あやかしの癒し子〜祓い屋の出来損ないは、鬼の王の最愛〜

 「……まさか、人間が幽世へ……」

 「前代未聞だ……」

 「そんなことが許されるのか!?」

 ざわめきが一気に広がる。

 困惑と動揺。
 そして、恐怖。

 その場にいる誰もが理解していた。

 これは前代未聞だ。
 
 人と妖は交わらない。
 それが、不干渉の契り。
 
 長い年月をかけて築かれてきた均衡だった。

 「これは契りを破っている!」
 「妖による人間への干渉だ!」
 「人間への反旗となってもおかしくないぞ!」

 次々と飛び交う非難の声。
 父も顔を青ざめさせながら叫ぶ。

 「奈津! お前、自分が何をしているのか分かっているのか!?」

 母も震える声を漏らした。

 「やめなさい……! そんな妖に誑かされて……!」

 綾乃は唇を噛み締めながら、奈津を睨んでいる。

 広間を満たす喧騒。

 けれど。
 紫鬼の瞳だけは、どこまでも冷え切っていた。

 煩わしい。
 その感情が、濃密な妖気となって広間を軋ませる。

 奈津を虐げ、傷つけてきた人間たち。

 紫鬼にとって、それは塵にも等しい存在だった。

 いっそ、この場ごと消し飛ばしてしまおうか。

 そんな不穏な空気が、静かに膨れ上がっていく。

 ぴし、と。

 広間の床へ小さな亀裂が走った。

 「っ……!」

 誰かが息を呑む。

 その時だった。

 「――お待ちください」

 穏やかな声が、広間へ落ちた。

 ざわり、と人々が振り返る。

 人垣の奥から、一人の青年がゆっくり歩み出てくる。

 艶のある黒髪。
 隙ひとつない端正な顔立ち。
 柔らかな笑みを浮かべながら、その瞳だけは静かに紫鬼を見据えていた。

 一条家新当主――蔵馬。

 濃密な妖気の中。
 歴戦の祓い屋たちすら動けないこの場で、蔵馬だけは平然と歩みを進めていく。

 紫鬼の前まで辿り着くと、静かに一礼した。

 「堂目道家次期当主、紫鬼様」

 穏やかな声音。

 だが、その場の誰もが気づいていた。

 蔵馬だけは、この圧倒的な妖気の中でも微塵も怯んでいない。

 「お会い出来て光栄です」

 紫鬼は無言のまま蔵馬を見る。

 張り詰めた沈黙。

 やがて蔵馬は、ふっと微笑んだ。

 「ちょうど良かった」

 その言葉に、周囲がざわつく。

 「私が一条家当主となった暁には、ひとつ目標がありまして」

 蔵馬は穏やかに言った。

 「それは――人間と妖の共存です」

 一瞬。
 広間の空気が止まった。