静かな声が響く。
妖たちが、はっと息を呑んだ。
廊下の奥。
いつの間にか、九重が立っていた。
穏やかな微笑みを浮かべている。
けれど、細められた瞳の奥だけが冷えていた。
「癒し子様は、紫鬼様自ら屋敷へ留め置かれたお方です」
柔らかな声音。
だが逆らうことを許さない圧があった。
「これ以上の無礼は、堂目道家への反意と見なします」
細められていた瞳が、僅かに開く。
その奥で、深緑の双眸が静かに光った。
空気が張り詰める。
先ほどまで奈津を嘲っていた妖たちの顔から、さっと血の気が引いた。
「……し、失礼いたしました」
妖たちは視線を逸らすように頭を下げ、その場から足早に去っていく。
廊下には、重苦しい静寂だけが残った。
コマはほっとしたように息を吐く。
「九重様……」
九重はコマへ軽く視線を向け、それから奈津へ穏やかに微笑んだ。
「申し訳ございません、癒し子様」
奈津は小さく首を横に振る。
「……い、いえ……」
九重は廊下の奥へ一度視線を向ける。
「少々、騒がしくなっているようでしたので」
その声音は穏やかだったが、先ほどまでの冷たい空気はまだ僅かに残っていた。
けれど次の瞬間には、いつもの柔らかな微笑みへ戻る。
「少し早いですが、紫鬼様のもとへご案内してもよろしいでしょうか」
奈津は小さく息を呑む。
脳裏に浮かぶのは、白銀の髪と深い紫の瞳。
苦しげな呼吸。
それでも威厳を失わなかった、あの姿。
奈津はそっと頷いた。
「……はい」
*
そうして九重に連れられ、奈津は再び紫鬼の部屋へ向かっていた。
廊下を進むにつれ、空気が少しずつ重くなっていく。
肌にまとわりつくような冷たさ。
胸の奥をざわつかせる、不穏な気配。
(瘴気……)
昨日ほどではない。
けれど、確かにまだそこにある。
奈津は無意識に袖を握りしめた。
やがて、重々しい襖の前で九重が足を止める。
「紫鬼様。癒し子様をお連れしました」
静かな声。
わずかな沈黙の後。
「……入れ」
静かな声が返ってきた。
九重が襖を開く。
部屋の奥には、紫鬼が横たわっていた。
薄暗い室内。
風もないのに、揺れるように漂う黒い瘴気。
けれど昨日より、幾分かその容態は落ち着いて見える。
白銀の髪が、さらりと畳へ流れていた。
紫鬼はゆっくりと奈津を見る。
深い紫の瞳。
その視線に射抜かれ、奈津は思わず息を呑む。
「……人間」
低い声。
奈津の肩がぴくりと揺れた。
紫鬼の瞳には、明確な警戒が残っている。

