あやかしの癒し子〜祓い屋の出来損ないは、鬼の王の最愛〜

 妖の頂点。
 幽世を統べる鬼。

 その名を知らぬ者など、この場にはいない。

 父の顔から、さっと血の気が引く。

 「ど、堂目道……」
 
 母も呆然と立ち尽くしていた。

 一方。
 綾乃だけは、紫鬼から目を逸らせないままだった。

 ただものではないと思っていた。
 しかしまさか、堂目道家の当主――妖の頂点に立つ存在であるなんて。

 それに。
 
 (どうして、お姉様なんかが)
 
 それ程までの存在に、守られているの?

 胸の奥が、ざわざわと騒ぐ。

 まるで宝物みたいに、丁重に腕の中へ囲われている奈津から、目が離せない。

 羨ましい。

 そんな感情が胸を過った瞬間、綾乃ははっとする。

 (……何を考えているの)

 相手は妖。
 たとえ堂目道家当主であろうと、人ではない。

 低俗で、忌むべき存在。

 そうでしょう?
 
 綾乃は乱れかけた呼吸を押し隠すように、ゆっくり微笑んだ。

 「……お姉様」

 甘い声が広間へ響く。

 「いつまでそうしていらっしゃるの?」

 奈津の肩がぴくりと揺れた。

 綾乃はなおも優しく語りかける。

 「まさか――妖に与するつもりではありませんよね?」

 その言葉に、父と母も我に返ったように顔色を変える。

 「そ、そうだ!」

 父が声を荒げた。

 「早くその妖から離れろ!」

 「お前はどこまで九条の名を汚せば気が済むの!?」

 母も悲鳴みたいな声を上げる。

 責め立てる声。
 突き刺さる視線。

 昔の奈津なら、それだけで身体を縮こませていた。

 奈津は、ゆっくり顔を上げる。
 震える指先を、そっと握り締めた。

 「……もう」

 小さな声。
 それでも、不思議なくらいはっきりと響いた。

 「あなたたちの言いなりにはなりません」

 広間が静まり返る。

 父が目を見開いた。
 母も信じられないものを見るような顔をしている。

 綾乃の笑みが、僅かに引き攣った。

 「お姉様……?」

 それでも綾乃は、取り繕うように微笑む。

 「……脅されているの?」
 「ほら、今ならまだ間に合うわ」

 優しく諭すような声音と共に、手を差し伸べる。

 「私たち“家族”でしょう?」

 奈津はまっすぐに綾乃を見つめ返す。

 「……私が」

 喉が震える。
 それでも奈津は、最後まで言葉を飲み込まなかった。

 「あなたたちの“家族”になれた日はあった?」

 綾乃の表情が固まる。
 父も母も、言葉を失っていた。

 奈津はそっと目を伏せる。
 
 思い出すのは。

 冷たい視線。
 否定され続けた日々。
 出来損ないと呼ばれた時間。

 そして。
 何も言わず、自分を守ろうとしてくれた鬼の姿。

 奈津は、紫鬼の着物を小さく握った。

 「……私の住む世界は、もうここじゃない」

 その言葉に、広間がざわめく。