香水の紙袋を大事に抱えたまま車に戻る。
小さな瓶が入っているだけなのに、無駄に意識してしまう。
『個人的な贈り物です』
亮平さんの声が、頭の中で何度も再生される。
個人的な。
贈り物。
いや、違う。
深い意味はない。
亮平さんが言っていた通り、話の流れで約束したから。
初めてしまなみ海道に来た、私の思い出のために。
そう思おうとすればするほど、紙袋の存在感が増していく。
膝の上に置いているだけなのに、そこだけやけに熱を持っているみたいだった。
「美咲ちゃん、紙袋に穴あくんよ」
肩の上で、いよぴよさんが言った。
「うるさい」
「ずっと見とるけんねぇ」
「瓶詰めにされたいの?」
「広報神のアロマ漬けは売れんのよ」
「売る気はない」
そんなやり取りをしていると、運転席に乗り込んだ亮平さんが口元を緩めた。
「次は、少し甘いものでもいかがですか」
「甘いもの」
反応が早すぎた自覚はある。
でも、仕方ない。
今日は朝から移動して、橋を渡って、展望台を歩いて、神社を参拝して、香水まで作ったのだ。
胃袋には、まだ働いてもらう必要がある。
「大三島に、塩ソフトが食べられる場所があります」
「塩ソフト」
言葉だけで、すでに美味しそう。
「しょっぱいんですか?甘いんですか?」
「どちらも、ですね」
「それはもう、確認するしかないですね」
「取材ですね」
「もちろんです」
車は少し走って、工場の見学施設がある場所へ向かう。
敷地に着くと、まず目に入ったのは、白と青を基調にしたすっきりした建物。
いかにも観光地の派手な施設というより、まじめに作っている場所へお邪魔する感じがする。
「塩って、海から作るんですよね」
「はい。ここでは塩づくりの工程も見られます」
「塩づくり……」
考えてみれば、塩はいつも台所にある。
コンビニのおにぎりにも、この前食べた焼き鳥にもスイーツにも、たぶん入っている。
なのに、どうやって作られているかなんて、ちゃんと考えたことがなかった。
「こういうのも、広報に入れていいんですかね」
「もちろんです。食べ物の背景を知るのも、大事な取材だと思います」
食べるだけじゃない。
美味しいの奥にあるものを見る。
それも、仕事。
……と、真面目に考えたのは本当だ。
本当なのに、見学コーナーを一通り見たあと、売店の前で私は完全に足を止めた。
「塩ソフト……」
白いソフトクリームの写真が、看板に大きく載っている。
シンプルなのに、妙に魅力的。
つやっとした白い巻きの上に、パラリと振られた塩。
暑い日に見たら逆らえないやつ。
「食べ——」
「食べます!」
「食い気味ですね」
「ここで迷う人、いるんですか?絶対いませんよ!?」
亮平さんが笑う。
その笑い方が、今日一日でだいぶやわらかくなった気がして、なんだか嬉しくなってしまう。
店員さんから受け取った塩ソフトは、思っていたよりずっときれいで。
ミルクの白さなのに、ただ甘そうなだけじゃない。
上に振られた塩の粒が光っていて、なんだか宝石みたいに見える。
「まず写真を」
ソフトクリームを片手に、溶ける前に、と慌ててスマホを構える。
青い空を背景に一枚。
看板を入れて一枚。
手元だけで一枚。
亮平さんの持っている分も並べて一枚。
「二つ並べると、ペア感ありますね」
言ってから、また口を押さえた。
今日の私は、どうしてこう余計なことを言うのか。
香水の時もそうだった。
ペアとか、並べるとか、そういう単語に自分から突っ込んでいくのをやめたらいいのに。
亮平さんは何事もなかったように、二つのソフトクリームを少し近づけてくれる。
「こんな感じですか?」
「はい……すごく、よいと思います」
めちゃくちゃよい写真。
けれど、朝からずっと、亮平さんの距離が近い。
このソフトクリームの距離感どころの騒ぎじゃない。
いや、たぶん私の意識が近いだけなのかもしれない。
「溶けますよ」
「食べます!」
慌てて、私は塩ソフトをひと口食べる。
「……!」
最初に来るのは、ミルクの甘さ。
やわらかくて、冷たくて、舌の上ですっと溶ける。
でも、そのあとでほんの少しだけ塩が来る。
しょっぱい、というほどではない。
甘さの輪郭を、きゅっと締めるくらいの塩気。
甘いのに、後味がだれなくて、すぐにもう一口欲しくなる。
「甘いのに、塩で次の一口に誘導してきます」
「誘導」
「終わらない仕組みです。これは永久機関!?」
もう一口食べる。
暑さで少し溶けたところが、また美味しい。
冷たいミルクの甘さが、口の中でふわっとほどけて、そこに塩が追いかけてくる。
