四国転生〜459通のお祈りメールから、旅館若旦那の偽恋人になりました〜

「美咲さん。本当に無理をしなくても」
「大丈夫です。さっきはちょっとだけびっくりしただけです」

会場へ入ってからも、亮平さんは何度も私を気遣ってくれた。
元カノさんと共通の知り合いが来ても、誰かに声をかけられても、亮平さんはずっと私のそばにいてくれる。
そのたびに、私を『恋人』として紹介する。

私は否定せず、笑って挨拶をする。

「瀬川美咲です」
「亮平さんには、いつもお世話になっています」

口にするたび、気持ちが落ち着かなくなる。
これはフリなんだから。
恋人役なんだから。
わかっているはずなのに、亮平さんが自然に私の腰の少し後ろへ手を添えるたび、どうしても意識してしまう。

「そういや、向こうに教授、来てるぞ」
「え?本当に?」

亮平さんの表情が変わった。
話していた恩師の方だろうか。
さすがに、先生には亮平さんの方から挨拶に行くべきな気がする。

「亮平さん。私は大丈夫なので、ご挨拶に行ってください」
「……美咲さんも一緒に」
「いえ、積もる話もあると思うので、ここで待ってます」
「ですが」
「大丈夫です。本当に」

そう言って笑うと、亮平さんはまだ少し迷っているようだった。
けれど、声をかけてきた男性に促され、申し訳なさそうに頭を下げる。

「では、少しだけ……すぐ戻ります」
「大丈夫なので、ゆっくりお話ししてきてください」

亮平さんが移動していく背中を見送る。

一緒にいる間、予想していた通り、周りの女性からの視線はすごかった。
亮平さんを見ては、色めき立つような声があちこちから聞こえる。
私がいなかったら、今頃取り囲まれていたんじゃないだろうか。

「よかったん?ほら、若旦那を追いかけてる子、いるけんねぇ」
「いいの。束縛するような立場じゃないし」
「素直じゃないけんねぇ」

素直じゃない。
素直になんて、どうやったらなれるのだろう。
そもそも、今の私は何に対して素直になれていないのか。

亮平さんに行ってほしくなかったこと?
他の女性に囲まれてほしくないこと?
それとも、恋人役という言葉に隠れて、本当は別のものを期待していること?

考えたくなくて、私は手にしたグラスの水を一口飲んだ。
その時だった。

「美咲」

名前を呼ばれて振り向く。
誰かなんて、見なくてもわかる。
この場で私を呼び捨てにするのなんて、一人だけだ。

「……何?」
「少し話せない?」
「話すことはありません」
「そんな固いこと言うなよ。久しぶりなんだし」
「新婦さんが待っていますよ」
「そんなのいいからさ、二次会の後、抜け出そうぜ」

は?
聞き間違いだと思った。
いや、思いたかった。

今は、この人の結婚式の二次会だ。
その場で、元婚約者だった私に。
しかも、式の主役である新婦がすぐ近くにいるこの場所で。

「いやさ、さっきはあんな言い方したけどさ。美咲の方が美人だなって」
「見比べると、やっぱ東京の子の方が垢抜けてるよな」
「莉子って、見た目まんま、キツいんだよな」
「その癖、家だとだらしないし、金遣い荒いし」
「仕事も辞めたっきり、次を探してもいないんだよな〜」

言葉が出てこない。
彼は酔っぱらっているのか、気が大きくなっているのか、奥さんの愚痴を止めない。
新郎の白いタキシードを着たまま、花嫁の悪口を、よりによって元婚約者の私にこぼしている。

