天才ダウナー系後輩に毎日キスされています。※役作りで



「昨日と同じとこいるから! はやく! 電話じゃ話せないから!」
『わかりました、わかりましたって』

 翌日の昼休み。
 演劇部の顧問、さつき先生との話を終えた俺は非常階段の四階の踊り場にきていた。ここならひとりで喜べると思ったから。

 そして喜びが一段落――というほど落ちついてはいなかったけど――したら次はだれかに話したくなった。でもさつき先生からはこのことはだれにも言ってはいけないと言われている。
 でもだれかに話したい。すごいって言ってほしい。でも先生が秘密だって。でも、でも、でも……

 悩んだ末、俺は瀬名に電話をかけて呼びだしたのだった。

「なんなんですかいったい……」

 瀬名は五分くらいで踊り場に現れた。
 足音は一階から、それもすごい速さで近づいてきていたけど、さすが過酷なトレーニングメニューを提唱した張本人だけあって息ひとつ切らせていない。

「芸能界にスカウトでもされました?」

 俺はうなずく。

「え?」

 瀬名はきょとんとする。

「……スカウトじゃないけど似たようなもん、いや、それ以上にすごいかも」

 俺は念のため周りを見回してから瀬名に話した。
 演劇通ならだれもが知っている劇団。そこから、学校を通して俺にオーディションの話がきたと。

「――――」

 瀬名は目を見開く。
 ほんとうに、と唇が動いた。

「ほんと、ほんとだよ! そこの脚本家、瀬名も知ってるだろ、特別審査員できてた椿(つばき)ジロウ! あのとき俺たちの公演観て、俺を次の舞台で使いたいってなったって――!」

 さつき先生から話を聞いてもなかなか信じられなかった。

 椿ジロウは劇団Tの座長兼脚本家。
 深い人間ドラマと予想の裏をかく展開、そして胸に鋭く切りつけるようなセリフは老若男女問わずファンが多い。
 公演を打てば連日満席、賞賛の言葉がネット上にあふれ、俳優たちは生涯に一度でいいから椿脚本を()りたいと切望する。プロでもアマチュアでも、だ。

 自身が高校演劇という場から羽ばたいたからだろうか、椿ジロウはアマチュアの役者をよく起用していた。時には大学の演劇サークル生、時には学生演劇をやっていていまは堅実に生活しているサラリーマン。

 えらぶ基準は椿ジロウ本人しか知らないが、そんな話を聞いたらだれだって一度は思わずにはいられない。
 自分も椿ジロウが手がける舞台に立ちたいと。

「まじ、ですか……。イタズラじゃなくて?」
「さつき先生が劇団のほうにも問い合わせてくれたから大丈夫」
「もちろんオッケーしたんですよね」
「あたりまえだろ。先生通して返事した」

 なにかの間違いじゃなければいいんだけど。今更になってちがう意味でどきどきしてきた。

 ……間違いじゃないよな?
 瀬名は俺のこと美人とか色々褒めてくれるけど、それは俺の顔がこいつのタイプだからであって世間一般的にどうなのかはわからない。演技も瀬名のおかげでずっとよくなったけど、プロの鑑賞に堪えうるものなのかは未知数だ。

 ――どうか、『やっぱりあの話はなしで』なんてなりませんように……!

 というかそもそもオーディションだし。ほかにも声をかけられたやつがいるってことだし。
 舞いあがっちゃダメだ。それに受からなくちゃ意味ないんだから。

 ……あー、でも、椿ジロウの舞台か。
 やっぱ人生で一度は出たいよなぁ……。

 両手をにぎりしめて祈っていると「……すごい」と瀬名はつぶやいた。俺はきつくつむっていた目を開ける。

「やっぱりナユ先輩はすごいひとだったんだ……」
「……瀬名」
「椿ジロウ……あんな大物からスカウトされるなんて。すごい、先輩」
「スカウトっていうか、まだオーディションの話が来ただけだし」
「……は? なに言ってるんですか?」
「は?」

 なんでにらまれるんだ。驚いている俺を見下ろし、瀬名は言う。
 いつもと同じ低体温の声で。

「受からなくちゃダメですよ。あんたはきっと、演劇から逃げられない側の人間なんだ」


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 そして数日後――

 脚本の一部のコピーが俺の家に届いた。オーディションではこの部分をやるという。
 椿ジロウが手がけた、まだ世に出ていない脚本。B5用紙六枚に渡るシーンを俺は自分の部屋で何度も何度も何度も何度も読みかえし、

「え……俺、これやるの……?」

 与えられた役の難しさに気づき、愕然としたのだった。




「……で、そんな泣きそうな顔してるわけですか」
「そうだよ。どうせ俺は情けない先輩だよ。好きなだけ笑えよ」
脚本(ホン)、俺が見ても?」

 添えられていた手紙には絶対だれにも見せるな見せたらオーディションの話はなくなるぞと書かれていた。
 いけないことだとわかっている。でも瀬名にだけは相談したくて――彼のことを頼りたくて、俺はコピーを鞄から取りだして渡した。

