「何した、お前ら」
低い声が響く。
夜刀の金の瞳が、冷たく部下たちを見下ろしていた。
妖たちは顔を青ざめさせる。
「や、夜刀様……」
「まさか本当に落ちるとは思わなくて……」
言い訳じみた声。
夜刀は舌打ちした。
「俺はそんなモン望んじゃいねぇ」
空気がびり、と震える。
「卑怯な真似してんじゃねぇよ」
鋭い妖気に、部下たちが肩を震わせた。
「で、どこに落とした」
「え……」
「答えろ」
夜刀の声音が低く沈む。
「に、西側の渡り廊下の……地下水路です……」
その瞬間。
夜刀の表情が、すっと消えた。
金の瞳だけが鋭く細められる。
「あそこは紫鬼様の瘴気が流れ込む場所だぞ」
押し殺したような声だった。
「妖ならまだしも、人間が落ちれば死んでもおかしくねぇ」
びり、と妖気が荒れる。
部下たちがびくりと肩を震わせた。
「……何してくれてんだ、てめぇら」
低く唸るような声。
「ここで死なれたら、紫鬼様の治療ができねぇだろうが……!!」
夜刀はそのまま廊下を駆け出した。
妖たちが慌てて道を開ける。
長い黒髪が翻り、荒々しい妖気が屋敷中を震わせた。
地下水路へ続く渡り廊下。
崩れた床板を見た瞬間、夜刀は舌打ちする。
「チッ……」
濡れた足跡が続いていた。
ぽたり、ぽたり。
水滴が廊下へ落ちている。
夜刀は目を細めた。
(……自力で上がったのか)
あの地下水路から。
人間が。
その時だった。
「……っ」
廊下の先。
小さな影が、壁へ手をつくようにして立っていた。
奈津だった。
濡れた着物。
乱れた呼吸。
青白い顔。
今にも倒れそうな足取りで、それでも前へ進もうとしている。
「おい」
低い声。
奈津の身体がびくりと揺れた。
そして次の瞬間、力が抜けるように崩れ落ちる。
「っ……!」
夜刀が咄嗟にその身体を支えた。
細い。
驚くほど軽い身体だった。
「お前……何やって……」
夜刀が眉を顰める。
奈津はぼんやりと夜刀を見上げた。
「……夜刀、様……」
声が掠れている。
「お前、自分の状態分かってんのか」
奈津は苦しげに息を吐く。
それでも。
「お願い……」
震える手が、夜刀の袖を掴む。
「紫鬼様のところへ……」
夜刀の眉が寄る。
「は?」
「早く……行かないと……」
奈津は掠れた声で続ける。
「今日も……苦しい、はずだから……」
夜刀は言葉を失った。
ボロボロになりながら。
死にかけながら。
それでもこの人間は、自分のことより紫鬼を優先している。
そんな人間を、夜刀は知らなかった。
「……っチ」
夜刀は舌打ちした。
けれどその腕は、奈津を振り払うどころか、落とさぬよう強く抱え直している。
「馬鹿か、お前は……」
低く吐き捨てる。
奈津はぼんやりした意識のまま、小さく首を横に振った。
「でも……」
掠れた声。
「紫鬼様……待ってる……から……」
その言葉に、夜刀の眉間が深く寄る。
妖ならば分かる。
今の奈津は、まともに立っているだけでもおかしい状態だった。
瘴気に侵された人間は、すぐに身体を壊す。
まして地下水路は、堂目道家の中でも特に瘴気の濃い場所だ。
普通なら、とっくに動けなくなっている。
それなのに。
奈津は紫鬼のもとへ向かおうとしていた。
「……訳分かんねぇ女」
夜刀は小さく吐き捨てる。
そのまま奈津を抱え、屋敷の奥へ駆け出した。