意味がわからない。
気持ち悪い。
嫌悪感しかない。
その場から一歩下がりたいのに、足がうまく動かない。

「すり身……!すり身にしてやりたいんよ!!」
「わかるけど、黙ってっ……!」
「じゃこ天に加工するけんねぇ!」
「今それ以上言うと、私が変な人になるから!」

私が黙っていることを、勝手に肯定だと思い込んだのか、淳一はさらに近寄ってきた。

「どうせ、あいつだってお前とは遊びだろ?」
「っ!?」

腰に回された手に、一気に鳥肌が立つ。

「ちょっと、やめてよ」
「SNSも見たけど、『愛媛の元カノ』だっけ?マジウケる。俺の元カノなのにな」

その言葉に、顔が一気に熱くなるのがわかった。

馬鹿にされた。
私が一生懸命やっていることを。
愛媛で、悩んで、撮って、食べて、言葉にして、ようやく届くようになってきた仕事を。

ああ、彼はずっとそうなんだ。

だから、私が彼のために仕事を辞めたことにも何も思わなかった。
私がどれだけ不安だったかも、落ち着いたら働こうと、岡山での仕事だって調べていた。
婚約破棄をした後も、どれだけ必死に転職先を探していたかも、きっと考えたことがない。

私の頑張りは、彼にとっていつも、少し笑って流せる程度のものだった。
本当に、どこが好きだったんだろう。
一度は耐えられたはずなのに、視界が揺れる。

「その手を放してもらえますか」

低い声がした。

「あれ〜?莉子の元カレじゃん〜」
「亮平さんにまでやめてよ……」
「まあまあ、あんたも莉子の性格にうんざりして、癒し系な美咲に癒されたかっただけだろ?」

淳一はそう言いながら、亮平さんの肩に腕をかけようとする。

「俺と美咲は一年以上付き合ったわけよ。おたくは?どれくらい?」
「それ、関係ありますか?」

亮平さんが淳一の腕を静かに払った。

「一年だろうが、二年だろうが、付き合った時間は関係ありません」

私と淳一の間に立ち、庇うように亮平さんが言い放つ。

「彼女は僕の婚約者ですから」

婚約者?
その言葉に、全身が固まった。
誰が誰の……?

「おぉ、昇進やけんねぇ」
「黙ってっ!」

亮平さんの背中越しに、淳一の表情しか見えない。
亮平さんは、なんでそんな嘘を。
なんでかなんて、そんなのわかっている。

きっと、私を助けるためだ。
でも、婚約者という言葉は、恋人役よりずっと重い。
フリだとわかっているのに、胸の奥が大きく揺れてしまう。

「婚約者?聞いてないんだけど」

振り向くと、新婦の莉子さんが立っていた。
なんで。
こんな最悪のタイミングで。

「あなたに報告することではありませんので」
「昔は、何でも話してくれたのに」
「おい莉子。昔って何だよ。まだこいつに未練があるのかよ?」
「あなたこそ、さっきからチラチラチラチラ元婚約者ばかり見てるじゃない」
「そっちだって、こいつが来てからずっと様子おかしいだろ!?」

淳一の声が、会場のざわめきの中で嫌なほど響いた。
近くにいた招待客たちが、一斉にこちらを見る。

笑い声とグラスの音。
遠くで流れる軽い音楽。
それらが、急に薄く遠ざかる。

「やめなよ、淳一。ここ、あなたたちの二次会でしょ」
「美咲は黙ってろよ。これは俺たち夫婦の問題だから」

夫婦。
さっきまで二次会の後に抜け出そうぜなんて言っていた口で、よくそんな言葉が出る。

「その夫婦の問題に、私を巻き込まないで」
「巻き込んでないだろ。俺はただ、久しぶりに会った元カノに声かけただけで」
「腰に手を回して?」

亮平さんの声に、淳一は言葉に詰まる。

「いや、だから、それは酔ってただけで」
「酔っていたら許されると思っているんですか」
「固いな、あんた。二次会だぞ?場を盛り上げようとしただけだって」

場を盛り上げる。
あまりの言い草に、頭の奥がすっと冷えた。

私の腰に手を回すことが。
元婚約者をからかうことが。
今の奥さんの悪口を言うことが。
彼にとっては、場を盛り上げるための冗談だなんて。