「…また?今度はどこ」
「いやー、今日はちょっとだって!かすり傷」
「"ちょっと"で保健室来るな」
サッカー部の練習が終わると、決まって保健室のドアが開く。入ってくるのは、いつも同じ顔。
神谷 真は、爽やかな笑顔で迷いなく椅子に腰掛ける。
汗で湿った淡いピンクのユニフォームの背番号は、六番。ヘアバンド越しの髪も少し乱れているのに、なぜか目を引く。
慣れた手つきで消毒の準備をすると、当たり前のように腕を差し出してくる。
「今日も試合でさー、ちょっと突っ込んだら、こう」
「後先考えろって、何回言えばいい?」
「ちゃんと、考えてるって」
「考えててこれは、終わってる……痛い?」
「いや、平気」
そう言ってへらっと笑う真にため息が出るのは、これで何度目だろう。わかってる。きっとまた……
「拓也だろ?」
「おお!さすが!拓也様みたいに突っ込んだつもりだったんだけどな」
真がいつも無茶をして転ぶのは、”拓也様”まさにその男のせいだ。現実じゃありえないプレーばかりする、サッカー漫画の主人公。
真は”拓也様”と呼ぶその男に、憧れている。……いや、あれはもう憧れなんて軽いもんじゃない。
それを恋だなんて、そんな片想い、”偽物”だって思ってるのは、俺だけなんだろうか。まあ、恋愛経験ゼロの俺が言うのも説得力ないか。
消毒液をかけて、ガーゼを貼って、いつも淡々と処置を終える。
「はい、終わり」
「さんきゅ」
真は立ち上がりかけて、思い出したように振り返った。
「記録、書いていい?」
「書かないとだめ」
ドアのすぐ横、机の上に置かれた保健室の利用者記録表。真はペンを取り、慣れた様子で書き始めると、さらっと書き終えて手を振った。
「じゃ、また来るわ」
「……またって…」
保健室は、そんな何度も来るもんじゃないのに。
静かになった保健室で、真が書いた記録表に視線を落とす。
……あいつのことだ。どうせまた、くだらないことを書いてるに違いない。
────
〚名前〛 神谷 真
〚怪我をした場所〛 腕
〚その他〛俺、転ぶ才能だけはプロ(ピース)
────
思わず一人で吹き出した。
「なんだあいつ、ばかだろ……」
って……俺もか。
あの日から、こんな毎日を続けているのだから。
記録表の一番下の、〚その他〛の欄に、真が書き残した一言から始まった俺達。あの日から、俺は────
初めてあいつを見たのは、この高校に入学して一週間くらいの頃だった。
保健委員になった俺は、保健室のグラウンド側の扉を出てすぐ、水道の隣の柱の横で、サッカー部の練習試合を見ていた。懐かしいような、心地いいようなそんな気持ちだった。
ボールの音とスパイクで地面を走る音、そこに掛け声が重なる。
その中にひとりだけ、動きは雑なのになぜか目を引くやつがいた。そいつは、誰がどう見ても明らかに届かないボールに、迷いなく突っ込んでいった。そして案の定、足がもつれて転ぶ始末。
「……無茶だろ」
見るからに痛そうなのに、すぐに立ち上がって何事も無かったように再び走り出す姿から目が離せなくなった。
俺なら、あんな無茶はしない。
……いや、できない。
中学の頃は、俺もサッカー部だった。
我ながらそこそこ真面目に頑張っていたと思う。
でも自分の素質の限界に気づいて、中学卒業を機に、サッカーをやめた。特に後悔もしてない。
「ちょっと、来て」
「えっ、今、試合……」
気づいた時にはグラウンドに足を踏み入れていた。
驚く真とざわつくチームメイトの声を無視して走った。そんなつもり、まったくなかったのに。
「こいつの怪我、ちょっとやばそうなんで、すぐ手当します」
「あ、いや、大丈夫だって」
軽く抵抗する真の腕を取って、保健室に向かったっけ。
「これ、早く冷やして処置しないと後々痛むやつ。とにかく座って」
「え、あ、はい」
用意した丸椅子に腰掛けた真の足首に、氷嚢を当てた。
「抑えてて。ちょっと痛むかも」
「俺、痛み強いから」
いや、強いとか、そういう問題じゃないだろ。
「なんで、あんな無茶?」
その質問待ってました、と言わんばかりにキラキラした笑顔で真は口を開いた。
「恋だよ!恋!」
「は?」
あまりに的外れの返事に、開いた口が塞がらない俺に構わず、続けた。
「拓也、知ってる?」
拓也?聞いた事あるな。
って、まさか、あの……
「漫画?じゃ、ないよな?」
半信半疑で投げかけたのに、真の顔がぱっと輝くもんだから、確信せざるを得なかった。
「そう!俺の憧れっつーか、もう、恋だな。拓也様みたいなプレーがしたくてサッカーしてる」
何を言い出すんだこいつは。
漫画だぞ?
