3年間、描き続けたら本人にバレました。

 翌朝、目が覚めた瞬間、一番最初に浮かんだのは昨日のことだった。

「……っ!」

 思い出した瞬間、枕へ顔を埋める。夢じゃない、何度確認しても、あれは現実だった。
 昨日、あのあと俺は何を話したのかほとんど覚えていない。

「じゃ、また明日」

 そう言って笑った翔太に、俺はぎこちなく頷くことしかできなかった。
 家へ帰ってからも絵なんて描けず、風呂へ入っても、布団へ入っても、目を閉じるたび翔太の顔ばかり浮かぶ。

『好きなやつが優だって言ったらどうする?』
『可愛い』

 それから傘で隠された、あのキス。

「あああ……」

 思わず布団の中で声を漏らした。
 あんなことされて普通に学校なんか行けるわけないだろ。



 教室へ入ると、いつもと変わらない朝の空気が流れていた。
 なるべく考えないようにしながら席へ向かう。昨日の今日だ、きっと翔太も話しかけてこないはず。
 そう思ってたのも束の間、

「優、おはよ」

 耳元で聞き慣れた声がした。

「っ!」

 肩がびくっと跳ねる。
 振り返ると、翔太がいつも通り笑っていた。昨日までと何一つ変わらない笑顔。なのに俺だけがまともに見られない。

「……お、おはよう」

 目を逸らす。

「なんでこっち見てくんねぇの」

 翔太は俺の机へ肘をつき、顔を覗き込む。

「なぁ、優ってば」

「だから近い」

 椅子ごと少し後ろへ逃げる。

「あんまこっち見るな」

「優が可愛すぎるから無理」

「なっ!」

 心臓が一気に跳ね上がる。そんなことを教室で平然と言うな。
 翔太はくすくす笑っている。
 昨日まではどこか遠慮していたくせに、一度気持ちを伝えた途端、歯止めがなくなったみたいだった。



 昼休み。
 俺はいつものように屋上へ向かおうとすると廊下の途中で腕を掴まれる。

「優」

「うわっ!」

 振り返ると翔太だった。

「一緒に昼飯食お」

「いや、俺……」

「屋上?」

「……うん」

「じゃあ、俺も行く」

「暑いし、来なくていいよ。それにいつもの友達いるだろ」

「今日は優と食べたい」

 簡単にさらっと言う。

「今日はダメ」

「なんで?」

「絵書くから翔太がいると……集中できない」

 翔太は少し笑う。

「俺がいると集中できないんだ」

「そういう意味じゃないし……」

 そういいながら図星だった。結局断りきれず、一緒に屋上へ向かうことになった。
 昼の風が気持ちいい。俺たちはフェンスにもたれて弁当を広げる。

「いただきます」

 弁当を開く。
 しばらくは静かな時間が流れた……はずだった。

「優」

「何?」

「口元」

 翔太が手を伸ばしてくる。

 反射的に身を引こうとしたけれど、その前に親指が唇の端を軽くなぞった。

「ご飯粒」

「……っ」

「取れた」

 何事もなかったように笑う横で俺だけが固まっていた。
 
「そ、そういうの自分で取れるから」

「んー、俺が優に触れたかっただけどから」

「なんだよそれ」

 心臓がうるさい。翔太は面白そうに俺を見ている。

「優って分かりやすいよな」

「分かりやすくない」

「耳真っ赤」

 思わず耳を押さえる。
 そんな俺を見て翔太は吹き出した。
 
「かわい」

「その単語禁止」

「えー」

「禁止」

「じゃあ……」

 翔太は少し考えるふりをしてから、小さく笑った。

「好き」

「っ!」

 今度は箸を落としかけた。

「お、お前!」

「何?」

「そういうこと軽々しく言うな!」

「軽々しくないけど」

 あまりにも真っすぐ返されて、言葉が止まる。

「……お前、昨日のでストッパー壊れただろ」

「バレた?好きって自覚したら、思ってたより我慢できなかった」

 俺は俯いたまま小さく呟く。

「……反則だろ。そういう顔」

「どんな顔?」

「知らない」

 本当は知っている。嬉しそうで、安心したように笑う顔。

「優のさ、すぐ赤くなるとこも、恥ずかしくて顔逸らしちゃうとこも……全部可愛い」

 一瞬、時間が止まった。

「……っ」

 顔が熱い。思わず俯くと、翔太が小さく笑う。

「ほら。また赤くなった」

「暑いだけだ」

「ふーん」

 絶対信じてない顔だった。



 放課後。
 美術室で筆を動かしていても集中できない。筆先は止まり、何度描いても納得がいかない。

「はぁ……」

 ため息をつく。こんなの初めてだった。今までは絵を描いている時だけは何も考えずにいられたのに。
 あれだけ毎日のように見てきた翔太の顔が、今はまともに見られない。
 視線が合えば逸らしてしまうし、近づかれるだけで心臓がうるさくなる。
 ……そういえば。ふと、あることに気付いた。

 俺、いつから翔太を描いてないんだ。

「お迎え来たぞー」

 ガラッと扉が開くと翔太だった。

「終わった?」

「……うん」

 荷物をまとめて二人で夕焼けの廊下を歩く。並んで歩いているだけなのに落ち着かない。

 沈黙が続く。

 すると翔太がぽつりと笑った。

「優さ」

「ん?」

「俺といると静かになるよね」

「そんなことないけど」

「光陽といる時はあんなに笑うのに」

 少しだけ拗ねたような声だった。

「俺とも笑ってよ」

 その一言が妙に胸へ刺さる。

 俺は笑っていなかったんだろうか。そんなつもりはなかった。

「違う」

 思わず立ち止まると翔太も振り返る。

「違うんだ」

「何が?」

「楽しくないとかじゃくて……」

 言葉がうまく出てこない。胸の奥がぐちゃぐちゃで、自分でも何を言いたいのか分からない。

「翔太といると」

 そこで言葉が止まる。翔太は黙って待ってくれていた。

「……変になる」

「変?」

「いつも近いし」

「うん」

「急にそういうこと言うし」

「うん」

「昨日だって……」

 最後まで言えない俺を見つめて翔太は少しだけ目を細めた。

「意識してる?」

 その一言に俺は何も答えられなかった。答えられないことが答えだった。

 翔太は嬉しそうに笑う。

「よかった」

「何が」

「俺だけじゃなかった」

 その笑顔を見た瞬間胸がぎゅっと締め付けられる。でも嫌じゃない。むしろ、もっと見ていたいと思ってしまう。
 今まで何度も描いてきた横顔。笑った顔も、真剣な顔も、怒った顔も見てきた。
 なのに今は、その全部が昨日までと違って見える。
 翔太が笑うだけで嬉しい。
 翔太が誰かと話していたら気になる。
 翔太が近付くだけで心臓がうるさい。
 ……ああ、そういうことか。
 俺はずっと、「友達だから」だと思っていた。
 一緒にいるのが楽しいのも。
 もっと知りたいと思うのも。
 笑ってほしいと思うのも。
 全部、違ったんだ。

 俺は──翔太が好きなんだ。