「塩って、主役にもなれるんですね」
「普段は料理を支えるものですが、こうして前に出ると印象が変わりますね」
私は片手でソフトクリームを持ったまま、スマホのメモを開いた。
塩ソフト。
甘いだけじゃなくて、塩が後味をきゅっと締める。
縁の下の力持ちが、今日は主役。
暑い日のしまなみドライブにぴったり。
「……いいかも」
小さく呟くと、亮平さんがこちらを見ていた。
「何ですか?」
「いえ。楽しそうだなと思いまして」
「食べてる時はだいたい楽しいです」
「知っています」
「知ってるんですか」
「はい。ずっと見てきているので」
そう言われると、なぜか少し恥ずかしい。
一か月以上一緒に取材して、何度も食べるところを見られている。
今さらなのに、知っています、と言われると、私の中の食いしん坊部分を丁寧に覚えられているみたいで落ち着かない。
照れ隠しにソフトクリームを食べ進めていると、いよぴよさんが肩から身を乗り出した。
「ワシにもひと口」
「食べられるの?」
「広報神やけんねぇ」
「落ちるからやめなさい」
「一口なんよ」
仕方なく、私はソフトクリームを近づけた。
いよぴよさんが、ちょん、と先端をつつく。
「しょっぱあまいんよ!」
思ったより大きな声で叫んだ。
「声が大きい!」
「これはよい塩梅なんよ!伯方の塩、できる子なんよ」
「上から目線やめなさい」
ソフトクリームが少し溶けて、手に垂れそうになる。
「わわっ、危ない」
慌てて舐めると、ふいに亮平さんの指先が頬をかすめた。
「ここにも、ついてますよ」
「っ!?あ、ありがとうございます」
ほんの少し。
それだけなのに、髪の毛に触れられたことや、恋人繋ぎを思い出してしまう。
耳元に落ちた言葉。
髪の毛をなぞる仕草。
勢いで繋いだ手を離そうとしたのに、離してくれなかった指。
展望台までの道で、当たり前みたいに繋がれた手。
危ない。
塩ソフトより危ない。
「美咲さん?」
「な、何でもありません」
「ソフトクリーム、溶けています」
「食べます」
私は勢いよくソフトクリームを口に入れた。
冷たさで頭がはっきりするけれど、胸の中の熱はなかなか引いてくれない。
亮平さんは自分のソフトクリームをゆっくり食べながら、空を見上げる。
「今日は、よく晴れてよかったですね」
「はい。写真もきれいに撮れました」
「では、今日の取材は成功でしょうか」
「……まだ帰ってないので、総合評価は帰り道次第です」
「では、最後まで気を抜けませんね」
その言い方があまりに自然で、胸がきゅっとした。
この人は、どこへ行っても案内役みたいに私の少し前を歩く。
でも、置いていくわけではない。
振り返って、ちゃんと私の歩幅を見てくれる。
疲れていないか、楽しめているか、困っていないか。
何も言わなくても、見ていてくれる。
だから私は、また次の景色を見に行きたくなる。
「……亮平さん」
「はい」
「連れてきてくれて、ありがとうございます」
言ってから、急に恥ずかしくなる。
亮平さんは目を見開いて、それから穏やかに笑う。
「こちらこそ。楽しんでいただけて、よかったです」
なんでこんな素敵な人に、恋人がいないんだろう。
好きな人がいたら、きっと私に恋人のフリなんて頼むわけがない。
聞いてみたいのに、聞けない。
聞いてしまったら、色々な自分の気持ちにも向き合わないといけなくなってしまう。
向き合おうと思うたびに、去年の淳一のことを思い出してしまう。
淳一と亮平さんは別の人だって、ちゃんとわかっているのに。
亮平さんが私を傷つけたわけではないことも、ちゃんとわかっているのに。
それでも、まだ怖いが勝ってしまう。
誰かを好きになって、また見えないところで裏切られていたら。
自分だけが本気になって、相手にとっては都合のいい何かだったら。
そう考えるだけで、胸の奥が冷える。
恋人のフリ。
虫除け契約。
取材の同行。
名前のついている関係に安心したい自分がいる。
そこから出ない限り、傷つかずに済むから。
本当はもう、だいぶ出てしまっている気もするけれど。
最後のひと口を食べた。
甘くて、しょっぱい。
今日の私の気持ちに似ている気がした。
空になったカップを見つめて、スマホのメモに一行だけ付け足す。
甘さを引き立てる塩みたいに、しまなみの旅は、楽しいだけじゃない記憶まで少し優しくしてくれる。
打ってから、冷静になると恥ずかしくなって画面を閉じた。
まだ投稿に使うかはわからない。
でも、その言葉は今の私にしか書けない気がした。