「無茶だろ、さすがに」
「わかってる。でも、拓也様が俺の頭の中に、居座るんだよ」
「は?」
固まったままの俺に、今度は質問が飛んできた。
「てか、サッカーの経験あるの?」
「まあ、中学の頃サッカー部だったし」
「まじで!?……高校では入部しなかったの?」
「保健委員だし。俺、サッカーの才能まるでなくて」
てか俺、なんでこいつにこんなこと話してんだ。
人の過去とか、ズカズカと平気で突っ込んで来るやつ苦手なはずなのに。
「へー!自分の才能とか俺、そういうの全然気にしたことなかった」
「だろうな」
「おう!才能なんて関係ない!俺は絶対拓也様みたいになる。だからいつだって全力」
「……なんだよ、それ…」
それであんな無茶?
すごいわ、こいつ。
「ねえ!てか、名前は?」
「桐谷 心だけど……」
「はっ!?まじ!すげえ。俺も、真!神谷 真」
その直後、半ば無理やり手を掴まれた。
握手なんて普通のことなのに、無意識に息を止めていた。
「名前一緒だし、保健室にはこれからも世話になるし、仲良くしようぜ」
さっきから、こいつの目、なんでこんなまっすぐなんだろう。直視できないとか、俺、かっこ悪。
まあ、もう処置も終わったし、別にいいけど。
「はい、できた。ちょっと動かしてみて」
真は、テーピングが巻かれた自分の足と、俺を交互にみて、珍しいものでも見たかのように目を見開いた。
「全然、痛くない。心テーピングうますぎだろ」
「普通だろ、こんくらい」
手当してこんなに驚かれたのは初めてだった。
「す、すげえ……」
関心した様子で足首を動かし続ける真。
「治るまで、無茶するなよ。あ、あと、部活戻る前、これ書いてって」
「保健室……利用者記録、表?」
「そう。放課後に保健室利用した時は、書く決まりだからよろしく」
差し出した記録表は、一瞬で埋められて手元に戻ってくる。
「はい!じゃ、俺部活戻るわ!ありがとな、心」
そう言って真が出ていった扉をしばらく見つめたままだった。
────
保健室 利用者記録
────
〚名前〛 神谷 真
〚怪我をした場所〛 足首
〚その他〛怪我したおかげで、友達ができた。
────
あの日から俺は、あいつから目を離せなくなった。
なんというか、放っておけない。
「いやー、今日はちょっとだって!かすり傷」
「"ちょっと"で保健室来るな」
サッカー部の練習が終わると、決まって保健室のドアが開く。入ってくるのは、いつも同じ顔。
神谷 真は、爽やかな笑顔で迷いなく椅子に腰掛ける。
汗で湿った淡いピンクのユニフォームの背番号は、六番。ヘアバンド越しの髪も少し乱れているのに、なぜか目を引く。
慣れた手つきで消毒の準備をすると、当たり前のように腕を差し出してくる。
「今日も試合でさー、ちょっと突っ込んだら、こう」
「後先考えろって、何回言えばいい?」
「ちゃんと、考えてるって」
「考えててこれは、終わってる……痛い?」
「いや、平気」
そう言ってへらっと笑う真にため息が出るのは、これで何度目だろう。わかってる。きっとまた……
「拓也だろ?」
「おお!さすが!拓也様みたいに突っ込んだつもりだったんだけどな」
真がいつも無茶をして転ぶのは、”拓也様”まさにその男のせいだ。現実じゃありえないプレーばかりする、サッカー漫画の主人公。
真は”拓也様”と呼ぶその男に、憧れている。……いや、あれはもう憧れなんて軽いもんじゃない。
それを恋だなんて、そんな片想い、”偽物”だって思ってるのは、俺だけなんだろうか。まあ、恋愛経験ゼロの俺が言うのも説得力ないか。
消毒液をかけて、ガーゼを貼って、いつも淡々と処置を終える。
「はい、終わり」
「さんきゅ」
真は立ち上がりかけて、思い出したように振り返った。
「記録、書いていい?」
「書かないとだめ」
ドアのすぐ横、机の上に置かれた保健室の利用者記録表。真はペンを取り、慣れた様子で書き始めると、さらっと書き終えて手を振った。
「じゃ、また来るわ」
「……またって…」
保健室は、そんな何度も来るもんじゃないのに。
静かになった保健室で、真が書いた記録表に視線を落とす。
……あいつのことだ。どうせまた、くだらないことを書いてるに違いない。
────
〚名前〛 神谷 真
〚怪我をした場所〛 腕
〚その他〛俺、転ぶ才能だけはプロ(ピース)
────
思わず一人で吹き出した。
「なんだあいつ、ばかだろ……」
って……俺もか。
あの日から、こんな毎日を続けているのだから。
記録表の一番下の、〚その他〛の欄に、真が書き残した一言から始まった俺達。あの日から、俺は────
