ある夜。
治療を終えた奈津は、小さく俯いた。
部屋の中は静かだった。
障子の向こうでは、今日も冷たい雨が降り続いている。
以前なら、治療の後は荒れた瘴気で部屋の空気そのものが軋んでいた。
けれど今は違う。
濃い瘴気はまだ残っている。
それでも、以前ほど暴れることはなくなっていた。
寝台の上へ上体を起こした紫鬼も、少し前までのように苦しげな呼吸を繰り返してはいなかった。
顔色はまだ悪い。
白い肌には病の痕も残っている。
それでも。
こうして身体を起こしていられるだけでも、以前とは比べものにならない回復だった。
奈津はそんな紫鬼を見つめながら、ぎゅっと膝の上で手を握る。
「……ごめんなさい」
紫鬼が薄く目を開けた。
「何がだ」
「私、まだ完全には治せなくて……」
奈津は唇を噛む。
確かに、紫鬼は以前より回復している。
眠れる日も増えた。
こうして起き上がれる時間も長くなった。
けれど、瘴気病そのものはまだ消えていない。
時折苦しそうに呼吸を乱す姿を見るたび、自分の力不足を思い知らされる。
「もっと力があれば……」
その時。
「……いい」
低い声が落ちた。
奈津が顔を上げる。
紫鬼は静かに奈津を見つめていた。
深い紫の瞳。
以前のような鋭さは、そこにはなかった。
「お前には、助けられている」
「……っ」
奈津は目を見開いた。
紫鬼が、こんな風に自分の気持ちを口にするなんて思わなかった。
胸の奥が、じんわり熱くなる。
それはきっと。
怖いだけだったはずの存在が、少しずつ変わってきているから。
――自分の知らない表情を、見せてくれるようになったから。
その瞬間だった。
――ピシ。
微かな音が、静かな部屋へ響いた。
奈津がはっと顔を上げる。
部屋を覆っていた結界へ、細い亀裂が走っていた。
「……え?」
息が止まる。
堂目道家に張られた、最強であるはずの紫鬼の結界。
並の妖では、触れることすら叶わない。
その中でも、この部屋の結界は特に強固なはずだった。
破られるなど、ありえない。
それなのに。
まるで硝子が砕けるように、ひび割れが音もなく広がっていく。
ぞわり、と濃い妖気が流れ込んだ。
冷たい。
息苦しい。
肌へまとわりつくような悪意に、奈津の背筋が粟立つ。
次の瞬間。
――バァン!!
障子が大きく開かれた。
部屋へ踏み込んできたのは、五人の妖。
全身を黒い衣で覆い、その顔すら半分以上見えない。
額から伸びる鬼角もまた、黒布の下へ沈んでいた。
だが。
衣の隙間から覗く瞳には、冷えた殺意だけが宿っていた。
足音ひとつ乱さず並ぶ姿には、訓練された獣のような統率がある。
「……対象を確認」
低い声が落ちる。
妖のひとりが、寝台の紫鬼と奈津へ視線を向けた。
「堂目道家当主、ならびに“癒し子”」
感情の薄い声。
まるで任務内容を読み上げるように。
「――これより、対象の抹殺を実行する」

