入学から半年が過ぎた頃、カロリーナの嫌がらせが本格化した。
といっても、ゲーム本編ほど露骨でも激烈でもない。
私が以前からカロリーナと会話を重ねてきたおかげか、彼女の行動にはどこか迷いがある。
踏み込む直前で、足が止まる。視線が泳ぐ。言葉が遅れる。
それでも——セリアへの牽制は、確実に続いていた。
最初の嫌がらせは『セリアの課題提出物が消える』というものだった。
提出しようとしたレポートが、教師の机に届く前になくなる。
学院の規則では、期日に提出できなかった場合は減点。
点数は、そのまま評判にも繋がる。地味だけど効く、嫌がらせだ。
このパターンは知っている。
私はセリアのレポートを事前にもう一部作成しておき、『念のため控えを保管していた』という形で提出した。
提出するときの教師の視線が、少しだけ驚いたのが分かった。
「なんで控えを作ってたの?」
「なんとなく」
セリアに聞かれて、私は笑って誤魔化した。
——たぶん、セリアも薄々察しているけれど、深追いしない。優しい子だから。
次に来たのは『飲み物への細工』だった。
食堂でセリアに差し出された紅茶に、微量の眠気を誘う薬草が入っていた。
甘い香りの下に、ほんの少しだけ青臭い匂い。
気づくか気づかないか、ぎりぎりの分量だ。
私はセリアが口をつける前に、さりげなくカップに手を伸ばした。
「あ、ごめん。私のと間違えた」
「え?」
「ほら、同じ色だし。……こっちがセリアのだよ」
笑って入れ替える。
心臓は騒いでいるのに、顔だけは平然としていなければならない。
こういう時、私は自分が『慣れてしまっている』のが少し怖い。
(前世で乙女ゲームのイベント全部把握してるのが、こういう時に役立つとは……)
複雑な気持ちになりながらも、私は淡々と嫌がらせを回避し続けた。
芽のうちに摘む。摘んで、何事もなかったように戻す。
それが一番、相手を苛つかせる。……たぶん。
しかしある日、ついにしびれを切らしたのか、私が気づくよりも早くカロリーナが動いた。
放課後の渡り廊下で、セリアがカロリーナと取り巻きに囲まれていた。
雨上がりの床が微かに光っていて、逃げ道が狭い。
私は少し離れたところにいたが、状況を見た瞬間、駆けた。
「何をしているんですか」
「あら、マリアンナ。邪魔しないで。セリア嬢とお話があるだけよ」
声は穏やか。けれど目が笑っていない。
取り巻きの子たちも口元だけ笑っていて、足だけはきっちりセリアの前を塞いでいる。
「お話なら、私も同席させてください」
「必要ないわ」
「でも、セリアの姉として——」
「マリアンナ」
カロリーナが、私に向き直った。
取り巻きの視線が、一斉に私へ移る。空気が張る。
「あなた、本当に頭がいいのね。いつも先手を打ってくる。今回も、わかって来たんでしょう?」
「……何がですか?」
「とぼけなくてもいいわ。あなたはいつも、セリアに何かある前に動く。偶然じゃない」
鋭い。
私はカロリーナの目を見返した。彼女は、ただ意地悪なだけじゃない。
観察して、組み立てて、疑っている。
「カロリーナ様。少し二人でお話できますか?」
「……また、そうやって話を逸らすつもり?」
「逸らすのではなく、正面から話したいだけです」
カロリーナはしばらく無言だったけど、やがて小さく顎を上げ、取り巻きに合図をする。
「——あなたたち、先に行って」
「でも……」
「いいから」
取り巻きが渋々離れ、廊下の空気が少しだけ軽くなる。
セリアは私の後ろに半歩下がり、袖をぎゅっと掴んだ。
大丈夫、ここからは私が受ける。
「なに?」
「カロリーナ様は今、クロード殿下とセリアが近づくことを恐れている。それは理解しています。でも——」
私は、逃げずに言った。
「カロリーナ様がセリアに嫌がらせをするたびに、殿下はカロリーナ様への評価を下げます。殿下は公正さを重んじる方だから」
