あやかしの癒し子〜祓い屋の出来損ないは、鬼の王の最愛〜

 ふらつくように部屋を出る。

 頭の中で、九重の言葉が何度も反響していた。

 ――混ざりもの。
 人間では、なくなる。

 その時。

 「奈津様ー!」

 ぱたぱたと足音が近づいてくる。
 顔を上げれば、コマがこちらへ駆け寄ってきていた。

 「聞いてくださいよ〜! 夜刀様がまた僕のこと子供扱いするんです!」

 頬を膨らませながら抗議するコマへ、奈津は思わず目を瞬かせる。
 少し遅れて、廊下の向こうから夜刀の呆れた声が飛んだ。

 「お前が勝手に転びかけたからだろ」

 「転んでませんー!」

 賑やかなやり取り。

 幽世も、この屋敷も、妖たちも。
 すべて、恐ろしいだけのはずだった。

 でも――目の前の光景が、今は不思議と心を落ち着かせた。

 気づけば。
 この場所へ居てもいいのだと、思い始めていた。

 その事実が、奈津の胸を締め付ける。

 現世へ戻れば、人間のままでいられる。
 それは分かっている。

 けれど。
 脳裏へ浮かぶのは、九条家での日々だった。

 冷たい視線。

 役立たず、と吐き捨てられる声。
 綾乃に奪われ続けた居場所。
 誰にも必要とされなかった日々。

 胸の奥が、じわりと冷えていく。

 (……戻りたい、わけじゃない)

 むしろ、怖かった。
 それでも、ここへ居続ければ、自分は人間ではなくなる。

 奈津は唇を噛みしめる。
 足取りが、泥のように重かった。

 *

 気づけば、紫鬼の執務室の前まで来ていた。
 障子の向こうから、さらさらと筆を走らせる音が聞こえる。
 奈津は小さく息を吸い、そっと障子を開けた。

 「……紫鬼様」

 紫鬼が顔を上げる。

 「どうした」

 いつも通りの声。
 それだけなのに、奈津の胸がひどく苦しくなる。

 「九重様から……聞きました」

 紫鬼の動きが止まった。

 「幽世に長くいると、人間じゃなくなるって……」

 静かな沈黙が落ちる。
 奈津は恐る恐る問いかけた。

 「紫鬼様は……知っていたんですか?」

 「……ああ」

 否定はなかった。

 奈津はそっと俯く。

 「……どうして……今になって言うんですか」

 紫鬼はしばらく黙っていた。
 やがて、低い声が落ちる。

 「……言わなければ、お前は何も知らないままここへ留まったかもしれない」

 奈津は息を呑んだ。

 「だが、俺は――」

 そこで一度、言葉が途切れる。

 「お前を利用するつもりはない」

 不器用な声音だった。

 (でも……)

 そこに嘘がないことだけは、奈津にも分かる。