あやかしの癒し子〜祓い屋の出来損ないは、鬼の王の最愛〜

 連れて来られたのは、紫鬼の執務室だった。

 療養中に過ごしていた部屋とは違う。
 壁際には古い書物や巻物が並び、中央には低い文机が置かれている。

 静かな室内には、どこか張り詰めた空気が漂っていた。

 紫鬼は奈津を座布団へ座らせると、そのまま机へ向かった。

 書類へ目を通し始めた横顔を、奈津はぼんやり眺める。

 さらさらと筆が走る音だけが、静かに室内へ響いていた。

 しばらくそうしていた。
 でも、次第にそわそわと落ち着かなくなってくる。

 何もせず座っているだけというのが、どうにも慣れない。

 せめてお茶でも淹れてこようか。
 そう思って立ち上がりかけた瞬間。

 「どこへ行く」

 奈津の動きを止めるように、声が落ちた。

 「えっ、あ……お茶でも淹れてこようかと……」

 「いい」

 紫鬼は短く言う。

 「ここにいろ」

 奈津は目を瞬かせた。

 紫鬼は筆を置く。
 そして、奈津へ手を伸ばした。

 「こっちへ来い」

 「え……?」

 戸惑いながら近づく。

 次の瞬間。

 「っ……!?」

 ぐい、と腕を引かれた。

 気づけば奈津は、座椅子へ腰掛けた紫鬼のすぐ隣へ引き寄せられていた。

 そして。
 紫鬼がそのまま、奈津の肩へ体重を預ける。

 「え……っ」

 「少し仮眠を取る」

 当然みたいに告げ、そのまま目を閉じる。

 奈津は固まった。

 拒むわけにもいかない。

 どうしていいか分からないまま、肩越しに白銀の髪を見下ろす。

 さらり、と長い髪が腕へ流れていた。

 ふと。
 もう一度、触れてみたいと思った。

 奈津はそっと指先を伸ばす。

 白銀の髪を、静かに撫でた。
 さらり、と指の間を滑っていく。

 その感触に、奈津は小さく息を呑む。

 (わ、私また……っ)

 我に返り、慌てて手を止める。

 すると。
 紫鬼が薄く目を開けた。

 紫の瞳が、奈津の手を見つめる。

 「……どうしてこの手は、いつもあたたかいのだろうな」

 静かな呟き。
 奈津の胸が、どくりと鳴った。

 「……もう一度、撫でてもいいですか?」

 自分でも驚くほど小さな声だった。

 紫鬼は何も言わない。

 ただ、静かに目を閉じる。

 ――肯定の合図。

 奈津はそっと、もう一度白銀の髪を撫でた。

 目の前のこの強大な妖が。

 今だけは、とても近くて。
 どこか、包み込むべき存在みたいに思えた。

 微睡みに落ちる直前。

 紫鬼がぽつりと呟く。

 「……お前の隣は、息がしやすい」

 奈津は目を見開く。
 返事も出来ないまま、眠りへ落ちていく紫鬼を見つめた。

 静かな執務室へ落ちる寝息が、不思議と心地よかった。