障子越しに、柔らかな夕焼けの光が差し込んでいた。
静かな部屋。
奈津は畳の上へ座ったまま、ぼんやりと庭を眺めていた。
(……静か)
九条家とは違う静けさだった。
怒鳴り声も、嘲笑もない。
ただ風が、木々を揺らしている。
それだけなのに、胸の奥がじんわりと落ち着いていく。
気づけば、重かった瞼が少しずつ落ちていた。
その時。
――コンコン。
控えめな音が響く。
「癒し子様」
奈津ははっと目を開けた。
「は、はい……!」
慌てて立ち上がり、襖へ向かう。
開けると、コマがちょこんと立っていた。
「お休みのところ、申し訳ありません」
「い、いえ……大丈夫です」
奈津は少し眠そうに目を擦る。
そんな奈津を見て、コマはわずかに表情を和らげた。
「少し、お話をさせていただいてもよろしいでしょうか」
「う、うん」
コマは部屋へ入ると、奈津の前へちょこんと正座した。
犬のような耳がぴくりと揺れる。
「改めてご説明させていただきます」
奈津も姿勢を正した。
「癒し子とは――瘴気を鎮め、我ら妖の命を繋ぎ止める存在です」
「瘴気を……鎮める……」
「はい」
コマは静かに頷く。
「本来、瘴気に侵された者は徐々に理性を失い……やがて死に至ります」
奈津は昼間の紫鬼を思い出した。
苦しげな呼吸。
黒い瘴気。
鋭い紫の瞳。
「ですが癒し子様は、それを抑えることができる」
コマの琥珀色の瞳が真っ直ぐ奈津を見る。
「古くから妖たちの間では、“瘴気を癒す存在”について語り継がれてきました」
その声音は、どこか遠い昔を語るようだった。
「ですが、それは半ば伝承のようなもので……ここ数百年、癒し子が現れたという記録は残っていません」
「数百年……?」
奈津は目を見開く。
「はい。だから、多くの者はただのおとぎ話だと思っていました」
けれど、とコマは奈津を見る。
「あなた様は、実際に紫鬼様の瘴気を鎮めた」
琥珀色の瞳が、強く揺れた。
「……紫鬼様にとって、唯一のお方なのです」
「唯一……」
奈津は戸惑うように目を伏せた。
そんな風に言われたことなど、一度もなかった。
必要とされたことも。
期待されたことも。
九条家ではずっと、“出来損ない”として扱われてきたのだから。
(私が……そんな存在……?)