小さな瓶が入っているだけなのに、無駄に意識してしまう。
『個人的な贈り物です』
亮平さんの声が、頭の中で何度も再生される。
個人的な。
贈り物。
いや、違う。
深い意味はない。
亮平さんが言っていた通り、話の流れで約束したから。
初めてしまなみ海道に来た、私の思い出のために。
そう思おうとすればするほど、紙袋の存在感が増していく。
膝の上に置いているだけなのに、そこだけやけに熱を持っているみたいだった。
「美咲ちゃん、紙袋に穴あくんよ」
肩の上で、いよぴよさんが言った。
「うるさい」
「ずっと見とるけんねぇ」
「瓶詰めにされたいの?」
「広報神のアロマ漬けは売れんのよ」
「売る気はない」
そんなやり取りをしていると、運転席に乗り込んだ亮平さんが口元を緩めた。
「次は、少し甘いものでもいかがですか」
「甘いもの」
反応が早すぎた自覚はある。
でも、仕方ない。
今日は朝から移動して、橋を渡って、展望台を歩いて、神社を参拝して、香水まで作ったのだ。
胃袋には、まだ働いてもらう必要がある。
「大三島に、塩ソフトが食べられる場所があります」
「塩ソフト」
言葉だけで、すでに美味しそう。
「しょっぱいんですか?甘いんですか?」
「どちらも、ですね」
「それはもう、確認するしかないですね」
「取材ですね」
「もちろんです」
車は少し走って、工場の見学施設がある場所へ向かう。
敷地に着くと、まず目に入ったのは、白と青を基調にしたすっきりした建物。
いかにも観光地の派手な施設というより、まじめに作っている場所へお邪魔する感じがする。
「塩って、海から作るんですよね」
「はい。ここでは塩づくりの工程も見られます」
「塩づくり……」
考えてみれば、塩はいつも台所にある。
コンビニのおにぎりにも、この前食べた焼き鳥にもスイーツにも、たぶん入っている。
なのに、どうやって作られているかなんて、ちゃんと考えたことがなかった。
「こういうのも、広報に入れていいんですかね」
「もちろんです。食べ物の背景を知るのも、大事な取材だと思います」
食べるだけじゃない。
美味しいの奥にあるものを見る。
それも、仕事。
……と、真面目に考えたのは本当だ。
本当なのに、見学コーナーを一通り見たあと、売店の前で私は完全に足を止めた。
「塩ソフト……」
白いソフトクリームの写真が、看板に大きく載っている。
シンプルなのに、妙に魅力的。
つやっとした白い巻きの上に、パラリと振られた塩。
暑い日に見たら逆らえないやつ。
「食べ——」
「食べます!」
「食い気味ですね」
「ここで迷う人、いるんですか?絶対いませんよ!?」
亮平さんが笑う。
その笑い方が、今日一日でだいぶやわらかくなった気がして、なんだか嬉しくなってしまう。
店員さんから受け取った塩ソフトは、思っていたよりずっときれいで。
ミルクの白さなのに、ただ甘そうなだけじゃない。
上に振られた塩の粒が光っていて、なんだか宝石みたいに見える。
「まず写真を」
ソフトクリームを片手に、溶ける前に、と慌ててスマホを構える。
青い空を背景に一枚。
看板を入れて一枚。
手元だけで一枚。
亮平さんの持っている分も並べて一枚。
「二つ並べると、ペア感ありますね」
言ってから、また口を押さえた。
今日の私は、どうしてこう余計なことを言うのか。
香水の時もそうだった。
ペアとか、並べるとか、そういう単語に自分から突っ込んでいくのをやめたらいいのに。
亮平さんは何事もなかったように、二つのソフトクリームを少し近づけてくれる。
「こんな感じですか?」
「はい……すごく、よいと思います」
めちゃくちゃよい写真。
けれど、朝からずっと、亮平さんの距離が近い。
このソフトクリームの距離感どころの騒ぎじゃない。
いや、たぶん私の意識が近いだけなのかもしれない。
「溶けますよ」
「食べます!」
慌てて、私は塩ソフトをひと口食べる。
「……!」
最初に来るのは、ミルクの甘さ。
やわらかくて、冷たくて、舌の上ですっと溶ける。
でも、そのあとでほんの少しだけ塩が来る。
しょっぱい、というほどではない。
甘さの輪郭を、きゅっと締めるくらいの塩気。
甘いのに、後味がだれなくて、すぐにもう一口欲しくなる。
「甘いのに、塩で次の一口に誘導してきます」
「誘導」
「終わらない仕組みです。これは永久機関!?」
もう一口食べる。
暑さで少し溶けたところが、また美味しい。
冷たいミルクの甘さが、口の中でふわっとほどけて、そこに塩が追いかけてくる。
