死に愛された女の肖像

 カウベルが新しい客の訪れを告げた。

 現れたのは、仕立ての悪いスーツをヨレヨレに着崩した中年男だ。額には「疲労」という文字が刻印されているのではないかと思うほど、生気がない。

「……死ぬ。香さん、俺は今、人生で五指に入るほど死にたい気分だ」
「物騒な挨拶ね、佐野さん。でも残念だけど、うちは喫茶店よ。お望みのものは提供できないわ」

 私は布巾を置き、ダウナーな調子で彼をカウンター席へと促した。

 この男、佐野は、この界隈を管轄する所轄の刑事だ。非番の日や、あるいは職務放棄に近い休憩時間に、こうして泥のように重い体を預けにやってくる。

「佐野さん、いらっしゃいませー! 死にたいなんて景気悪いこと言わないでくださいよ。そんな佐野さんにぴったりの、元気がみなぎる新メニューがあるんです!」

 ユキがカウンターから身を乗り出し、目を輝かせながら叫んだ。

「新メニュー? なんだ、カツ丼か? それとも大量の栄養ドリンクか?」

 佐野が望みを託したような目でユキを見る。

「違いますよ。名付けて、張り込み一週間・不眠不休のブラック・インパクト! エスプレッソにブラックペッパーと唐辛子をぶち込んで、さらに炭酸で割った刺激的すぎる一杯です!」
「……ユキちゃん、それは飲み物じゃなくて兵器だろ」

 佐野の至極真っ当な意見を、ユキは

「チェッ!」

 とすねた感じで笑い飛ばした。

「ユキ、ふざけないの。佐野さんは本当に参っているみたいだから」

 私は彼女をたしなめつつ、黙っていつもの深煎り豆をミルにかけた。コーヒー豆が砕かれる乾いた音だけが、店内の静寂を少しずつ塗り替えていく。

「ごめん、香さん。昨夜からずっと、不法投棄事件の張り込みに駆り出されてな。部署が違うってのに。夜通し川べりの茂みに潜んでいたんだが、結局現れたのは野良猫と蚊の大群だけだ。おまけに足元はぬかるんでるし、腰は砕けそうだし……。正義の味方というより、ただの不審者として職務を全うしてきたよ」
「川べりで泥遊び。大の大人がやる趣味としては、少しばかりストイックすぎるわね」

 私は静かにカップを温める。

「はい、佐野さん。刺激はないけれど、現実に引き戻してくれる程度の苦味はあるわ」

 差し出されたコーヒーを、佐野は薬を飲むような真剣な表情で啜った。

「あぁ……生き返る。香さんは、どうしてこう、人の心の綻びを埋めるのが上手いんだろうな。うちの署で相談員でもやってくれないか? カウンセラーというか」
「お断りよ。私は、静かに本を読んでいたいだけだから」
「さあ佐野さん! コーヒーの代金は、面白い事件の話でいいですよ! あ、今度こそ宇宙人の仕業とか、そういうのありませんか?」
「ユキちゃん、俺は刑事だ。UFO調査員じゃないんだよ……今日は何もニュースはないな」

 ユキの底抜けに明るい声と、佐野の溜息まじりの声が混ざり合う。外ではまた、何事もなかったかのように風が吹いていた。

 佐野にコーヒーを差し出す。

「ありがとう」

 短く例を言う佐野に微笑みで返事をし、私はカウンターの奥へと戻った。

 翌日、佐野は登和子さんが殺害されたというニュースを運んできた。