初めてあいつを見たのは、この高校に入学して一週間くらいの頃だった。
保健委員になった俺は、保健室のグラウンド側の扉を出てすぐ、水道の隣の柱の横で、サッカー部の練習試合を見ていた。懐かしいような、心地いいようなそんな気持ちだった。
ボールの音とスパイクで地面を走る音、そこに掛け声が重なる。
その中にひとりだけ、動きは雑なのになぜか目を引くやつがいた。そいつは、誰がどう見ても明らかに届かないボールに、迷いなく突っ込んでいった。そして案の定、足がもつれて転ぶ始末。
「……無茶だろ」
見るからに痛そうなのに、すぐに立ち上がって何事も無かったように再び走り出す姿から目が離せなくなった。
俺なら、あんな無茶はしない。
……いや、できない。
中学の頃は、俺もサッカー部だった。
我ながらそこそこ真面目に頑張っていたと思う。
でも自分の素質の限界に気づいて、中学卒業を機に、サッカーをやめた。特に後悔もしてない。
「ちょっと、来て」
「えっ、今、試合……」
気づいた時にはグラウンドに足を踏み入れていた。
驚く真とざわつくチームメイトの声を無視して走った。そんなつもり、まったくなかったのに。
「こいつの怪我、ちょっとやばそうなんで、すぐ手当します」
「あ、いや、大丈夫だって」
軽く抵抗する真の腕を取って、保健室に向かったっけ。
「これ、早く冷やして処置しないと後々痛むやつ。とにかく座って」
「え、あ、はい」
用意した丸椅子に腰掛けた真の足首に、氷嚢を当てた。
「抑えてて。ちょっと痛むかも」
「俺、痛み強いから」
いや、強いとか、そういう問題じゃないだろ。
「なんで、あんな無茶?」
その質問待ってました、と言わんばかりにキラキラした笑顔で真は口を開いた。
「恋だよ!恋!」
「は?」
あまりに的外れの返事に、開いた口が塞がらない俺に構わず、続けた。
「拓也、知ってる?」
拓也?聞いた事あるな。
って、まさか、あの……
「漫画?じゃ、ないよな?」
半信半疑で投げかけたのに、真の顔がぱっと輝くもんだから、確信せざるを得なかった。
「そう!俺の憧れっつーか、もう、恋だな。拓也様みたいなプレーがしたくてサッカーしてる」
何を言い出すんだこいつは。
漫画だぞ?
「無茶だろ、さすがに」
「わかってる。でも、拓也様が俺の頭の中に、居座るんだよ」
「は?」
固まったままの俺に、今度は質問が飛んできた。
「てか、サッカーの経験あるの?」
「まあ、中学の頃サッカー部だったし」
「まじで!?……高校では入部しなかったの?」
「保健委員だし。俺、サッカーの才能まるでなくて」
てか俺、なんでこいつにこんなこと話してんだ。
人の過去とか、ズカズカと平気で突っ込んで来るやつ苦手なはずなのに。
「へー!自分の才能とか俺、そういうの全然気にしたことなかった」
「だろうな」
「おう!才能なんて関係ない!俺は絶対拓也様みたいになる。だからいつだって全力」
「……なんだよ、それ…」
それであんな無茶?
すごいわ、こいつ。
「ねえ!てか、名前は?」
「桐谷 心だけど……」
「はっ!?まじ!すげえ。俺も、真!神谷 真」
その直後、半ば無理やり手を掴まれた。
握手なんて普通のことなのに、無意識に息を止めていた。
「名前一緒だし、保健室にはこれからも世話になるし、仲良くしようぜ」
さっきから、こいつの目、なんでこんなまっすぐなんだろう。直視できないとか、俺、かっこ悪。
まあ、もう処置も終わったし、別にいいけど。
「はい、できた。ちょっと動かしてみて」
真は、テーピングが巻かれた自分の足と、俺を交互にみて、珍しいものでも見たかのように目を見開いた。
「全然、痛くない。心テーピングうますぎだろ」
「普通だろ、こんくらい」
手当してこんなに驚かれたのは初めてだった。
「す、すげえ……」
関心した様子で足首を動かし続ける真。
「治るまで、無茶するなよ。あ、あと、部活戻る前、これ書いてって」
「保健室……利用者記録、表?」
「そう。放課後に保健室利用した時は、書く決まりだからよろしく」
差し出した記録表は、一瞬で埋められて手元に戻ってくる。
「はい!じゃ、俺部活戻るわ!ありがとな、心」
そう言って真が出ていった扉をしばらく見つめたままだった。
────
保健室 利用者記録
────
〚名前〛 神谷 真
〚怪我をした場所〛 足首
〚その他〛怪我したおかげで、友達ができた。
────
あの日から俺は、あいつから目を離せなくなった。
なんというか、放っておけない。