「……」
「カロリーナ様が殿下に選ばれたいなら、セリアを排除することより、自分自身を磨くことのほうが近道ではないでしょうか」
カロリーナの目が揺れた。
怒りじゃない。悔しさと、諦めたくない気持ちの揺れだ。
「……殿下は最終的に、聖女を選ぶでしょう。国のために、強大な力を持つ聖女を王妃に迎えることが最善だと判断する方だから。それはわかってるわ」
「では、なぜ——」
「わかってても、諦めたくないの……それが私の弱さよ。笑えば?」
「笑いません」
「なぜ」
「誰かを諦めたくないという気持ちは、笑えるものではないから」
カロリーナはしばらく無言で、唇を噛んだ。
その横顔が、ほんの一瞬だけ年相応に見えた。
「……あなた、本当に変ね」
「よく言われます」
「でも——今日は引くわ」
言い切ってから、カロリーナは少しだけ声を落とした。
「その代わり、一つ聞いていい?」
「何でしょう?」
「あなたは、クロード殿下のことが好き?」
「……なぜそう思うんですか?」
「殿下があなたを見る時の目が変わったから。三ヶ月前から、明らかに変わってる」
胸が、変な鳴り方をした。
カロリーナは淡々と言う。淡々としているのに、刺さる。
「そして、あなたが殿下と話す時に目を逸らすのは——恥ずかしいから?」
(この人、観察眼が鋭すぎる……!)
「私は、セリアのためにここにいます。それだけです」
「……そう。まあいいわ」
カロリーナはそれ以上追及せず、踵を返した。
ドレスの裾が廊下をさらりと撫でて、香が一筋残る。
戻ってきたセリアが、私の顔を覗き込む。
「何を話してたの?」
「色々。でも大丈夫だよ」
「……マリアンナ、今日もなんか変な顔してる」
「してない!!」
セリアがくすくす笑った。
悔しいのに、ほっとして、でも胸の奥がまだざわざわして——私は一度、大きく息を吸って気持ちを整えた。
といっても、ゲーム本編ほど露骨でも激烈でもない。
私が以前からカロリーナと会話を重ねてきたおかげか、彼女の行動にはどこか迷いがある。
踏み込む直前で、足が止まる。視線が泳ぐ。言葉が遅れる。
それでも——セリアへの牽制は、確実に続いていた。
最初の嫌がらせは『セリアの課題提出物が消える』というものだった。
提出しようとしたレポートが、教師の机に届く前になくなる。
学院の規則では、期日に提出できなかった場合は減点。
点数は、そのまま評判にも繋がる。地味だけど効く、嫌がらせだ。
このパターンは知っている。
私はセリアのレポートを事前にもう一部作成しておき、『念のため控えを保管していた』という形で提出した。
提出するときの教師の視線が、少しだけ驚いたのが分かった。
「なんで控えを作ってたの?」
「なんとなく」
セリアに聞かれて、私は笑って誤魔化した。
——たぶん、セリアも薄々察しているけれど、深追いしない。優しい子だから。
次に来たのは『飲み物への細工』だった。
食堂でセリアに差し出された紅茶に、微量の眠気を誘う薬草が入っていた。
甘い香りの下に、ほんの少しだけ青臭い匂い。
気づくか気づかないか、ぎりぎりの分量だ。
私はセリアが口をつける前に、さりげなくカップに手を伸ばした。
「あ、ごめん。私のと間違えた」
「え?」
「ほら、同じ色だし。……こっちがセリアのだよ」
笑って入れ替える。
心臓は騒いでいるのに、顔だけは平然としていなければならない。
こういう時、私は自分が『慣れてしまっている』のが少し怖い。
(前世で乙女ゲームのイベント全部把握してるのが、こういう時に役立つとは……)
複雑な気持ちになりながらも、私は淡々と嫌がらせを回避し続けた。
芽のうちに摘む。摘んで、何事もなかったように戻す。
それが一番、相手を苛つかせる。……たぶん。