 瀬名は非常階段の踊り場の壁によりかかり、鋭い目つきで文章を追っていく。

 登場人物はふたり。(リュウ)星宇(シンユー)という中国マフィアの少年を俺が演じる。
 渡されたシーンにはもうひとり男がでてきて、添えられていた注釈によると、山本(やまもと)伸一(しんいち)というその冴えない日本人の中年リーマンは仕事をしくじって組織に殺されかけた星宇を自宅に運びこんで治療したそうだ。
 
 行き場のない星宇をかくまって一緒に生活するうち、山本は星宇に恋をしてしまう。星宇も献身的に彼を介抱する山本に惹かれるが、自分が生きていると知られれば山本にも危害が及ぶと別れを切りだす。
 だが山本はあきらめず、星宇を連れて逃げだす。しかし組織に感づかれてしまい、星宇は山本を守るために自ら組織のもとへもどってゆく。

 山本が追ってこられないよう気絶させて、気を失いかけている彼に最期のキスをしたあとで――。

 俺がオーディションでやるのはこのラストシーンだった。

「……王道パターンではありますが、すごい筆致ですね。役者の力が追いついてないとセリフが浮いて悲惨なことになります」
「俺が泣きそうな理由わかってくれた?」
「なんか……でも、嫉妬しそうです」

 嫉妬? と隅でいじけ座りしていた俺は首をかしげる。

「この星宇って少年、すごい美人なのがわかるじゃないですか。はっきり言葉にはなってないけど。その役を先輩にやってほしいって椿ジロウが思ったってことは、あのひとにも先輩が超絶美人に見えたってことで……、…………」
「……え、そこで黙るなよ」
「椿ジロウが目のまえにいたら一発殴ってしまいそうです」
「過激派厄介ファンだ!」

「で」と瀬名は脚本のコピーをきっちりそろえてから俺に返す。先輩はなんでそこまで難しい顔してるんですか、と。

「え……いや……わかるじゃん……?」
「ちゃんと言語化してください」

 俺はコンクリートの床をじっと見下ろす。
 
「……俺、きれい?」
「どこの都市伝説ですか」
「こんな……こんな中年リーマンをとりこにするような役無理だって。女子でも難しいのに男じゃん。男でも惚れるようなあやうげで儚くてきれいな少年役とか、俺、できない……優しく殺してほしい……」
「ナユ先輩はあやうげで儚くてきれいですよ。黙ってればですけど。先輩は自分の顔見慣れてるからわからないだけです」
「マフィアに育てられて裏切って半殺しにされた経験なんてない……」
「ある人間のほうがすくないですよ。でもやらなきゃいけないんです。役者なら」
「冴えないおっさんと不思議な共同生活を送ったこともない……」
「だからある人間のほうがすくないですって」
「男にキスしたいって思ったこともない……」
「それは……まあ、趣味によるでしょうけど……」

 もうむり、と俺は小さく叫んだ。「やっぱオーディションの話は断ろう。椿ジロウの舞台なんて俺には絶対むり。恥かくまえに辞退する」

「ナユ先輩――」
「もうこのまま消えたい……!」
「しっかりしてください。こんなチャンス断ったら二度とやってきませんよ」

 瀬名は俺の隣にしゃがみこむと俺の背中に手のひらをあてた。

「大丈夫です。あんたには俺がついてます」

 俺は喉の奥から飛びだしそうになった弱音を呑みこむ。

 いつもそうだ。本番前、俺がステージ横で自信をなくしているといつも瀬名がこうして励ましてくれた。そのたびに俺は自分はすごい役者なんだ、なんでもできるんだという魔法をかけられた。
 魔法としか呼べないくらい、自然に。確実に。絶対的に。

「まずは……役作りですね。チャイニーズマフィアがでてくる映画リストアップしておきます。サブスクにあるものを片っ端から観ましょう」
「……はい」
「駅で冴えないリーマンの観察もしましょう。向こうに失礼にならない程度に」
「はい」
「毎日脚本の読み合わせもしましょう。ここで。いいですね?」
「……相手役になってくれんの?」
「あたりまえです。むしろ、ほかのやつにさせたら許しませんから」

 ありがと、と俺は零すように言った。そして手に持っているコピーを見下ろす。

「じゃあ、さっそく……」

 自分のセリフはもう頭に入っているので、「山本役頼む」とそれを瀬名に渡す。瀬名がうなずくのを見て俺はあわてて言った。

「――あ、もちろんキスはなしでいいから!」
「はい?」
「最後の。あたりまえだけど」
「…………」

 瀬名はコピーを手にしたまま俺を見つめる。
 え、なんか変なこと言ったかな。

「するに決まってるじゃないですか」
「え?」
「先輩の演劇にかける情熱ってその程度なんですか。脚本にキスってあったらキスするんですよ。それが男同士でも。親の仇でも。……ほら」
「ちょ、――」 

 逃げるひまもなかった。瀬名の顔が近づいてきたかと思うとキスされた。
 あっけなく。それが、当然みたいに。

「……最後の、男にキスしたい気持ちがわからないってやつですけど」

 ぽかんとしている俺をよそに瀬名は言う。

「俺が変えてみせます。ナユ先輩の気持ち。
 先輩が俺にキスしたいって思うようになるまで、これから毎日キスしますから」


 こうして――。
 二週間後のオーディションに向けた特訓。そして、恋人でもなんでもない後輩とキスする日々がはじまったのだった。