それからというもの。
堂目道家の屋敷で過ごす時間は、以前よりずっと穏やかなものになっていた。
妖たちも、奈津へ露骨な敵意を向けることはない。
廊下ですれ違えば軽く頭を下げられ。
何かあれば、以前より柔らかな態度で接される。
紫鬼の瘴気病も、すっかり落ち着いていた。
以前のように毎日薬湯を運んだり、長時間傍へ付き添うこともない。
それは本来、喜ぶべきことのはずだった。
けれど。
奈津は時折、落ち着かない気持ちになることがあった。
九条家にいた頃。
奈津は、ほとんど召使のように働かされていた。
掃除。
洗濯。
雑用。
何かしていなければ怒鳴られたし、役立たずだと責められた。
だからだろうか。
何もせず過ごしていると、どうにもそわそわしてしまう。
それに。
紫鬼は堂目道家の当主だ。
妖たちから深く敬われる、鬼の王。
そんな相手のところへ、用もないのに会いに行くなんて。
どこか、してはいけないことのように思えていた。
以前は、瘴気病の治療という理由があった。
けれど今は、もう違う。
だから奈津は、以前より意識して紫鬼の部屋へ近づかないようにしていた。
その日の奈津は、廊下で見かけた鬼妖へおずおずと声を掛けていた。
「あの……何か、お手伝いできることはありますか?」
鬼妖は目を丸くする。
「は?」
「えっと、運ぶものとか……」
すると鬼妖は慌てたように首を振った。
「い、いえ! 癒し子様のお手を煩わせるわけには……!」
「そ、そんな大したことじゃ――」
「どうかお気になさらず!」
ぺこりと頭を下げると、そのまま去っていってしまう。
「…………」
奈津は小さく肩を落とした。
以前より受け入れてもらえている。
それは分かる。
けれど。
どこか距離があるのも、確かだった。
その時。
廊下の端へ積まれた木箱が目に入る。
運搬途中なのだろう。
まだ誰も取りに来ていないらしい。
奈津はそっと近づいた。
「これくらいなら……」
両手で持ち上げる。
「っ……!」
思った以上に重かった。
ぐらり、と身体が傾ぐ。
慌てて踏ん張った瞬間。
「……っ!」
足首へ鋭い痛みが走った。
そのまま倒れかけた身体を、強い力が引き寄せる。
「……何をしている」
静かな声。
気づけば、紫鬼がすぐ目の前にいた。
「し、紫鬼様……」
奈津は顔を歪めながら、小さく息を呑む。
足が痛い。
どうやら捻ってしまったらしい。

