3年間、描き続けたら本人にバレました。

 しばらく沈黙が流れたあと、翔太がゆっくりと口を開いた。

「……ごめん。俺、好きな人いるから」

 その言葉に、思わず息を呑んだ。
 ……え。好きな人?
 女の子も驚いたように目を見開いている。

「だから、ごめん」

 翔太は申し訳なさそうに頭を下げた。それ以上は何も言わない。
 女の子も泣きそうな顔で「そっか」とだけ笑うと、小さく「ありがとう」と言い残して昇降口を去っていった。
 静けさが戻っても俺は柱の陰で固まったまま動けなかった。
 翔太に好きな人。
 胸の奥がまた小さく疼く。
 ……誰なんだろう。同じクラスか、部活のマネージャーか、それとも他校の子とか。
 考えたって分かるはずもないのに、頭の中には次々と知らない誰かの顔が浮かんでは消えていく。
 別に誰を好きでも俺には関係ないだろ。
 そう思おうとするのに、不思議なくらいその一言が頭から離れなかった。

「……優」

 突然、自分の名前を呼ばれて肩が跳ねる。

「もう隠れてなくていいぞ」

 心臓が止まりそうになった。
 恐る恐る柱の陰から顔を覗かせると、翔太は苦笑しながらこちらを見ていた。

「やっぱりいた。迎えに来てくれたんだ」

「ただいつもより、ちょっと早く終わったから」

「それでも嬉しい」

 そう言って笑う翔太は、いつもの翔太だった。
 さっきまで告白されていたなんて思えないくらい、普段通りの笑顔。
 そのことに、なぜだか少しだけ安心する。

「じゃあ、帰ろっか」

 翔太は何事もなかったように靴を履き替え、昇降口を出る。
 俺もその隣を歩き出した。歩きながら何度も翔太の横顔を盗み見る。
 自分でもどうしてこんなに気になるのか、分からないまま視線を落とす。
 すると、隣から声が飛んできた。

