいるホーム。知り合いがいるかもしれない場所で。

「……いまのは」

 すねたような顔で瀬名が言う。

「逃げなかった先輩が悪い……ですから」