死に愛された女の肖像

「香さん、見てください! 今日のラテアートの新作、『虚無を見つめるクラゲ』です!」

 ユキが、誇らしげに真っ白い泡の塊を差し出してきた。

 見れば、ミルクの泡で描かれた何かが、カップの縁から力なく垂れ下がっている。

「……ただの溶けかかったマシュマロにしか見えないわ。それに、クラゲにしては足が多い気がするけれど」
「あ、バレました? 実は描き損じを隠そうとして、足を増やしちゃったんです。でも、これくらい混沌としてるほうが、人生の無常を感じませんか?」

 ユキはけらけらと笑いながら、布巾を回してカウンターの奥へと消えていった。

 カウンターの隅に置かれたラジオからは、昼下がりの気だるいニュースが流れている。

『――昨夜、区内の区道上で大量の血痕が発見されました。現場には血が飛び散っていましたが、付近に怪我人は見当たらず、警察は事件と事故の両面で捜査を開始。現場を通りかかった際、不審な車両や物音を耳にした方は――』

「なんか、ホラー映画の始まりみたいなニュースですね」

 ユキはそう言いながらも、鼻歌まじりにカップを洗う。

「そうね。映画だとしたら冒頭も冒頭ね」

 私は本のページをめくる手を止めず、適当に相槌を打った。その血が我々の作品であることは私たち二人とも知っている。だが今は一般のお客さんがいるからその話は封印するしかない。


 翌日。カウベルが重苦しく鳴り、佐野が入ってきた。

 今日の彼は、もはや生きた人間というより、使い古された雑巾のような顔をしていた。

「……香さん。昨日の道端の血に関するニュースは聞いたかい? とんでもない展開になったよ」

 佐野は注文も待たずにカウンターへ突っ伏した。

「お疲れ様。あの遺体なき大量出血に、進展があったの?」
「ああ。今朝、署に郵便が届いた。中身は……小指だ。第二関節のあたりから、スッパリといかれたやつがな」

 ユキは淹れていたコーヒーの手を止め、わざとらしく肩をすくめて見せた。

「指、届きましたか」
「ああ、届いたよ。厄介なのは、その指の断面だ。鑑識が首を捻っていた。そこに生活反応が全くなかったんだからな」
「生活反応?」

 ユキが首を傾げる。私は本の栞を挟み、佐野の言葉を補足するように口を開いた。

「人間は生きている間に傷を負えば、炎症が起きたり血が固まったりといった生理的な抵抗を見せるわ。けれど、死んだ後なら体はもう反応しない。つまりその小指は、すでに死んでいる体から切り取られたものね」
「その通りだ。……おかげで署内は、ちょっとしたパニックだよ」

 佐野は苦々しく、だがどこか満足げに頷いた。

「昨日の道路の血とDNAが一致した。持ち主は、数年前の集団リンチ事件で加害者側だった男だ。警察の見立ては、完全に報復殺人に固まったよ」
「報復、ですか」

 ユキが少しだけ声を潜める。

「少し前に、同じ事件の仲間だった男が一人、道端で後頭部を叩き割られて死んでいるからな。犯人はまだ捕まっていない。そこへ来て、二人目が血の海を残して消え、指だけが届いた。……復讐者が一人ずつ、確実に処理を始めた。警察は今、そう考えて必死に裏取りを急いでいる」

 佐野は、私が差し出したコーヒーを薬のように一気に飲み干した。

「世間じゃ自業自得だなんて騒いでいるが、現場を預かる側としては、死体が見つからないまま指だけが届くなんて展開は、恐怖を煽るには十分すぎる。残りの連中も、今頃は生きた心地がしていないだろうよ」

 私は静かにカウンターの奥へ視線を戻した。

 死体から切り取られた小指。まき散らされた鮮血。そして、過去の罪。警察が組み立てた復讐劇のシナリオは、今のところ一点の曇りもなく、彼らの推理を私たちが望む方向へ誘っている。

 依頼人に無理をさせて自分の血を溜め、自分の指を切らせた甲斐があったというものだ。