「なぁ、コンビニ寄ってかない?」

 顔を上げると、翔太が近くのコンビニを見つめた。

「腹減った」

 その一言に思わず力が抜ける。

「……俺もなんか食べようかな」

「決まり」

 そして、コンビニで飲み物とアイスを買い、店を出る。

「お腹すいてたけど、結局アイスにしちゃったな」

 袋からアイスを取り出しながら翔太が笑う。

「やっぱ暑いからアイスに惹かれるよな」

 俺も包装を破りながら頷く。

「優のそれ、新作?」

 翔太が俺の手元を覗き込む。

「ああ。なんか初めて見たから」

 俺が選んだのは、チョコでコーティングされた期間限定のアイスだった。
 一方の翔太は、毎回買っているらしい氷系のアイスをくわえている。

「俺、こういう時いつも同じやつ買っちゃうんだよな」

「冒険しないタイプ?」

「失敗したくないタイプ」

 翔太は苦笑しながら肩をすくめる。

「優は逆?」

「新しいの見つけたら、とりあえず一回は食べる」

「へぇ」

 そんな他愛ない話をしながら、俺はチョコをひと口かじった。
 パリッ、と気持ちのいい音が鳴る。

「……これ、うまっ!」

 思わず声が大きくなる。

「そんなうまい?」

「うん。限定にするにはもったいないくらい美味い」

「そんな言われたら気にな。一口ちょうだい」

 思わず固まる。
 一口。たったそれだけなのに、妙に意識してしまう。
 ……いや、待て。何考えてるんだ俺は。
 アイスを一口もらうくらい、友達なら普通のことだろ。

「……じゃあ、その代わりお前のもよこせよ」

 できるだけ何でもないように言うと、翔太は少しだけ目を丸くしたあと、嬉しそうに笑った。

「交渉成立だな」

「……ほら」

 そう言ってアイスを持ったまま少し差し出す。
 すると翔太は受け取ることなく、「ありがと」と言って、俺の手首をそっと支えた。

「……っ」

 ひんやりした指先が手に触れる。
 そのまま翔太は顔を寄せ、俺が持っているアイスをぱくりとかじった。チョコが割れる小さな音が、妙に耳に残る。

「うわ、これめっちゃうまい」

 無邪気に笑うその横顔を見ていると、意識している自分の方が恥ずかしくなってくる。
 今度は翔太が自分のアイスを差し出してくる。

「優も食べてみ」

 俺は黙って受け取る。
 ……どこを食べればいい。さっき翔太が口をつけた場所が、やけに目についてしまう。

「早く溶けるぞ」

 急かされ、俺は観念して一口かじった。冷たい甘さが口いっぱいに広がる。だけど、それよりも熱くなっている耳の方が気になって仕方なかった。

「どう?」

「……うまい」

 アイスを食べ終え、包装を近くのゴミ箱へ捨てる。

「新作、当たりだったな」

「なくなる前にもう一回食べたい」

 そんな他愛ない話をしながら歩いていると、不意に頬へ冷たいものが落ちた。

 ぽつ。

「……」

 見上げた瞬間、二粒、三粒と雨粒が増えていく。

「うわっ」

 翔太も空を見上げる。

「あー……傘持ってないのに最悪」

 言い終わる頃には雨はどんどん強くなり、地面を濡らし始めていた。

「俺、折りたたみあるから」

 翔太はそう言ってリュックを開け、小さな折りたたみ傘を取り出す。

「助かった……」

 ぱっと傘が開くが、

「……小さくないか?」

 高校生の男二人が入るには、どう見ても心もとない大きさだった。

「まあ、ないよりマシだろ」

 翔太は笑いながら傘を差し、俺を中へ招く。けれど、肩が触れそうになる距離に思わず一歩外側へ寄った。
 これなら少しくらい濡れても――。
 そう思った瞬間だった。

「優」

 ぐいっ。腕を軽く引かれ、体が翔太の方へ寄せられる。

「濡れるぞ」

 耳元で聞こえた低い声に、心臓が跳ねた。

「でも……」

「風邪ひいたら困るだろ」

 そう言って翔太は何でもないように俺との距離を詰める。
 肩と肩がぴたりと触れた。歩くたびに腕がかすかに当たる。
 折りたたみ傘に当たる雨音がやけに大きく響く中、その温もりだけが妙にはっきりと伝わってきた。
 さっきまで他愛ない話をしていたのに、不思議と会話が途切れる。
 肩が触れ合うほど近い距離が、いつもより意識されてしまう。
 俺は何度か口を開きかけては閉じた。聞いていいのか。
 でも、友達ならこれくらい──。

「あのさ」

「ん?」

「……翔太って、好きな人いたんだな」

 思い切ってそう口にすると、翔太が顔を覗き込んできた。

「気になる?」

 翔太がいたずらっぽく目を細める。

「え」

「俺の好きな人」

 その笑顔に、不意に心臓が跳ねた。
 距離が近い。傘が小さいせいで、少し顔を向けるだけで目が合ってしまう。

「……まぁ、少し」

 正直に答えると、翔太はふっと笑った。

「可愛い」
「……へ?」

 思わず顔を上げる。
 聞き間違いじゃなく。驚いて見つめ返すと、なぜか翔太の方が先に視線を逸らした。
 耳が少し赤い。

「……いや、今のは」

 珍しく言葉に詰まっている。そんな翔太を見るのは初めてだった。

「もし好きな人が」

 小さく息を吐いて、翔太はもう一度俺を見る。
 真っ直ぐな目だった。

「優だって言ったら、どうする?」

 雨音だけが、二人の間を静かに埋めていた。

「何言って……」

 言い終わる前だった。不意に翔太の手が俺の頬へ伸びる。
 大きな手がそっと頬を包み、逃げるように向けていた顔をゆっくりと正面へ向けられる。

「翔、太……」

 雨音だけが二人を包み込み、通りを歩く人の姿もない翔太は一瞬だけ俺の目を見つめ、それから折りたたみ傘を少し傾けた。

「っ……」

 唇に柔らかな感触が触れ、驚きで目を見開く。
 声を出そうとしても、息が詰まって何も言えない。翔太はゆっくりと唇を離し、額が触れそうな距離で小さく笑う。

「……これが、俺の返事」

 何か言わなければ、と思うのに、喉の奥がぎゅっと詰まったように動かない。

「返事は今じゃなくていい。でも俺、本気だから」