あやかしの癒し子〜祓い屋の出来損ないは、鬼の王の最愛〜

 紫鬼の部屋には、重苦しい空気が流れていた。

 瘴気が不安定に揺れている。
 
 普段なら、奈津が来る頃だった。
 けれど。

 「……遅い」

 低い声が落ちる。
 紫鬼は横たわったまま、どこか苛立ったように目を伏せていた。

 九重が静かに頭を下げる。

 「……先刻より、癒し子様のお姿が見当たりません」

 その瞬間。
 室内の空気が、わずかに張り詰めた。

 「……僭越ながら、申し上げます」

 部屋の隅で控えていた妖が、恐る恐る口を開く。

 「癒し子は……怖気づいて逃げたのでは?」

 途端に、周囲の妖たちがざわめいた。

 「所詮は人間ですからね」
 「妖を恐れて逃げ出しても不思議ではない」
 「最初から信用など――」

 「……違う」

 短い声だった。
 ぴたり、と室内が静まり返る。

 妖たちが息を呑む。
 紫鬼はゆっくり目を開けた。

 深い紫の瞳が、冷たく細められている。

 奈津は、いつも緊張したようにこの部屋へ入ってきた。
 濃い瘴気に顔を青ざめさせながら。
 それでも毎日、紫鬼のもとへ足を運んでいた。

 だから。
 
 「あれは、そんな風に投げ出す女ではない」
 
 その低い声には、不思議な確信があった。

 「……探せ」

 その一言で、妖たちは慌てて頭を下げた。

 「はっ!」

 張り詰めた空気のまま、妖たちが一斉に動き出す。

 けれど。
 紫鬼の身に纏う瘴気だけは、なお不安定に揺れていた。

 *
 
 「奈津様……?」

 コマは青ざめた顔で廊下を駆けていた。

 長い渡り廊下。
 静まり返った庭。

 どこにも奈津の姿がない。

 「奈津様っ!」

 不安げな声が夜の屋敷へ響く。

 その時だった。

 「……っ!」

 コマの耳がぴんと立つ。

 崩れた床板。
 そして、その先へ続く濡れた足跡。

 水滴がぽたり、ぽたりと廊下へ落ちている。

 コマの顔がさっと青ざめた。

 「奈津様……!!」