あやかしの癒し子〜祓い屋の出来損ないは、鬼の王の最愛〜

 信じられなかった。
 コマはそんな奈津を見つめ、少し申し訳なさそうに耳を伏せる。

 「突然このようなことに巻き込んでしまい、申し訳ありません」

 「え……?」

 「本来であれば、人間を幽世へ連れてくるなど、許されることではありません」

 コマはぎゅっと拳を握った。

 「ですが……紫鬼様が死んでしまったら、幽世は大きく乱れてしまうのです」

 その声音には、強い不安と恐怖が滲んでいた。

 奈津は小さく息を呑む。

 紫鬼は、ただ強い妖というだけではない。
 この世界そのものを支えるような存在なのだと、ようやく実感した。

 脳裏に浮かぶ。
 黒い瘴気に蝕まれながら、それでも鋭く奈津を見据えていた紫の瞳。

 苦しそうだった。
 あんなにも。
 
 奈津はそっと、自分の手を見る。
 さっきまで紫鬼へ触れていた指先。

 そこにはまだ、淡い熱が残っている気がした。

 「私……」

 ぽつりと声が零れる。

 「本当に、あの人を助けられるのかな……」

 不安だった。

 自分は出来損ないで。
 祓い屋としての能力だって失った。

 そんな自分に、誰かを救うことなんてできるのだろうか。
 けれど。
 コマは迷いなく頷いた。

 「できます」

 強い声だった。

 「あなた様が現れた時、紫鬼様の瘴気は確かに静まりました」

 琥珀色の瞳が真っ直ぐ奈津を見つめる。

 「……だから、どうか紫鬼様を見捨てないでください」

 その言葉に、奈津の胸がきゅっと締め付けられる。
 見捨てるなんて、最初から考えられなかった。
 奈津は小さく微笑む。

 「うん」

 その時だった。

 廊下の向こうから、ざわざわと騒がしい声が聞こえてくる。

 「……?」

 コマの耳がぴくりと動いた。
 次の瞬間。

 ――ズン……。

 屋敷全体を揺らすような、重い気配が落ちる。
 空気が震え、障子がかすかに揺れる。
 奈津は思わず肩を揺らした。
 
 「な、なに……?」

 コマははっと廊下の先を振り返った。

 「……外が騒がしい?」

 遠くから妖たちのざわめきが聞こえる。

 「結界付近に何かいるぞ!」
 「警戒を強めろ!」

 慌ただしい足音。
 けれどコマは、すぐ奈津へ向き直った。

 「ご安心ください」

 耳をぴんと立て、しっかりと言う。

 「堂目道家の結界は、何者にも破れません」

 その言葉には、絶対の信頼があった。

 奈津は小さく息を呑む。
 ここは、人ではないものたちの世界。

 そして自分は今、その真ん中にいるのだと――初めて実感した。