しかしある日、ついにしびれを切らしたのか、私が気づくよりも早くカロリーナが動いた。
放課後の渡り廊下で、セリアがカロリーナと取り巻きに囲まれていた。
雨上がりの床が微かに光っていて、逃げ道が狭い。
私は少し離れたところにいたが、状況を見た瞬間、駆けた。
「何をしているんですか」
「あら、マリアンナ。邪魔しないで。セリア嬢とお話があるだけよ」
声は穏やか。けれど目が笑っていない。
取り巻きの子たちも口元だけ笑っていて、足だけはきっちりセリアの前を塞いでいる。
「お話なら、私も同席させてください」
「必要ないわ」
「でも、セリアの姉として——」
「マリアンナ」
カロリーナが、私に向き直った。
取り巻きの視線が、一斉に私へ移る。空気が張る。
「あなた、本当に頭がいいのね。いつも先手を打ってくる。今回も、わかって来たんでしょう?」
「……何がですか?」
「とぼけなくてもいいわ。あなたはいつも、セリアに何かある前に動く。偶然じゃない」
鋭い。
私はカロリーナの目を見返した。彼女は、ただ意地悪なだけじゃない。
観察して、組み立てて、疑っている。
「カロリーナ様。少し二人でお話できますか?」
「……また、そうやって話を逸らすつもり?」
「逸らすのではなく、正面から話したいだけです」
カロリーナはしばらく無言だったけど、やがて小さく顎を上げ、取り巻きに合図をする。
「——あなたたち、先に行って」
「でも……」
「いいから」
取り巻きが渋々離れ、廊下の空気が少しだけ軽くなる。
セリアは私の後ろに半歩下がり、袖をぎゅっと掴んだ。
大丈夫、ここからは私が受ける。
「なに?」
「カロリーナ様は今、クロード殿下とセリアが近づくことを恐れている。それは理解しています。でも——」
私は、逃げずに言った。
「カロリーナ様がセリアに嫌がらせをするたびに、殿下はカロリーナ様への評価を下げます。殿下は公正さを重んじる方だから」
「……」
「カロリーナ様が殿下に選ばれたいなら、セリアを排除することより、自分自身を磨くことのほうが近道ではないでしょうか」
カロリーナの目が揺れた。
怒りじゃない。悔しさと、諦めたくない気持ちの揺れだ。
「……殿下は最終的に、聖女を選ぶでしょう。国のために、強大な力を持つ聖女を王妃に迎えることが最善だと判断する方だから。それはわかってるわ」
「では、なぜ——」
「わかってても、諦めたくないの……それが私の弱さよ。笑えば?」
「笑いません」
「なぜ」
「誰かを諦めたくないという気持ちは、笑えるものではないから」
カロリーナはしばらく無言で、唇を噛んだ。
その横顔が、ほんの一瞬だけ年相応に見えた。
「……あなた、本当に変ね」
「よく言われます」
「でも——今日は引くわ」
言い切ってから、カロリーナは少しだけ声を落とした。
「その代わり、一つ聞いていい?」
「何でしょう?」
「あなたは、クロード殿下のことが好き?」
「……なぜそう思うんですか?」
「殿下があなたを見る時の目が変わったから。三ヶ月前から、明らかに変わってる」
胸が、変な鳴り方をした。
カロリーナは淡々と言う。淡々としているのに、刺さる。
「そして、あなたが殿下と話す時に目を逸らすのは——恥ずかしいから?」
(この人、観察眼が鋭すぎる……!)
「私は、セリアのためにここにいます。それだけです」
「……そう。まあいいわ」
カロリーナはそれ以上追及せず、踵を返した。
ドレスの裾が廊下をさらりと撫でて、香が一筋残る。
戻ってきたセリアが、私の顔を覗き込む。
「何を話してたの?」
「色々。でも大丈夫だよ」
「……マリアンナ、今日もなんか変な顔してる」
「してない!!」
セリアがくすくす笑った。
悔しいのに、ほっとして、でも胸の奥がまだざわざわして——私は一度、大きく息を吸って気持ちを整えた。