「塩って、主役にもなれるんですね」
「普段は料理を支えるものですが、こうして前に出ると印象が変わりますね」
私は片手でソフトクリームを持ったまま、スマホのメモを開いた。
塩ソフト。
甘いだけじゃなくて、塩が後味をきゅっと締める。
縁の下の力持ちが、今日は主役。
暑い日のしまなみドライブにぴったり。
「……いいかも」
小さく呟くと、亮平さんがこちらを見ていた。
「何ですか?」
「いえ。楽しそうだなと思いまして」
「食べてる時はだいたい楽しいです」
「知っています」
「知ってるんですか」
「はい。ずっと見てきているので」
そう言われると、なぜか少し恥ずかしい。
一か月以上一緒に取材して、何度も食べるところを見られている。
今さらなのに、知っています、と言われると、私の中の食いしん坊部分を丁寧に覚えられているみたいで落ち着かない。
照れ隠しにソフトクリームを食べ進めていると、いよぴよさんが肩から身を乗り出した。
「ワシにもひと口」
「食べられるの?」
「広報神やけんねぇ」
「落ちるからやめなさい」
「一口なんよ」
仕方なく、私はソフトクリームを近づけた。
いよぴよさんが、ちょん、と先端をつつく。
「しょっぱあまいんよ!」
思ったより大きな声で叫んだ。
「声が大きい!」
「これはよい塩梅なんよ!伯方の塩、できる子なんよ」
「上から目線やめなさい」
ソフトクリームが少し溶けて、手に垂れそうになる。
「わわっ、危ない」
慌てて舐めると、ふいに亮平さんの指先が頬をかすめた。
「ここにも、ついてますよ」
「っ!?あ、ありがとうございます」
ほんの少し。
それだけなのに、髪の毛に触れられたことや、恋人繋ぎを思い出してしまう。
耳元に落ちた言葉。
髪の毛をなぞる仕草。
勢いで繋いだ手を離そうとしたのに、離してくれなかった指。
展望台までの道で、当たり前みたいに繋がれた手。
危ない。
塩ソフトより危ない。
「美咲さん?」
「な、何でもありません」
「ソフトクリーム、溶けています」
「食べます」
私は勢いよくソフトクリームを口に入れた。
冷たさで頭がはっきりするけれど、胸の中の熱はなかなか引いてくれない。
亮平さんは自分のソフトクリームをゆっくり食べながら、空を見上げる。
「今日は、よく晴れてよかったですね」
「はい。写真もきれいに撮れました」
「では、今日の取材は成功でしょうか」
「……まだ帰ってないので、総合評価は帰り道次第です」
「では、最後まで気を抜けませんね」
その言い方があまりに自然で、胸がきゅっとした。
この人は、どこへ行っても案内役みたいに私の少し前を歩く。
でも、置いていくわけではない。
振り返って、ちゃんと私の歩幅を見てくれる。
疲れていないか、楽しめているか、困っていないか。
何も言わなくても、見ていてくれる。
だから私は、また次の景色を見に行きたくなる。
「……亮平さん」
「はい」
「連れてきてくれて、ありがとうございます」
言ってから、急に恥ずかしくなる。
亮平さんは目を見開いて、それから穏やかに笑う。
「こちらこそ。楽しんでいただけて、よかったです」
なんでこんな素敵な人に、恋人がいないんだろう。
好きな人がいたら、きっと私に恋人のフリなんて頼むわけがない。
聞いてみたいのに、聞けない。
聞いてしまったら、色々な自分の気持ちにも向き合わないといけなくなってしまう。
向き合おうと思うたびに、去年の淳一のことを思い出してしまう。
淳一と亮平さんは別の人だって、ちゃんとわかっているのに。
亮平さんが私を傷つけたわけではないことも、ちゃんとわかっているのに。
それでも、まだ怖いが勝ってしまう。
誰かを好きになって、また見えないところで裏切られていたら。
自分だけが本気になって、相手にとっては都合のいい何かだったら。
そう考えるだけで、胸の奥が冷える。
恋人のフリ。
虫除け契約。
取材の同行。
名前のついている関係に安心したい自分がいる。
そこから出ない限り、傷つかずに済むから。
本当はもう、だいぶ出てしまっている気もするけれど。
最後のひと口を食べた。
甘くて、しょっぱい。
今日の私の気持ちに似ている気がした。
空になったカップを見つめて、スマホのメモに一行だけ付け足す。
甘さを引き立てる塩みたいに、しまなみの旅は、楽しいだけじゃない記憶まで少し優しくしてくれる。
打ってから、冷静になると恥ずかしくなって画面を閉じた。
まだ投稿に使うかはわからない。
でも、その言葉は今の私にしか書けない気がした。



