あやかしの癒し子〜祓い屋の出来損ないは、鬼の王の最愛〜

 部屋を出た奈津は、張っていた息をそっと吐き出した。

(……少しだけ、話せた気がする)

 怖かった。
 それでも、昨日よりはちゃんと紫鬼の言葉を聞けた気がした。

 すると隣で、コマが嬉しそうに尾を揺らす。

「紫鬼様、先程よりお顔色が良かったです!」

「ほんと……?」

「はい!」

 琥珀色の瞳を輝かせるコマに、奈津も自然と頬を緩めた。

 だが、その時。
 ――ズン。

 重い妖気が、大気を揺らした。

「……っ」

 奈津は思わず足を止める。
 空気が変わった。肌を刺すような圧迫感。
 コマの耳がぴんと立つ。

 次の瞬間、屋敷の中がざわつき始めた。

「この妖気……!」
「まさか……」

 妖たちが慌ただしく廊下を駆けていく。
 奈津は不安げに辺りを見回した。

「な、なに……?」

 コマが奈津を庇うように前へ出る。

「奈津様、こちらへ――」

 その瞬間。
 ドォン!!
 轟音が響き渡った。

 中庭の向こう。
 結界の外側で、黒い影が地面へ叩きつけられる。
 低級妖だった。

 その上へ無造作に足を乗せ、一人の男が立っている。
 
 長い黒髪。
 額から伸びる灰黒の鬼角。
 その片側には、わずかな欠け痕が残っていた。

 獣のように鋭い金の瞳。
 男は足元の妖を見下ろし、忌々しげに舌打ちした。

「……チッ。雑魚が」

 妖たちが安堵したように声を上げる。

夜刀(やと)様だ!」
「討伐からお戻りになったのか!」

 奈津は息を呑む。
 立っているだけなのに、空気が痛い。
 まるで猛獣を前にしたように、本能が逃げろと叫んでいた。

 夜刀がゆっくり顔を上げる。
 金の瞳が、奈津を捉えた。
 その瞬間。
 空気が張り詰める。

「――え?」

 瞬きをした、その刹那だった。
 黒い影が視界から掻き消える。

 次の瞬間には、夜刀はもう奈津の目の前へ立っていた。
 速い、という認識すら追いつかない。

「っ……!」

 奈津が息を呑む。

 ジャキン――。
 鋭い爪が、白い喉元へ突きつけられた。
 ひやりとした感触が肌を撫でる。

 コマが青ざめた声を上げた。

「や、夜刀様……!」

 夜刀は奈津を射抜くように睨みつけた。
 金の瞳が、獲物を値踏みするように細められる。

「……なんでここに、人間がいやがんだ?」