あやかしの癒し子〜祓い屋の出来損ないは、鬼の王の最愛〜

 「で、ですが……!」

 耳を慌てたように揺らしながら、コマが声を上げる。

 「癒し子様を、そのように軽々しくお呼びするなんて……!」

 「軽々しくじゃないよ」

 奈津は少し困ったように笑った。
 
 “お姉様”
 綾乃からは、そう呼ばれていた。
 けれどそこには、親しみなどまるでなかった。

 蔑みと嘲笑を含んだ呼び方。
 だからだろうか。
 こうして敬称で丁寧に呼ばれることに、まだ慣れない。

 「……駄目、かな?」

 遠慮がちに尋ねると、コマはぶんぶんと首を横に振った。

 「だ、駄目じゃありません!」

 琥珀色の瞳がきらきらと輝く。

 「では……奈津様、と!」

 「ふふ」

 結局“様”は取れないらしい。
 奈津が小さく笑うと、コマはどこか嬉しそうに尾を揺らした。
 その時だった。

 廊下の奥から、ひそひそとした声が聞こえてくる。

 「……人間のくせに」
 「馴れ馴れしい」

 鬼角を持つ妖たちが、冷たい視線を奈津へ向けていた。

 「どうせ、子どものコマなら懐柔しやすいと思ったんだろ」
 「随分うまく取り入ったものだな」

 奈津は目を見開いた。
 同時に、コマの耳がぴくりと揺れる。

 「……違います!」

 コマは奈津を庇うように前へ出た。

 「奈津様は、そんな方じゃありません!」

 「はっ。お前は昔から甘い」
 「だから子ども扱いされるんだ」

 嘲るような声。
 コマは悔しそうに唇を噛み締める。
 それでも、奈津の前から退こうとはしなかった。

 「奈津様は……紫鬼様を救ってくださる、大切なお方です!」

 必死な声だった。
 その姿に、奈津は目を見開く。
 こんな風に、自分を庇ってくれる存在がいただろうか。

 九条家では、誰も奈津の味方になってくれなかった。
 どんな扱いをされたって、誰も。
 ただ見ているだけだった。

 けれど。
 今はコマが、こうして奈津の前へ立ってくれている。

 (……妖は、人の敵)

 幼い頃から、何度もそう教え込まれてきた。
 恐ろしく、醜く、滅ぼすべき存在なのだと。
 けれど奈津の脳裏に浮かぶのは、傷だらけで震えていたコマの姿だった。

 苦しみながらも、必死に耐えていた紫鬼の姿だった。

 (……悪い妖ばかりじゃ、ないのかもしれない)

 そんな考えが、胸の奥へ静かに落ちていく。
 その時だった。

 「――そこまでにしておきなさい」